昭和二十年二月十九日、米軍が突如、硫黄島へ上陸を開始した。金剛隊が出撃した
あと続いて比島周辺の艦船を攻撃する計画で整備、訓練中であった伊三七○潜は、僚艦伊
三六八潜とともに、急遽硫黄島水域へ出撃が決定。回天五基を搭載し、二月二一日光
基地を出撃した。
艦長藤川進大尉、搭乗員は岡山至中尉(海軍機関学校第五四期、宮崎県)
市川尊継
少尉(兵科四期予備士官、早稲田大学、新潟県) 田中二郎少尉(同、慶応大学、兵庫
県)
浦佐登一・二等飛行兵曹(第十三期甲種飛行予科練習生出身下士官、群馬県)
熊田孝一・二等飛行兵曹(同、福島県)の五名であった。(当時階級)
伊三七○潜は硫黄島周辺で、二月二六日黎明時に回天による攻撃を実施する筈であ
ったが、出撃後一切の連絡がなかった。三月二日第六艦隊司令部は状況報告を命じた
のに応答がなく、六日作戦を中止、帰還を命じたが、それにも応答がなかった。
二月二六日の未明、硫黄島で積荷を全部陸揚げしてサイパンに帰る輸送船九隻の船
団を駆逐艦など四隻が護衛して、速力十二ノットで之字運動を続けながら南下中であ
った。右前方の位置に就いて警戒していた米海軍護衛駆逐艦「フィンネガン」は日本
時間○四四五、水上捜索レーダーで右前方十六粁に艦船を探知した。位置を次々と記
録してゆき、目標の速力五ノット、針路五○度と判定した。命令を受けてフインネガ
ンは船団を離れ、速力を上げて目標の進路を遮るよう接近した。天候は晴、海上は静
穏で風速四米、月齢十四、日出時刻は○五五九であった。
○五二○、距離六.一粁になったとき目標は消えた。○五三○、その地点に到着し
てソナーによる捜索を開始、○五四二最初の反響を掴んだ。速力を十ノットに落とし
て捜査、目標の針路五○度、速力三ノットと測定してヘッジホッグ攻撃を開始した。
潜水艦の伏在位置をソナーで確認、最初の発射は○五五九、ニ四個の弾体を前方に一
斉投射したが、反応がなかった。○六○四、二回目のヘッジホッグ発射、やはり反応
なく、第三回の○六一四の発射も同様。○六三七の第四回も、○六五五の五回目もや
はり反応がなく、目標を見失った。
潜水艦がかなり深く潜航したと判断して爆雷攻撃に切替え、爆発深度を深々度に設
定して準備した。そのときの潜水艦の基本針路七十度、速力を三ノットと判定、距離
を一○○○米に開いた上、速力を一五ノットに上げて接近し、○七一三、爆雷十三個
を投射した。しかしこれも反応がなかった。
あと、潜水艦は針路を時折小さく変えていたが、現在針路一八○度と測定できた。
○七四一、二回目の爆雷攻撃を実行。またしても反応はなかったが、潜水艦が攻撃の
間、急激な運動を行っていたことが分かった。ソナーは失探したが、四分後に再探知
した。潜水艦が深度も度々変え、今は浅いところに来たと見て、速力を一○ノットに
落とし、ふたたびヘッジホッグ攻撃を開始、○八二四、第六回の発射をしたが、兵器
の不調のため効果がなかった。
ソナーが、潜水艦がまた深く潜航したことを示したため、三回目の爆雷攻撃に着手
した。しかし、○八五○には潜水艦が海面にかなり近いところにいると判断された。
全爆雷の起爆深度を急遽、浅く改調するにしても時間がかかるが、そのうちまた目標
が深く潜ったので、○九○○、爆雷を一斉に投射した。四分五一秒後、かなり深いと
ころに激しい爆発を感知した。ソナーにはいろいろな音響が入ったが、やがて何も聞
こえなくなった。海面にはその間、変化が現れなかった。
○九○八、重油と多数の断片が浮き上がってきた。その地点は北緯二二度四四分、
東経一四一度二六分であった。硫黄島の略真南、約一二五浬である。
護衛空母「ツラギ」搭載の「グラマン・アヴェンジャー」雷撃機が夕刻、支援に飛
来し、聴音ブイを投下して捜索を続けたが、何も探知できなかった。
木片は木甲板と見られる裂けたばかりの板切れが多数あって、付いていた鉄ボルト
の断面は真新しく、切断されたばかりであった。また、板の破片に鉛筆で文字が書か
れていたことは、海水に洗われる外舷にあった板ではなく、艦内部の木材であること
を示していた。日本文字を記入した木片から、潜水艦の艦名がサイパン入港後、確認
された。
この位置は硫黄島周辺と言うよりも洋上であるが、たまたま硫黄島とサイパン島を
結ぶ輸送船団の常用航路の上という不運があった。シュノーケル装置を持たず、進出
と充電のためには毎日、夜間に浮上し航走しなければならない「潜水艦」である。そ
の故に、遭遇した護衛船団の前方警戒網にレーダー探知されての交戦となった。
○四四五の初探知以後、○九○○まで四時間以上にわたる戦闘であった。その間、
伊三七○潜の艦長は針路、深度、速力を種々に変換し、任務達成のために懸命の努力
を続けて回避につとめたと察せられる。攻撃した護衛駆逐艦は一隻であっても、レー
ダー、ソナーの性能と運用の優秀牲、加えて撃沈を確認できるまで攻撃を続ける執拗
さの前に、長時間の戦いののち遂に伊三七○潜の天運は尽きたものと推察される。
第六艦隊司令部は戦闘詳報に回天特別攻撃隊(伊三六八潜および伊三七○潜)
の功績として「昭和ニ○年二月二六日、硫黄島攻略部隊敵有力艦船を同島付近に
奇襲し、回天の体当たり攻撃を以て多大の戦果を収め、作戦に寄与するところ極めて大
なり。その武勲顕著なりと認む」と記載した。
(04.9.16) 小灘
参考書科
1.USS Finnegan DE−307 45.2.26 戦闘詳報
2.US Destroyer Operations in WWll :S.
Roscoe
3.History Of US Naval Operations in WWll :S.E. Morrison
4.US
Navy Chronology of War at Sea in WWll
5.先遣部隊(第六艦隊)戦闘詳報第三十号 回天特別攻撃隊千早隊の戦闘