環境行政に関する意見


「土地収用法の一部改正に関する私案」に対する意見(2001年1月29日)

最高裁の支離滅裂(1999年8月27日)

川崎公害訴訟判決を道路行政に活かすために(1998年8月17日)

環境影響評価法技術検討委員会に対する意見書1997年9月10日)

問題はアセス法の制定だけでは解決できない1996年8月)

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「土地収用法の一部改正に関する私案」に対する意見

2001年1月29日   

(国土交通省へ提出)

土地収用法の改正が公共事業を合理的に推進するために必要だという考え方には納得できる.しかし,公共事業の不合理性は土地収用法の改正だけで解決できる問題ではない.むしろ公共事業の根拠法規に問題があるのであって,土地収用法の改正は,それらをきちんと整理してから後の,最後に行なうべきであって,現時点における改正は,公共事業に対する批判が高まっている現状に逆行する暴挙といわざるを得ず,反対せざるを得ない.

以下,ここでは都市計画法に基づく土地買収を例に,具体的に問題点を指摘する.

都市計画法に基づき都市施設をつくる場合,事業認可の段階で土地収用法による事業認定がなされたものとみなされる.仮に,土地収用法の事業認定までの過程で,公聴会や意見の集約が行なわれ,本当に事業を進めるに足る公共性があるのかどうかの判断が適切に行なえるようになったとしよう.そうなっても,都市計画法により事業が行なわれる場合には,そうした判断が適切に行なわれないまま,土地収用手続きだけは今までよりはるかにスムーズに進むこととなってしまい,結局,無駄な,無意味な公共事業がこれまで以上に増加してしまうことにつながるのである.

問題は,良好な都市環境をつくるという高邁な目的を掲げた都市計画法に,都市計画の合理性を適切に判断する手続きがないことによる.道路を作る時に沿道住民のことを一切考える必要がない都市計画法で,良好な都市環境を作ることなど不可能である(平成8年(行ツ)第76号 都市計画事業認可処分等取消請求事件,平成11年11月25日 最高裁判決).都市計画法における公聴会,説明会は,その開催すら義務ではないし,実質的な意味は全くない.

土地収用手続きで問題となるのは,事業に反対の立場の市民が事業地にトラストを設置することが収用手続きの著しい妨げになっていることが上げられよう.しかし,現行のどの法律も事業の公共性,正当性をきちんと議論し,確認していく場は確保されていない.事業の不当性を訴えるには地権者となって行政訴訟を起こすしか道は確保されていないのである.生命,財産を脅かされる可能性がある人であっても,地権者でなければ訴訟を起こすことができない日本の裁判制度はそれはそれで問題だが,そういう人の利益をも守るような形で事業の根拠法規,例えば都市計画法を改正することが先決である.それなくして土地収用法だけを改正しても無意味である.

以上,現時点では関連法規を含めた議論があまりに不十分であり,土地収用法の改正は大幅に延期すべきである.

 

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最高裁の支離滅裂

1999年8月27日

(某MLへの投稿)

私たちの運動の法律顧問ともいうべき東海大のK先生から,原告適格に関してこれまでの判決をさらに後退させるような最高裁判決がでていることを知らされました.

専門的な話で,私自身,充分消化して解説する力がないのですが,日本の法律が環境ということをどのようにとらえているのか知ることができる重要な意味をもつと思いますので皆様に紹介いたします.

公共事業の取り消しを求めるには行政訴訟ということになります.この訴訟を起こせるのは「法律上の利益を有する者」に限られます.この法律上の利益を有する者とは,一般公益としての利益ではなく,当該行政処分により,その法律で保護された個々人の個別的な利益を侵害される恐れのある人のことをいいます.

私たちのような道路周辺で被害を受けることになる住民が主張する利益は,あくまで一般公益であって,法律上(私たちの場合は都市計画法)保護された利益ではないから,原告になることができない,原告適格がない,というのが1審,2審の判決でした.つまり都市計画法は一般公益として良好な都市環境を作るのが目的であって,道路周辺住民の利益を特別に保護している訳ではない,というのが東京高裁の解釈です.

現在最高裁に上告中で,この解釈については決着していません.

最高裁の新しい(昨年12月ではありますが)判決は,パチンコ店の風営法による営業許可を周辺住民が取り消しを求めることができるかどうかを争った事件です.

最高裁判決は,風営法の風俗営業の許可に関する規定は,一般公益の保護を求めたもので,個々人の個別的利益をも保護すべきとする趣旨ではない,として原告適格を否定しました.

つまり,パチンコ店の近くの人が,はるか遠くの人に比べて特別に保護されるということはなく,一般公益として環境の保護をめざしているに過ぎない,というのが解釈です.

パチンコ店の営業に関しては,過去に原告適格が認められた例があります.それは一般住民ではなく,診療所が原告になったケースです.診療所は「特にその周辺における風俗環境を保全する必要がある特定の施設」にあたり,概ね100メートルの区域内の地域を風俗営業の制限地域とするよう基準が定められているから,個々人の個別的な利益が法律上保護されているのだといいます.

一方,行政訴訟で住民の原告適格が認められたケースとしては,新潟空港訴訟,もんじゅ訴訟があります.

新潟空港では騒音防止,もんじゅ訴訟では事故による災害防止の観点から原告適格を認めていますが,それぞれの根拠法規において,パチンコ店の営業許可における診療所のように,特別に一定地域の住民の利益を特別に保護するような規定はありません.にもかかわらず原告適格が認められているのは,騒音防止,災害防止はある面では一般公益ではあっても,被害を受ける人の範囲はおのずから決まっていて,それらの人は他と区別することができるから,特別に保護されているということができるからだと解釈されています.それにより原発から58キロも離れた人の原告適格が認められているのです.

道路だっておなじことではないか,というのが私たちの主張です.

その意味ではパチンコ店だって,被害を受ける人達の範囲はおのずから決まっており,それらの人達を特別に保護していると解釈することだってできるはずなのです.

最高裁判決は支離滅裂で,解釈不能です.

 

やや論点が異なりますが,川崎でマンション開発許可をめぐる訴訟で付近住民の原告適格が認められています.崖地の開発により一定範囲の住民が個別具体的に被害を受ける可能性があり,都市計画法では開発における災害発生の防止をうたっているからです.

一方,道路などの公共事業はもっぱら公共の利益をめざすものですから,その事業による被害の防止に関する規定はありません.つまり,良いことをしているのであって,被害などありえないのだ,というのが法律の立場です.

だから訴訟では,都市計画法が求める良好な都市環境とはすべて一般公益なのか,それとも都市施設周辺の環境は特別に保護しているのか,というようなことが議論になるのです.

公共事業といっても,というより公共事業だからこそそれだけ大規模なものとなり,その周囲の一定範囲ではさまざまな被害が生ずるのは当然のことであって,それを保護していない各種の法律というのは一体どういうことでしょうか.

アセス法は,本来環境の保全という観点が含まれない法律による事業にも環境保全を事業認可の要件とさせるという意味がありますが,環境保全という視点の含まれない(あるいはそう解釈されている)法律が多すぎます.良好な都市環境を作るための都市環境ですらそうなのですから.

アセス法などなくても,どのような法律に基づくどのような事業でも,環境の保全は当然のことであるべきではないでしょうか.

 

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川崎公害訴訟判決を道路行政に活かすために

1998年8月17日

(某紙への投稿・没)

 

長年にわたって公害病に苦しんで来た川崎の方々の訴えが認められた.公害道路と闘っている仲間として心から祝福し,かつこの先進的な判決を勝ち取ったことに感謝したい.この判決は,道路沿道では公害が発生するという事実を認め,道路管理者がその責任を負うべきであるという当たり前の判断を下したもので,国道43号線訴訟,西淀川訴訟判決の流れを一層明確にしたものとして高く評価される.極めて遺憾なことに国と首都高速道路公団は18日に控訴した.都道環状六号線を拡幅し,その地下に首都高速道路中央環状新宿線道路を建設する事業をめぐる我々の行政訴訟に対する判決(1995年9月28日,東京高裁判決.上告中)と照らし合わせると,そうした行動は容易に予想されることであり,道路行政の健全化への道は遠いと思わざるを得ない.

我々の裁判は道路事業予定地周辺住民がその事業の差し止めを求めて起こしたものである.判決は単純明快,道路周辺住民には原告適格がない,つまり門前払いである.

道路建設の多くは都市計画法の下で行なわれる.訴訟を起こすことができるのは都市計画法の中での関係者だけである.我々のケースでは事業認可・承認処分を行なった建設大臣と,その相手の東京都と首都高速道路公団が直接の関係者だが,それ以外に,その処分により必然的に影響を受けるものとして法律上保護されている場合は関係者として訴訟を起こすことができる.例えば,土地建物の収用対象者は確実に認められる.道路周辺の人も,道路ができれば必然的に環境悪化の影響を受けるのだから利害関係人となりそうだが,そうではない,というのだ.

都市計画法は良好な都市環境を作るための法律である.しかしこの法律でいう良好な都市環境とは一般公益のことであって,個別具体的な利益を保全してはいないのだという.つまり,道路沿道の良好な環境を特別に保全する必要はないのだから,道路周辺被害を受けるからといって保護の対象外であり利害関係人ではないのだという.身体,生命の保護は一般公益というにはあたらない個別具体的なことであり,都市計画法の保護の対象である,という我々の主張に対しては,良好な都市環境にはの身体,生命の保全は含まれていない,と断定している.

このように,道路建設の根拠となる都市計画法では沿道環境保全の思想が全く欠如しているのである.良好な都市環境を作る法の下でこの有様だから,この法律によらない,つまり道路法による道路作りでは何おかいわんやである.川崎公害訴訟判決とは真っ向から対立する考え方で道路は作られているのである.

実際の事業を見てみよう.環状六号線拡幅事業は環境影響評価がなされていない.計画は昭和25年に決定され,当時そうした条令がなかったから不要だという.しかし,1995年7月の国道43号線訴訟最高裁判決では,被害を予見し,回避するのは事業者の義務であるとした.それを受けて我々は東京都に対し条令解釈はともかくとして,なんらかの形で環境への影響を予知するよう強く求めたが,都は法律上はその必要はないとして断固拒否した.

地下高速道路では,環境庁長官が換気孔への大気浄化装置の設置を検討するよう求めた.地元自治体も加わってその声がますます大きくなっているが,これもいっこうに認めようとしない.被害の回避義務を放棄した形だが,道路建設の根拠法規たる都市計画法が沿道環境への配慮を求めていないからである.

このような法律解釈,そして事業の実体があるにも関わらず,道路沿道住民には病を,そして死を甘んじて受け入れなければならない理由などないことを,川崎公害訴訟判決は明確に示している.必然的に人々に健康被害を与える事業など憲法上も違法な事業であるから,当然のことなのである.都市計画法にいう良好な都市環境には道路沿道環境の保全は含まれないなどという都市計画法の解釈は成り立ちえないのである.法律を曲解し,公害を発生させるのは道路ではなく自動車であるなどとうそぶきながら,いまなお公害道路を漫然と作り続けている建設省始め,地方自治体,道路公団等の道路事業者は厳しく断罪されなければならない.そうでなければ苦しい闘いの末に勝ち取った川崎公害訴訟判決も今後に活かされることはないだろう.

 

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環境影響評価法技術検討委員会に対する意見書

1997年9月10日提出 

 

 環境影響評価(以下アセス)法の制定過程で、これまで道路建設に伴う条例に基づくアセスの実態を被害を受ける地域住民の立場から体験したことに基づき意見を述べてきたが、残念なことにこうした現場の声を一切無視した法律が制定されてしまった。このたび技術的な検討を行うに当たっては、抜け穴だらけの法律を何とか実のあるものとするため、最大限の努力を払ってほしい。資料に当たって具体的な意見をまとめている余裕がなく、取り止めのないものとなってしまうが、自治体が公共事業を行う場合を想定して、以下のような意見を述べるので検討していただきたい。

1.アセスの対象事業

 アセス法は本年ようやく制定された。この場合、法の制定以前に策定された計画をどこまで対象にするかが極めて重要である。たとえば東京都における都市計画道路の主要なものは昭和22年の戦災復興計画を昭和25年に手直ししたものに基づいているが、その多くはまだ完成しないままになっている。半世紀も前の都市計画であっても法律的には有効であるから、東京都はアセスを一切行うことなく、ある日突然事業の認可に向けて手続きを進めてきたのである。これが許されるなら、いくら良いアセス法ができても無意味である。ぜひともその点抜かりなきようお願いしたい。

2.中立性の確保

これまでのアセス手続きでは、どのようにその欺まん性を科学的に論証しようともアセスの不当性を認めて撤回させた例はなかっただろう。いったん言い出したことは絶対に変えないのが事業者、すなわち自治体である。(この点、批判者といえどもお客さんという私企業とは異なる。)中立の立場の第三者によるアセスを、という切実な声が無視された今、アセスの審査委員に大きな権限を与えて何とかアセス手続きの中立性を保たなければならない。

3.民主性の確保

 これまでアセス手続きが民主的に行われてきたことはなかった。都市計画事業の場合、その決定手続きの過程で議会での議決を必要とする場面がなく、密室の中で非民主的に決められる。極めて形式的な意見書徴集と公聴会、そして行政の都合の良い人員で構成される都市計画地方審議会が民主性の証しらしい。こうして決められた公共事業により人々は健康が害され、殺されるのである。せめてアセス審議会の傍聴を許可し、審議過程を透明化するなどにより、人々の納得の行く民主的な手続きにしていただきたい。

4.事業者の意識改革を促すアセスの実施を

 たとえば東京都は、アセスの対象外とされた事業は、環境への影響を配慮する必要はない、と考えている。具体的には、昭和25年に都市計画決定され、アセス条例の対象外となっている都道環状六号線拡幅事業(22m,4車線を40m,6車線にする)について、大気汚染や騒音・振動におよぼす影響を予測してほしい、という住民の要求に対し、それはアセス条例の適用外の事業に対して条例の実施を求めるものである、として拒否した。この事業により健康を害され、殺される(すでに公害病に認定されているような人にとっては決して大袈裟な表現ではない)人々の切なる声を無視するのである。アセスの実施だけが環境配慮ではない。アセスの対象外の事業、対象外の項目はいくらひどくてもかまわない、というものではない。事業者の意識改革を促すようなアセスの指針を策定してほしい。

5.科学性の確保

 首都高速道路中央環状新宿線、圏央道のアセス、名古屋市の藤前干潟におけるゴミ最終処分場建設事業アセスにおける工事用車両による影響、など、多くのアセスにおいて二酸化窒素予測手法に明白な理論的な間違いがある。二酸化窒素のバックグラウンド濃度に自動車からの寄与濃度を足しあわせることは理論的にできない。なぜなら自動車からは一酸化窒素も排出され、それは2酸化窒素と可逆的に変わるからである。こんな単純な誤りを含むマニュアルが建設省や道路協会からだされているのである。アセスの手続きの過程で、そうした誤りを指摘しても訂正されたことはない。公的機関からのマニュアルは絶対である。審査する委員の先生方の能力に問題があり、指摘を理解するより、マニュアルを信じるほうが楽なのかもしれない。しかし、こんな委員では科学性は確保できない。多くの人々はアセスの誤りを直感的に見抜く。評価基準が0.06ppmのとき、0.057とか0.059といった予測値が並んでいて、決して0.06を超えないのを見ればそこに作為を読み取るのは当然である。が、審査は問題なくパスする。科学性をいかに確保するか。これまでの多くのアセスの事例を学ぶ必要がある。事業者は常にうそをつく。住民はその度に的確に批判している。にもかかわらず審査はパスし、環境影響の極めて大きな事業が、影響は小さい、として環境への配慮もないまま実施される。問題は審査方法だろう。

6.地域の特殊性の配慮

 法律の制定により、アセス条例の立場が微妙になってきた。アセスの対象となる事業が行われる地域には、それぞれ特異な事情がある。である以上、そうした地域の特殊性には最大限に配慮しなければならない。条例こそ優先されるべきなのである。名古屋市の藤前干潟におけるゴミ最終処分場建設事業においては、厚生省の要綱に基づくアセスが行われた。厚生省アセスの技術指針によれば、二酸化窒素の評価基準は環境基準となっているが、名古屋市の場合0.06ppmである。しかし、名古屋市では公害防止条例により0.04ppmを環境保全目標に定めて、環境保全の施策が行われている。現に0.04ppm台のこの地域で、アセスを0.06ppmを基準に行うとどういうことになるか。0.06ppmまでは汚してもかまわない、ということでどんなにひどい事業でも問題ないことになってしまう。つまり、基準を一律に環境基準と決めたことにより、地域の特殊性は無視されてしまうのである。どのように環境保全を図るべきかが地域の状況によって変わってくるというのは当然のことだろう。許容度が大きい基準にしてほしい。

7.抜け道のないアセスを

 光化学スモッグ、浮遊粒子状物質などは、ほとんどのアセスで無視されている。予測が困難だからだという。しかし、不可能なのではない。精度が低いだけなのである。他の、たとえば二酸化窒素では精度が高い予測ができるかといえば必ずしもそうではない。考えられる影響は確実に予測し、評価するように、抜け道をつくらせないようにして欲しい。最も危険な大気汚染物質が予測からもれているアセスなど無意味である。

 

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問題はアセス法の制定だけでは解決できない

―中央環境審議会アセス制度ヒアリングでの発表原稿―

1996年8月

 道路建設問題を通じて私が個人的に現実のアセスとつきあってきた経験から,アセスのありかた,そしてアセス制度だけでは解決しない問題について素人ながら意見を述べたいと思います.

 

 私の意見の主旨は,アセス制度をいくらいじってもそれだけでは解決しない,事業の根拠法規そのものの見直しこそ必要である,というもうのです.

 

 まず最初に,私のアセスとの付き合いについてです.

 私が直面しているのは,東京の環状六号線(通称山手通り)のうち,豊島,新宿,中野,渋谷,目黒を通る部分を約10kmにわたって現在の22m,4車線から,40m,6車線に拡げて,その地下に4車線の首都高速道路中央環状新宿線を建設しようという巨大な事業です.この道路計画のアセス手続は1988年の7月から1990年7月まで行なわれました.私が道路反対運動に本格的に足を踏み込んで,公害審査会への調停申請,道路建設取消しを求めた行政訴訟へとつき進んでいったきっかけは,この時のとんでもないアセスに接っしてしまったことにあります.

 

 アセスの実際がいかにひどいものなのか,おそらく多くの発言者がそのことを訴えると思います.私も言いたいことがいくらでもありますが,時間がありませんので,ここではごく簡単に触れることにします.

 私たちが問題にしている道路の場合,環六拡幅のアセスを行ないませんでした.この道路は昭和22年に都市計画決定され,昭和25年に都市計画の変更決定がなされた事業で,既に都市計画決定済だから,アセスの対象外であるというのです.東京都条令の,アセスの縦覧後,着工までに5年以上経過した場合の再アセス制度が「環境影響評価制度総合研究会報告書」に紹介されています.その期間に環境自体にも変化が生じ、予測評価の前提もくずれることが予想されるからです.しかし実際にはそんなきれい事ではありません.戦後まもない頃に決定し,その後40年以上も着手しなかった事業についてすら対象外にしてしまう,というのが実際のアセスの運用なのです.

 地下高速道路についてはアセスが行なわれました.しかし首都高速道路公団が行なったこのアセスでは,手抜き調査,非科学的な予測,データの改竄等による徹底的なごまかしが行なわれました.このように,事業者はなんとかして,できるだけ安易にアセスをクリアーしようとします.今後の中央環境審議会でのアセス制度の議論においては,文面上のアセス制度ではなく,現実のアセスの実体を充分に見極めて議論を深めて言ってほしい,この点をまず第1にお願いいたします.

 

 アセス法ができれば少しは改善するかもしれません.また,アセスを事業者ではなく,第3者に行なわせることもぜひ必要なことだと思います.その他,様々な改善法があると思います.しかし,それだけでは解決しないと思います.どんな制度の下でもなんとかごまかそうとするでしょう.むしろ事業の根拠法規の中にもっと本質的なものあるからです.次にその点について,これらの道路建設の差し止めを求めた行政訴訟で明らかになった問題点から意見を述べます.

 この訴訟は一審,二審で住民側敗訴,現在最高裁に上告中という段階です.周辺住民の原告適格は否定され,立ち退き対象者の主張は退けられました.

 この裁判の対象となる事業の根拠法規は都市計画法です.都市計画事業におけるアセスは,建設省都市局長通達により位置付けられ,都市計画を定める手続等により行なうものとする,とされています.しかし,都市計画法の都市計画の決定にいたる手続を定めた規定の中にはアセスの位置付けがありません.つまり都市計画を決定し,事業を行なう中で,アセスはなんらの法律的な裏付けがないこと意味します.

 東京都条令で行なわれたアセスの場合,条令に罰則の規定があり,違反したことの制裁はその範囲で留まるから,都市計画の取消し原因にはならないというのが私たちが受けた判決です.アセスが法律となっても同じではないでしょうか.アセス法に罰則規定が設けられて違反した場合の制裁が課せられるということで,都市計画決定の手続には影響がないということが想像されます.現行の都市計画法のままでは,都市計画決定後にアセス法違反が明らかになっても都市計画の決定は取り消しにはならないのではないでしょうか.つまりアセスを実効性あるものとするには,都市計画法の改定こそが重要だと考えます.

 

 さらに,私たちの裁判では,道路沿道住民の訴えそのものを退けられましたが,その理由の中に,都市計画法の基本的な性格そのものの問題点が見えてきました.

 都市計画法は「都市の健全な発展と秩序ある整備を図り」,「健康で文化的な都市生活及び機能的な都市活動を確保する」ための法律です.都市計画法にこのような高邁な目標があるにもかかわらず,判決では,都市計画法は都市施設周辺の環境を個別具体的に保護するという規定はないのだ,といいます.法にいう良好な都市環境とは、一般に、交通、衛生、治安、経済、文化、生活便益等都市における広範な生活環境を総称するもので,都市施設の付近住民の生命、身体を保護する趣旨は含まない,と述べています.このくだりは衝撃的でした.こういう法律で事業が行なわれる以上,まわりで何をいっても無駄だと悟りました.都市計画法の事業地周辺環境の保全を目的とするアセスと,真っ向から対立するものなのです.これまでの都市計画事業において常に周辺住民の反発を買いながらも強引に事業が進められてきましたが,ここにその理由がうかがえるのです.

 

 こうした問題はアセス法の制定だけでは解決できません.どのように立派なアセス法ができても都市計画法とは本質的に結びつかないのです.解決法はただ一つ,都市計画法においても事業地周辺の環境配慮を義務付けることです.何を今更と言うような当たり前のことですが,この当たり前のことが当たり前ではなかったのです.今後の議論の中では,都市計画法を始めとする事業の根拠法規の中に環境配慮の義務を盛り込ませ,アセスをしっかりと位置付けさせる,という目標に向けて充分な議論と,関係機関への力強い働きかけをお願いしたいと思います.それができれば私たちの敗訴判決も無駄ではなかったと評価されるようになると思います.ぜひよろしくお願いいたします.

 

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