多々良隊伊号第四四潜水艦の戦闘
 

 昭和二十年三月、米機動部隊は日本本土を空襲した後、沖縄諸島に集結、空襲に
併せて戦艦ほかにより艦砲射撃を続けた。日本の連合艦隊司令部は二六日「天一号
作戦」を発動、米海兵師団と陸軍師団十八万は四月一日、沖縄本島西岸の嘉手納付
近に上陸を開始した。地上戦闘の戦火が遂に日本の国土に及んだのである。
 第六艦隊は三月二七日、伊四四潜、伊四七潜、伊五六潜、伊五八潜の四隻を以て
「回天特別攻撃隊多々良隊」を編成し、沖縄周辺の敵攻略部隊に対し搭載回天によ
る攻撃を命じた。各艦は準備出来次第、二八日より次々に出撃していった。
 伊五三潜も当初、これに編入されていたが三月三十日、光基地に回航する途中に
周防灘で触雷して主機、蓄電池ほかに損傷を受けた。補助発電機で推進器ー軸のみ
を運転して、後進航行で辛うじて呉に帰り着いた状態であり、参加不能となった。
米軍の戦略爆撃機B二九が秘かに投下した磁気機雷による日本海軍最初の損害とい
う。
 伊号第四四潜水艦は回天四基を搭載して四月三日、大津島基地を出撃して沖縄海
域を目指した。艦長には前回の硫黄島作戦千早隊に参加した川口源兵衛大尉に代わ
って増沢清司少佐が着任、搭乗員は前回と同じ土井秀夫中尉(海軍兵学校七二期、
大阪府) 亥角泰彦少尉(海軍兵科四期予備士官、東京大学、京都府) 館脇幸治少尉
(同、中央大学、福島県) 菅原彦五・二等飛行兵曹(第十三期甲種飛行予科練習生
出身下士官、宮城県)であった。交通筒はまだ、土井艇と亥角艇の二基にしか装備
されていなかった。
 多々良隊各艦の攻撃目標を「泊地周辺で碇泊、漂泊中の艦船」とするか、「洋上
を航行中の艦船」とするか、出撃前に激しい論争が軍令部、第六艦隊司令部の段階
で行われた。航行艦に対する襲撃法は既に昭和十九年十二月から研究が始まってお
り、翌二十年一月初頭から回天搭乗員たちは実地訓練に入っていたのであるが、波
濤のなかでの航行艦襲撃には訓練がなお不十分との見解が上層部こは根強く、硫黄
島作戦に引き続いて沖縄周辺での泊地襲撃策が採られた。
 伊四四潜は四月三日に出撃してのち連絡がなかった。第六艦隊は四月十四日にな
って、沖縄水域を離れて同島とマリアナ諸島を結ぶ線上に進出し、洋上を航行して
いる敵艦船を攻撃するよう命じた。のち二一日、内地帰投命令を出したが、伊四四
潜は帰還しなかった。
 

 沖縄戦に出撃した回天搭載潜水艦四隻のうち、伊四四潜と伊五六潜の二隻が未帰
還となった。通常型潜水艦では七隻が出撃し、うち伊八潜、呂四一潜、呂四六潜、
呂四九潜、呂五六潜、呂一○九潜の六隻が帰らず、合計十一隻の潜水艦が沖縄に向
かって、八隻を喪失するという高い損害率となった。
 爆雷攻撃で損傷を受け、浮上砲戦を行って沈没し、乗員一名が救助された伊八潜
の場合は状況がはっきりしているが、それ以外の戦没潜水艦については、戦闘の日
時、場所に対応する艦名を立証できる根拠が乏しいため、戦記によって様々に食い
違っている。
 戦後米国側が作成した資料は大部分が四月二九日の空母「ツラギ」搭載機との交
戦により沈没した潜水艦を伊四四潜としており、日本側の一部戦記もこれを採って
いる。しかし日本側の公式見解では、これは呂号第四六潜水艦である。
 防衛庁戦史室および「日本海軍潜水艦史」が戦後、日米双方の各種資料を調査分
析した上、採った結論は四月十八日に沖縄東方洋上で駆逐艦群と長時間の交戦のの
ち沈没した潜水艦を伊四四潜であるとしている。
 

 四月十七日の夜二三二○、第五八機動部隊所属の駆逐艦「ヒーアマン」はレーダ
ーで浮上潜水艦を捕捉し、他の数隻も捕捉した。「ヒーアマン」が接近するとレー
ダーの映像が消えたがソナーで探知、航跡を分析して二三三五、爆雷を投下した。
司令駆逐艦「マッコード」も直接、攻撃に加わって四月十八日○一三○から○七四
三までの間、「マッコード」と「ヒーアマン」が交代しながら連続爆雷攻撃を加え
た。しかし遂に効果が現れず、そのうち両艦とも手持ちの爆雷を使い果たしてしま
った。やむなく駆逐隊司令は別の二隻の駆逐艦に来援、交代を命令し、両艦は見張
りを続けた。
 
 駆逐艦「コレット」(アレン・サムナー型、排水量二二○○トン)は第五八・三
任務群と第五八・五任務群との中間で連絡任務に就いていたが、駆逐隊司令より十
八日○七三五、救援の命令を受けて駆逐艦「メルツ」とともに現場の北緯二六度四
二分、東経一三○度三八分の地点に急行した。
 一○三○到着、探知状況の詳細なデータの伝達を受けて交代し、両艦は捜索を開
始した。潜水艦は北東へ潜航移動しており、概位は北緯二六度 四九・五分、東経一
三○度四四分であった。海上は静穏、視界良好であり、風は南東、風速四米であっ
た。
 一○四○「メルツ」は探知した潜水艦へ突進しが、爆雷投下はできなかった。潜水
艦は攻撃中、急激な回避運動を繰り返し、深度を二五○フィートから四五○フィー
トの間で変換していた。
 一一○三「コレット」は爆雷七個を投射し、続いて「メルツ」が一一三七に十一
発を投射した。「コレット」第二回の投射は一二○五、第三回を一二二六に投射し
たがいづれも効果がなかった。両艦はデータを照合し、潜水艦がかなり深く潜航し
ていると判定した。第四回目の攻撃では一二五三、潜水艦は向きを変えつつあった
がその先を見越して、深度を四五○フィートに設定して爆雷を投射した。「コレッ
ト」は爆雷を常に七発づつ投射した。七回の爆発音のあと、八つ目の爆発の轟音が
数十秒後に聞こえた。潜水艦が遂に損傷を受けたのである。
 一三一二、このとき潜水艦は既に動いておらず、「コレット」は正確に潜水艦の
真上を航走しながら第五回目の爆雷攻撃を行った。ソナーは潜水艦の深度を二四○
フィートと表示しており、爆雷に設定した爆発深度は二五○フィートであった。
 潜水艦撃沈はソナーの反応から確実と判断された。この地点は北緯二六度四七・
五分、東経一三○度四四分。沖縄本島北端の東方約一二五浬。使用爆雷は合計三五
発であった。
 午後になって「コレット」が攻撃した跡の海面に重油が浮かんできた。「メルツ」
が浮遊物多数を海面で拾った。

 公的な資料は沈没地点を北緯二六度四二分、東経一三○度三八分としているが、
これは同駆逐艦が急行を指示された目標地点を誤って採ったものであろう。
 この交戦は四月十七日二三三五の最初の爆雷投下に始まり、第五八機動部隊の艦
隊型駆逐艦計四隻が交代投下して、十八日一三一三の最終爆雷投下まで続いた。実
に十三時間三八分にも及ぶ長時間の戦闘であった。この間、針路と深度、速力を急
激に変えて回避を続ける潜水艦は限度を超える放電量となったことであろう。潜水
艦乗員にとってはこの上なく苦しく、長い奮闘であったと推察される。
 

 昭和十七年十月の南太平洋海戦で日本艦隊は空母「翔鶴」 「瑞鶴」ほかによる航
空攻撃で、米空母「ホーネット」を撃沈し「エンタープライズ」に損傷を与えた。
駆逐艦「コレット」の艦名はこの海戦で米雷撃機隊を指揮して戦闘中に戦死したジ
ョン A.コレット少佐の名前を採ったものであるが、本交戦の際、駆逐艦「コレッ
ト」の艦長は同少佐の実弟、ジェームス D. コレット中佐であった。
 

 「コレット」は潜水艦が回避運動中、しばしば深度四五○フィート、すなわち一
三七米と測定している。仮にこの潜水艦がまだ回天を搭載したままであったとする
と、回天の耐圧深度とされる八○米を大きく超えていたことになる。ソナーの測定
値に多少は異常があったかも知れないが、もとより「八○米」は安全潜航深度であ
って許容範囲があり、超えて潜ればたちまち回天の胴体とか魚雷部分が圧壊、破損
するものではない。或る潜水艦は爆雷攻撃を受けて浸水し、回天を搭載したまま艦
体が傾斜、沈下を続け、遂に深度計の針が一○五米を示したが、回天自体は浸水、
圧壊することなく帰還したという話がある。多々良隊の伊五八潜も駆逐艦に遭遇し
て、一挙に九○米までも深く潜航して避けた。
 しかし、若しも回天が圧壊すれば潜水艦は一挙にツリムを失い、危険な事態とな
るのは明らかであるから、搭載している潜水艦の艦長がこのような危険な深度にま
で、意図して潜入することはないであろう。伊四四潜の回天が発進していないとす
れば、四月十八日の戦闘は同艦ではなかった可能性が考えられる。
 

 米側が伊四四潜との交戦と記録している四月二九日の対潜水艦攻撃は、護衛空母
「ツラギ」から発艦した「グラマン・アヴェンジャー」雷撃機によるものである。
哨戒飛行中に浮上潜水艦を探知した雷撃機は急接近して航空爆雷を投下し、潜没し
つつある潜水艦に命中した。雷撃機は続けて聴音追尾魚雷を投下し、命中爆発する
音響を聞いた。
 地点は、北緯二四度一五分、東経一三一度一六分。沖ノ大東島周辺の南東に当たり
沖縄本島の南東二二○浬、沖縄とグァムを結ぶ線上にある。日本側戦史では呂四六
潜が沈没したとする交戦である。
 
 惨憺たる結果に終わった沖縄戦から帰還できた潜水艦は、回天搭載艦の多々良隊
では出撃の三日後早々に駆逐艇の爆雷攻撃で損傷を受け引き返した伊四七潜と、警
戒厳重のため泊地進入は困難と報告、中止命令を受けた伊五八潜の計二隻、非搭載
艦では、離れて哨戒任務に就いていた呂五○潜ただ一隻だけであった。
 米軍の徹底した対潜水艦兵器と戦術への認識が第六艦隊に薄く、既に大量喪失を
重ねて掛けがえのない潜水艦を、在来の装備のままで侵攻部隊を直接攻撃する局地
戦に、当初こだわったことが、無益な消耗を招いたと言えるであろう。
 
                                                                         (05.1.22)以上
 
資料:
 1.USS Collett DD-730 戦闘詳報        (潜水艦名不詳)
 2.USS McCord DD-534 戦闘詳報        (       〃      )
 3.USS Mertz DD-691 戦闘詳報         (       〃      )
 4.USS Tulagi CVE-72 戦闘詳報         (      〃      )
 5.USS Bataan CVL-79 戦記           ( 4.18 伊56 )
 6.US Destroyer Operations in WWU             (記事なし / 4.18 伊56 )
 7.US Naval Chronology of War at Sea in WW2( 4.29 伊44 / 4.18 伊56 / 4.5 呂41 )
 8.Submarines of Imperial Japanese Navy      ( 4.29 伊44 / 4.18 伊56 )
 9.Suicide Squads                  ( 4.29 伊44 / 4.18 伊56 )
10.The Japanese Submarine Force and WWU( 4.29 伊44 / 4.18 伊56 )
11.Axis Submarine successes of WWU Jorgen Rohwer (戦没月日記事なし)
12.日本海軍潜水艦史                ( 4.18 伊44 / 4.5 伊56 )
13.日本潜水艦戦史          坂本金美    ( 4.18 伊44 / 4.5 伊56 )
14.人間魚雷・回天の若人たち    鳥巣建之助  ( 4.29 伊44 / 4.18 伊56 )
15. 回天特攻担当参謀の回想    鳥巣建之助 ( 4.18 伊44 / 4.5 伊56 )
16.伊58潜帰投せり           橋本以行   ( 4.18 伊44 / 4.5 伊56 )
17.伊53潜航海長手記         山田 穣