回天菊水隊戦果の誇大発表
                                                                               全国回天会
                                                                                  小灘利春



 回天特攻の第一陣菊水隊は潜水艦3隻が参加、うち伊37潜は昭和19年11月20日の攻
撃決行前日に交戦沈没したが、伊36潜と伊47潜は西カロリン諸島ウルシー環礁の在泊
敵艦隊を攻撃し、搭載回天計8基のうち5基が発進した。潜水艦が呉に帰着して12月
2日、第六艦隊司令部は菊水隊作戦研究会を開催し席上「正規空母2隻、戦艦3隻」
という最大限の戦果を発表した。第六艦隊は菊水隊戦闘詳報にもこの戦果を記載して
提出し、連合艦隊司令長官は12月8日、そのとおり全軍に布告した。海軍省は菊水隊
の戦果を第二陣の金剛隊の分と併せ昭和20年3月24日にこの数字を挙げて公表、全国
各紙の第一面を飾った。以後も日本側にはこの数字しかない。

 事実は菊水隊の戦果は艦隊随伴油送艦1隻の撃沈にとどまっていた。極端な誇張と
いう始末になったが、潜水艦と第六艦隊が判断を誤ったのか、或いは意図的に誇大宣
伝をしたのか、という疑問が今でも時々提起されている。同時に特攻に出てゆく搭乗
員たちの士気を鼓舞する目的で、故意に誇張したとの見解が外国筋を中心にある。そ
の見方は第三者には納得性があるが、問題は第六艦隊自体が士気を鼓舞する効用をそ
こまで認識していたかどうかである。
 
 菊水隊研究会に回天隊側として第一特別基地隊大津島分遣隊の指揮官板倉光馬少佐
が出席された。先任将校の七十期近江誠(現姓山地)大尉も同行され、出席者は発表
された大戦果を聞いておられる筈である。しかし、そのあと大津島基地で開かれた研
究会では一般の搭乗員、基地整備員のほか、帰還した搭乗員、整備員と呉工廠の技術
者を交えて種々の報告があり、行動経過の説明があったものの、論議の中心は漏水、
発錆や故障など回天の整備面であった。回天が交通筒に固着する故障は、伊36潜の回
天が2基までも実戦で発進できなかったことで重大な問題となった。同じ故障が大津
島で、私が記憶するだけでも既に2件はあったが、初めて固着について真剣な論議を
呼んだ。

 ところが、戦闘状況と戦果については板倉指揮官から詳しい経過は抜きで、潜水艦
が報告した「見たままの閃光、聴いたままの爆発音」を搭乗員たちに伝えられただけ
であり、戦果がどのようであったかについては説明がなかった。
 回天発進後に珊瑚礁内で起こる戦闘を、潜航避退する母潜水艦が目撃できる筈がな
い。従って戦果の艦種、隻数など、説明が無いのが当り前であって、聞かなくても我
々は兵器の能力に確信を持っていたから「これまでにない性格の奇襲兵器であるから
当然、相当の戦果を挙げている」と信じて疑わなかった。
 
 第六艦隊司令部が新兵器回天による作戦を拡大する目的で、意図的に戦果を大きく
見積もった面があったかも知れないが、それを証言する責任者はいない。
 戦果報告は上層に対してのみで、下部の搭乗員の士気を鼓舞するために「大戦果」
を活用することは第六艦隊も回天部隊幹部もしなかった。しかし、戦後昭和43年に搭
乗員で最初に回天戦記「ああ回天特別攻撃隊」を発表し、あと何冊かの著書を出した
故・横田寛氏は菊水隊の大戦果発表を聞いて自分たちが大いに興奮する場面を描写し
ている。それが英訳されて米国で出版されたので、海外では搭乗員を景気づける為に戦
果を誇張したと取られている。それを聞いて私は、大津島では黙殺したが、彼がいた
光の基地では発表したのかと思っていたが、改めて光にいた搭乗員たちに聞いたとこ
ろ、光でもやはり戦果発表はなかったと言う。一般搭乗員が発表戦果を知ったのは20
年3月の新聞発表が大部分である。戦闘詳報はどの作戦のものも、戦時中われわれは
見たことがない。私の場合、戦果の数字を見たのは戦後、復員してからのことである。

 最近耳にしたところでは、板倉指揮官は発表された菊水隊の戦果の内容に批判的で
あった由である。そのために搭乗員たちには伏せられたのかも知れないが、そのまま
知らせて頂いたほうが寧ろ結果は良かったと考える。「発進地点(航走距離)、発進
時刻、爆発時刻」の基本要素だけでも聞けば、泊地襲撃の航走計画を練った経験があ
る搭乗員たちは即座に発表戦果の虚構を看破したであろう。搭乗員自身が改善策を研
究し、献策する。そうすれば第二陣の金剛隊で同じような戦術を踏襲して、自滅的な
失敗を繰り返すことは防げた筈である。

 第六艦隊、また回天隊幹部は回天作戦の実効を挙げるためには、菊水隊の経過と発
表戦果を、失敗が露顕しようとも搭乗員たちに伝えるべきであった。搭乗員たちはい
ずれにせよ、自らの生命を捧げるのである。誰もが、自分の人生を無駄に終わらせた
くはないから、此の世に生きたあかしを残すために懸命に対処策を考えたであろう。

                                                   04.6.25