(2003年7月26日〜27日)
メンバー: L中谷、國保、西名、磯辺、甲谷
マッチ箱のピーク手前をのぼる、西名さん。手前の赤いヘルメットは國保さん。白いヘルメットは私。(中谷さんが撮影したカットを借りました。)
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これは10年位前に登ったとき中谷さんが撮ってくれた私の写真。
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前夜野宿の疲れも見せずおどけたポーズで記念撮影。 |
バットレス4尾根は、10年ほどまえ登って以来2度目である。
7月末まで夜叉神峠から広河原の間は通行止めとのこと。そのため身延を経由し、奈良田から野呂川沿いの林道を利用して広河原へ入る予定で、25日深夜海老名を出発する。
しかし、集中豪雨で奈良田と広河原間は通行止め、奈良田で夜中足止めを食らい、広河原に到着したのは、26日朝8時を過ぎ、遅い出発となった。
7月26日 天候:晴れのち曇り
広河原を出発するときは、前夜のドシャブリが嘘だったかのような、晴天。北岳の稜線もくっきりとのぞめる。
メンバー5名のうち、磯辺さんだけは尾根ルートから北岳を越え北岳山荘で合流することを申し合わせ大樺沢二俣で別れた。
その際、我々のテントを担ぎ揚げてもらうことになった。 大樺沢二俣から雪渓を少しばかり登って、バットレス沢右岸の支尾根を1時間くらい登り、左手の雪渓(C沢か?)を渡り、対岸の支尾根を登って5尾根支稜末端に到着した。
5尾根支稜末端で登攀具を身につけ、トップいつもどおり中谷さん、以降甲谷、國保、西名の順で続く。
4稜取り付きのテラスまでは、途中Cガリーへでるバンドのトラバースを含め5ピッチでたどり着いた。そのときはすでに午後1時を過ぎていた。
4稜取り付きの1ピッチは、スラブの真ん中に走っているクラックに足をねじ込もうとしたが、中途半端でなかなか決まらない、右のカンテに逃げようかと手を伸ばしても届かず、結局手の甲と足のフリクションを頼りに何とかフェースをクリアした。
その後は、浮石も少なく快適なリッジを3ピッチほど登りマッチ箱のピークへ到着した。晴れていれば豪快な景色が望めるはずだが、ガスの中の登攀となってしまったのは少々残念。
マッチ箱のピークからは10メートルほどDガリー側に空中懸垂で小さいテラス(昔あったマッチ箱のテラスの名残)へおり、そこから3ピッチで登攀終了点のハイマツ帯へたどり着いた。時間はすでに6時を過ぎヘッドランプをつけての登攀となっていた。
ハイマツ帯のふみ跡をヘッドランプで探りながら縦走路に出て、磯辺さんが待っているはずの北岳山荘めざし縦走路をくだる。暗闇の中の行動でスピードが稼げず北岳山荘についたのは午後10時近くになっていた。
そして小雨の降る中、北岳山荘のテント場について磯辺さんを探すが見つからない。仕方なく4人それぞれテントマットなどをまとい、野ざらしで一夜を過ごす。
7月27日
天候:曇りのち晴れ
寒さと夜露で冷え冷えになった体に、明るい旭がありがたい。というより、すがすがしい朝を迎える。
計画では、間ノ岳をピストンする予定であったが、取りやめ北岳へ登り返すことにした。 北岳山頂で少し休憩した後、くだりにかかってすぐ磯辺さんが登ってきた。
事の成り行きを確認してみると、磯辺さんは宿営地を北岳山荘ではなく北岳肩の小屋と勘違いしていたようで、以降平身低頭の態であった。
広河原へ下山後、奈良田までの林道が開く午後2時まで濡れ物を乾かしながらくつろぐ。