おわりの言葉にかえて



 今から7年ほどまえ、河合不死男のアルバムと出会い、故・小灘利春会長(平成18年9月23日ご逝去)がまだご健在であることを知ったとき、この事実はそれほど昔のことではない出来事だったのだと、ある類の驚きをもって、会長とお会いさせて頂いた記憶があります。
 そのころ制作者は、回天も戦争もほとんど興味がなくて、鎌倉駅前の豊島屋という和洋菓子店で待ち合わせ、それからお住まいの鎌倉周辺を一通り案内して頂いて、あとは普通のファミリー・レストランで(自分だけ)ビールを飲みながらいろいろとお話を聞かせて頂き・・、というか自分が一方的に終電の時間まで好き勝手なことを話し続け、帰りは酔った勢いで上りと下りを間違え、結局下り終着の久里浜まで行って、駅前のチェーン店の居酒屋で一人またお酒を飲みながら明け方になるのを待って、始発に乗って家路につきました。それが、会長との最初の出会いでした。
 ただそのときに、それまで抱いていた特攻のイメージとは明らかに違うものを会長に感じ、改めてもう一度お会いさせて頂いたり、その後も電話でお話をお聞きするうち、回天(特攻)の史実が誤って伝えられているという実情を知って、なら今はインターネットで情報が発信できますからと、許可を頂いて、今日まで、このHPを制作・運用してきました。ですから回天を知らない方々が、このHPで回天を知って頂くという過程は、もしかしたら、制作者がたどった軌跡と同じになるのではないか、とも感じています。

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       アルバムに添えられていた出撃写真
 制作者は、これらの分野における研究者ではありません。 HPは、もともとは個人的な趣味のために立ち上げたものです。
 このHPを通して皆さんにお伝えしたいことは、―― 専門的な立場からの回天の詳しい資料の提示ということよりも、回天隊設立当初よりこの部隊を知る関係者(当方であれば、後に残された家族が抱いた、そして自分の中にも確かに宿った感情)の、いわば皮膚感覚 *1)、それをもとにした事実、事柄の紹介です。
 それで、いくらかでも興味をもって頂けたら、今は様々な情報が各自で調べられ、入手できる時代でもありますので、皆さんで考え、判断して頂いて、(また、よろしければ発信して頂いて)、そうやってこの事実を心に留め、日々の生活、仕事等々に生かして頂けるような流れができたなら、このHPの役割が果たせたということになるのではないかと思っています。
 2006.11.1

*1) 小灘会長が亡くなられた2006年に発行された書籍、『特攻 最後の証言』 (アスペクト社) の中にある、小灘会長の写真、その表情は、自分も非常によく理解の出来るものです。ただ、それは、お会いした当初は、もっと別の方向に行かれようとしていた(1999年発行された回天記念館『概要・収蔵目録』では、第一回天隊の記述はすべて割愛)ようにも思います。
 2013年3月18日、ブログにて投稿した下記リンクは、小灘会長と自分の間だけの、いわば暗黙の了解のうちに進められたものでしたが、そこに周囲の方達が参加してくると、いろいろな摩擦も起こり、いつかはこういうことを伝えなければならない時がくるのだろう、というのが今の率直な気持ちでもあります。
 今後はお互いが歩み寄って、接点を見つけていくことが、非常に大事になってくると考えています。

 ホームページを立ち上げた2000年以降の経緯 (公開部分) -2013.3.18-


- 制作(ご協力を頂いた方々)-