『白龍隊』と兄猪熊房蔵の出撃

 猪熊得郎



兄房蔵との最後の別れは、昭和十九年八月二十七日(日曜日)でした。土浦航空隊で特攻隊行きが決まっていた兄は外出を許され、土浦に面会に行った父と同行して水戸の陸軍航空通信学校に面会に来ました。私も外出を許され短い時間ですが父と三人での時間を持つことが出来ました。

別れの時、海軍飛行予科練習生の兄房蔵は肘を前に出す海軍の敬礼で、陸軍特別幹部候補生の弟の私は肘を横に張る陸軍の敬礼で、営門の前で別れを惜しみました。父は黙って二人の息子を見つめていました。兄が十八歳五ヶ月、弟が十五歳十一ヶ月でした。

兄房蔵は、戦場に赴くことが、家族のため、祖国のため、平和のためと心から信じて志願し、回天特攻隊員として十九歳の誕生日の前に戦死しました。

平和憲法は兄たち戦没者の遺言だと思います。

兄の生きた証を探し求め、その想いを語り継ぐこと。それは兄と同じ時代を生き、そして平和の時代を生きることが出来た、遺された弟の生涯の仕事です。

それが兄への何よりのはなむけと信じています。
 

(一九九八・一二・二五記)