全国回天会資料 >> 回天搭載潜水艦の交戦状況 各隊出撃資料




  金剛隊伊五六潜の戦闘




 回天金剛隊作戦に参加した潜水艦6隻のうち、一番遠い攻撃地点はラバウルの北
西に位置するアドミラルティ諸島マヌス島の米軍の戦略的要衝、セアドラー港であ
った。この地を担当した伊号第五六潜水艦は最も早く昭和19年12月22日、甲板上に
総員集合して第六艦隊司令長官三輪茂義中将の訓示を受けたのち1300大津島基地
を出撃した。
 艦長は森永正彦少佐、搭載回天4基の搭乗員は柿崎実中尉(兵学校72期)前田肇
中尉(兵科三期予備士官)古川七郎上曹(水雷科下士官)山口重雄一曹(同)であ
った。当初20年1月11日が一斉攻撃を決行する期日であったが、1日延如して12日
の黎明時と決定された。
 
 突入の前日11日、伊56潜は陸岸を確認した上で反転し北上、50浬離れた地点で
2300浮上、進路180度、第三戦速で充電しながら水上進撃を開始した。セアドラ
ー港の入口10浬まで接近し甲板上から搭乗員が乗艇、あと潜航進出して湾口の手
前5浬で、陸地を確認して位置を正確に測定した上で回天を発進させる計画であっ
たという。
 しかし浮上航走中、湾口の手前35浬の地点で早くも潜水艦警報「S連送」の放
送が始まり、伊56潜も対空電探が飛行機を探知したので急速潜航した。幾隻もの哨
戒艇の音源が聞こえるなか、回天発進のため湾口までせめて15浬のところまで近寄
りたいとつとめたが危険、且つ潜航進出では黎明発進に間に合わないと判断して中
止、突入を一日延期することに決めて反転し、北へ避退した。
 12日夜、伊56潜は湾外60浬で浮上、水上航走で南下接近中、湾口40浬圏に入
った頃から対空電探と逆探に感度があり、S連送が又もや始まった。レーダー電波
を探知した5分後には大型機、小型機が滑走路を飛び立つ交信を傍受した。潜航し
て針路180度で湾口へ向かったが、哨戒艇の音源が聴音に入って途絶えない。艦長
は止むなく突入を打ち切り、北上した。
 
 13日0230に潜没して以来潜航したままであったが、14日夜艦長は敢えて突入を
企図し、潜没中に艦首を南に向けた。忽ち哨戒機、警戒艦艇が出動してきて、聴音
の感度がいつまでも消えず、40時間を起える苦闘の潜航となった。艦内の空気は
呼吸できる限度一杯に近づき、遂に伊56潜は回天の発進を断念し、再起を図ること
にして帰途についた。
 第六艦隊司令部は13日「14日黎明までに攻撃の機を得ざる艦は中止、呉帰投を命
ず」と打電していた。16日、伊56潜は制圧を受け不成功の旨を報告、これに対し第
六艦隊は18日、同艦へ「耐久試験の見地から回天を搭載したまま帰投するよう」命
令した。
 
 セアドラー港は広大な泊地が広がる天然の良港である上、米軍がニューギニア北
岸各地の日本軍拠点を連続空襲し、また上陸して次々と攻略し西進するのに効果的
な位置を占めており、且つラバウルを孤立させる要にもなった。米陸海軍はここに
一大根拠地を建設し、飛行場は太平洋戦域では最大級のものであった。比島に侵攻
する前、米国の艦隊、上陸部隊がこの港内一杯に集結した。在泊艦船の総数は998
隻に達したという。

 弾薬輸送艦マウントフッドの大惨事

 菊水隊が初攻撃を決行した日の丁度10日前、11月10日の朝この港で大事件が発生
していた。その日は約200隻が碇泊中であった。米第七艦隊の真ん中に、就役後四
カ月の新鋭大型弾薬輸送艦マウントフッドが投錨して各種の砲弾、爆弾、爆雷、ロ
ケット弾、ナパーム弾などの火薬類を各艦へ多数の小型船を使って配分していた。
その弾薬輸送艦が突如、大爆発を起こしたのである。
 積載していた3,800トンの弾薬が炸裂し、茸状の煙が二千米の上空まで立ち昇っ
た。満載排水量13,855トンの艦全体が跡形もなく粉々になって飛散し、周囲の艦
船の上に大小の破片となって降り注いだ。跳び出したロケット弾が離れた艦に命中
した。合わせて数百人が死亡、死傷者約千人にも及ぶ大惨事となった。
 このとき「日本の小型潜航艇が港内の水面に小さな司令塔をあらわし魚雷1本を
発射、マウントフッドの横腹に命中して大爆発が起こった。続いて向きを変え、別
の輸送船に魚雷を発射したが、これは逸れた」という目撃者?がいた。幻覚であろ
うが、甲標的が開戦時、真珠湾に進入した事実が米軍内に良く知られていたことか
ら連想したと思われる。原因を調査した結果、火薬の取扱が粗雑であったとして後
日決着がついたという。
 周辺海域の捜索が行われたが、日本の潜水艦が存在した形跡は確認できなかった。
目撃情報を信じたかどうかは別として当然、米軍は対潜警戒を強化する必要を認識
し、事故現場であるこの港は格別に厳重であった。日本側はこの異変を知らなかっ
たであろうが、差し向けられた伊56潜が繰り返し湾口に接近しようとして遂に果た
せなかったのは無理もない。

 伊56潜は2月3日大津島基地に帰着した。呉の第六艦隊司令部で7日に金剛隊作
戦の研究会が開催され、同日4人の回天搭乗員は退艦して大津島へ傷心の帰還をし
た。伊56潜の艦内で過ごした往復の日数が44日にも及ぶ、陽の目を見ない航海であ
った。

                                              (04.2.20) 小灘

注1:アドミラルティ諸島 Admiralty Islands
   マヌス島      Manus Island
   セアドラー泊地  Seeadler(2°S 147°E ドイツ語 ゼーアドラー 海の鷲)
   マウントフッド   USS MOUNT HOOD AE-11 (弾薬輸送艦)
注2:伊56潜艦長 森永正彦少佐 水雷長 森田隆司大尉 航海長 木村八郎大尉
      乗組 田口英夫中尉 機関長 伊藤久三大尉 乗組 宇佐美篤中尉
   同艦は本作戦の前10月、比島東方海面で戦果を挙げ全魚雷を撃ち尽くして
   帰投した。