藤前干潟廃棄物最終処分場問題に関する発言集


藤前干潟環境影響評価書に対する意見(1998年9月6日)

アセス審査会第2分科会とりまとめ案に対する意見書(1998年2月18日)

藤前干潟アセス公聴会(第3回)での発言(1997年8月9日)

藤前干潟アセス公聴会(第1回)での発言(1997年5月10日)

環境影響評価準備書に対する意見書(1996年9月5日)

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藤前干潟環境影響評価書に対する意見

(名古屋市港区地先における公有水面埋立及び廃棄物最終処分場設置事業)

名古屋市長 松原武久殿

1998年9月6日  

 

 これまで,準備書に対する意見書,公聴会での意見陳述,見解書に対する意見書等を通じて本件環境影響評価書(以下,アセスと略す)における大気汚染予測の欺瞞性を指摘してきた.しかし,最終的なアセスが提出される段階になってもそれらの指摘になんら誠意のある回答が得られていない.これはアセス制度そのもののが形骸化していることを端的に示しているものであって,このようなアセスを容認し,ひたすらに事業を推進しようとしている名古屋市は,もはや当事者能力を欠いているものといわざるを得ない.

 以下,これまでにも述べて来たことの繰り返しも含まれるが,再度,アセスに基づいて大気汚染に関する意見を述べると共に,より広い視野に立ってこの事業を見たとき,名古屋市長がいかに大きな罪を犯そうとしているのかを指摘することにより,事業の見直しを強く求めるものである.

 

T.本件事業による大気汚染の悪化を容認したアセス手続きは無効である

(1)二酸化窒素に関する環境保全の目標は誤りを容認したアセスは無効である

 名古屋市における二酸化窒素の環境基準は0.06ppmである.0.04ppm〜0.06ppmのゾーン内またはそれ以下,というあいまいなものではない.1978年に環境基準がそれまでの0.02ppmから現在のように悪化され,法律の文言上はそのような表現になっているが,それに基づき地域ごとに基準が決められているのであり,それは別表の形で文書になっているのである.私自身,1996年7月にアセス準備書を名古屋市役所で閲覧した際,名古屋市環境保全局の職員にその文書を示してもらい確認しているのである.事業者も私の主張が分からなかったのなら,保全局で確認すればすむことなのである.再三にわたるこの指摘に正しく対応しなかった事業者にはアセスを行なう資格はない.

 環境保全の目標は名古屋市公害防止条令に定められた環境目標値とすべきである.なぜなら,本件事業は名古屋市によるものであり,名古屋市の条令で別途国の環境基準より厳しい環境目標値が定められているのであるから,この目標値で評価しなければ行政の一貫性を欠く不適切なものといわざるを得ないからである.

 アセスにおいては「名古屋市公害防止条令による環境目標値についても配慮する」としている.しかし,そうした配慮は全くなされていない.アセス付属資料119頁〔31〕〔32〕によれば,事業者は名古屋市のこの環境目標値を既に超えていることは認識している.その上で,本件事業,およびアセスはそのことにどのように配慮したというのだろうか.アセス付属資料には名古屋市が大気汚染を軽減するために打ち出している施策が並べられているだけであり,それは他部局がやることである.問題は自分たちがそうした事情を配慮してどのように対応するかである.同項後段には,本件事業の実施によっても環境保全目標(国の環境基準)は達成できるから,環境への影響は小さいとある.名古屋市の環境目標値を完全に無視しているのであって,全く配慮していないのである.

 大気汚染の現状は,本件事業による環境悪化を名古屋市として受け入れられる状況にはなく,そのようなアセスを容認した本件手続きは無効である.

 

(2)二酸化窒素予測手法の誤りを容認した審査手続きは無効である

 準備書に対する意見書で詳細に述べたので,ここでは詳しくは述べないが,二酸化窒素予測手法は原理的に誤ったものであり,それに基づくアセスは著しい虚偽に満ちたものといわざるを得ない.アセス付属資料109頁のよれば相変らず「道路環境整備マニュアル」に基づいて行なったとあるに過ぎない.内容に踏み込んだ議論ができないということは,私の意見が理解できないことによるものらしい.そのような者にアセスを行なう資格はない.同時に,私の意見を理解できないままにアセスを審査し審査書を作成したアセス審査会の委員もアセスを審査する資格はなく,このアセス手続きはすべて無効である.

 

(3)本件事業による環境影響は極めて大きく,それを過小評価したアセスは無効である

 既に指摘したようにアセスでは前提となるバックグラウンド濃度を過小評価している.アセス付属資料105頁によれば,自分たちで行なった現地調査の値は採用せず,周辺の一般環境大気測定局の年平均値からバックグラウンド濃度を求めたという.しかし,それらの地点は,実際に予測を行なった地点から2〜4kmほども離れているのであって,そのままバックグラウンド値として採用するのは無理がある.現地調査での結果を優先させるべきなのである.現地調査が年間を通して行なったものではない,というのであるならば,各測定点の値と当日の大気測定局との値との関係を調べ,測定局における年平均値から予測地点のバックグラウンド値を推定すべきなのである.実際に環境大気として測定した期間平均値が0.035ppmと極めて高い南陽海岸でのバックグラウンド値を0.023と設定するのは極めて悪質な虚偽である.

 アセスには本件事業がなかったときの二酸化窒素濃度の推定値が掲載されていない.アセスにおける計算手法を逆にたどってその値を求めると,A地点0.045,B地点0.044,C地点0.045となり,本件事業実施との予測値,すなわち,A地点0.047,B地点0.046,C地点0.047との差はいずれも0.002ppmである.環境目標値である0.04ppmを目指して,0.001ppmの変化に一喜一憂している名古屋市にとって,これは極めて大きな値である.

 このように極めて悪質な虚偽を見逃し,極めて大きな環境影響を無条件で容認した本件アセス手続きは無効である.

 

(4)浮遊粒子状物質の環境保全目標を環境基準としなかったアセスは,アセス実施要綱に違反したものであり無効である

 厚生省所管事業に係る環境影響評価実施要綱,別添3廃棄物の最終処分場に係る環境影響評価技術指針第5評価,2環境保全目標,2−1大気汚染,によれば,大気汚染の環境保全目標は環境基準としなければならない.環境影響評価書1-6-67頁に掲載されているように,浮遊粒子場物質には環境基準が設定されている.である以上,アセスにおける環境保全目標は環境基準としなければならない.ところが本件アセスにおいては,2-1-18頁のように,浮遊粒子場物質の環境保全目標を「周辺の環境に与える影響が軽微であること」とされている.これについて,アセス付属資料99頁には「浮遊粒子場物質については,発生源が多岐にわたり,定量的な予測が困難なため,環境保全目標は定性的な表現としています」としている.アセス実施要綱技術指針の規定を完全に無視しているのである.これはもはや居直りとしか言いようがない.

 環境庁は浮遊粒子状物質の予測マニュアルを作成している.従って予測は可能である.確かにその予測手法は,数値にかなりの幅をもたせた部分があるなど十分なものとはいえない.しかし,予測に幅があるのが当たり前であって,二酸化窒素予測においてもそうした幅をもたせた予測をするべきなのである.定性的な表現ですませるなどとんでもないことである.

 浮遊粒子状物質,特にディーゼル車からの粒子は健康への影響が極めて大きい.アセス付属資料,107頁によれば,事業者は浮遊粒子状物質が呼吸器疾患の原因物質となっているという認識はもっているらしい.当該地域では,周辺3ヵ所の大気測定局の内,南陽支所の日平均の2%除外値が環境基準を達成しているが,1時間値についてはすべて基準が達成されていない.また現地調査においても日平均の最高値,1時間値のいずれも基準を超えており,既に汚染がかなり進んでいる地域ということができる.そこに大部分が大型ディーゼル車である工事車両が加わるのである.それも大型車量だけでいうならば34〜63%の増加である.浮遊粒子状物質の大幅増加は避けられないのである.

 以上のように,浮遊粒子状物質に関しては明らかにアセス実施要綱に違反したものであり,アセス審査会はそれだけでもこのアセスを却下しなければならなかった.本件事業は現に汚染のひどい地域にさらなる環境悪化をもたらすことは明らかであり,それを見逃し,容認してしまった本件アセス手続きは無効である.

 

 以上,要するに本件アセスにおける大気汚染予測は,大気汚染の悪化を覆い隠そうとした著しく虚偽に満ちたものであり,手続き的にも,実質的にも無効といわざるを得ない.現実には本件事業は名古屋市が目指す環境保全に逆行するものであり,中止しなければならない.

 

U.名古屋市長の大罪

 本件事業は産業廃棄物の処理及び清掃に関する法律に基づき,名古屋市によって行なわれている.法律的には名古屋市長の申請に基づき運輸大臣が免許を与える事項であり,一般国民全体はおろか,名古屋市民,名古屋市議会もその事業の決定については発言できない.同法にはアセス手続きについてなんらの規定もないから,事業の認可承認にはアセスが反映される必要もない.アセスはあくまで閣議決定による要綱であり,法的には意味をもたないのである.名古屋市長は,そのことにあぐらをかいてやりたい放題を行なっているのではないか.藤前干潟を埋め立てるということの大罪の意味を理解していないのではないか.

 日本の干潟は,高度成長時代にその大半が失われた.私が干潟に興味をもった1968年当時,東京湾の干潟は急速に失われつつあった.自然保護を訴えに対し,地元民からも「野鳥を葬れ」の声を浴びせられた.自然の破壊や多少の公害にこだわってなどいられない,そういう時代だったのだ.それで日本は繁栄して来たのだ.しかし今やそういう時代は終わった.ストレス多き都市生活者たちが,心の安らぎのために自然を求める時代である.その時初めて,かつての豊かな自然がほとんど失われていることに気付いて愕然としているのではないか.大量生産,大量廃棄の,物にあふれた生活に疑問を持ち,本当に豊かな生活,精神的な豊かさを追及し始めているのではないか.その延長上にこそゴミ問題の真の解決の糸口が見いだせるのではないか.名古屋市当局はそのことを理解しようとすることなく,旧態依然とした公共事業優先の施策を続けているのではないか.

 藤前干潟など,かつての広大な干潟と比べればあまりにちっぽけな存在である.しかしそのちっぽけな干潟が,日本最大の渡り鳥中継地となってしまった.もうこれ以上の自然破壊はやめよう.せめてこのわずかな干潟を自然のままに残そう.それが国民の総意である.否,日本国民だけでない.世界の声である.

 なるほど,法律上は市長が決めることができるようになっている.しかし,法律にただ従っていればいいのであろうか.世界中の期待を一人裏切ろうとしていることについて,罪の意識をもたないのだろうか.

 目先の利益にこだわって,後世にまで及ぶ大罪を犯すことにならないよう,事業の見直しという大きな決断を下すよう強く求めるものである.

 

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アセス審査会第2分科会とりまとめ案に対する意見書

1998年2月18日

名古屋市環境影響評価審査委員会委員長殿

 

 藤前干潟における廃棄物最終処分場設置事業のアセス準備書に関しては,これまで主として大気汚染の視点からその予測調査がいかに杜撰で虚偽に満ちたものであるかを指摘して来たところであるが,この度,第2分科会にかかる分野についての貴委員会の審査結果が,とりまとめ案としてまとめられようとしているところから,一言意見を述べさせていただく.

 

 まず第一に,本件事業が環境に影響を与えるというであるという評価を下したことには敬意を表したい.その過程で,市民団体の調査結果も取り入れるなど,我々の意見もそれなりに取り入れており,その意味では誠意も認められる.しかし,結論として述べられている環境保全上の意見は,従来の他事業のアセスにおけるそれに比べれば具体的な内容を含んだものといえるが,失われる干潟の機能を補う有効なものではなく,ただ単に事業にお墨付きを与えるものでしかないという意味では,従来の審査と変わらないものであった.この点,世界中の多くの良識ある人々の期待を裏切るものであり,極めて遺憾である.

 この審査会での討議は致命的な欠陥をもっているといわざるを得ない.すなわち,この事業により消失する干潟その物の価値についての評価を誤っているのである.この干潟が鳥によりどの程度利用されているか,底生動物はどのくらい豊富か,水質浄化能力はどのくらいあるのか,といった項目を厳密に検証ししていくことが正しい干潟の評価につながる.それはこの審査の過程でも追及しようとしていることは読み取れる.しかし,それはあくまで干潟の評価の過程である.結果としてこの干潟がどのような価値をもつものと評価したのかが重要なのである.上に述べたようなおざなりな環境保全上の措置を見ていると,どうもこのアセスの審査は,藤前干潟の価値というもっとも大事な前提を欠いたままなされているもののように思えてならない.それでは正しい結論がでるはずはない.1960年代から東京湾の干潟で鳥を観察してきた目で見ると,こんなちっぽけな干潟のことでとやかくいわなければならないなんて本当に情けないことなのだが,これだけどこもかしこも埋め立てられてしまった中で奇跡的に残された藤前干潟だからこそ,渡り鳥の中継地としてもはや他に比するものがないほど貴重なものになっている.その認識をもたないでどうしてアセスの審査といえるだろうか.もう一度とりまとめ案を見返してほしい.たとえば@の鳥類の生息地としての役割について,生息環境に影響を与えることは明らかである,では不充分なのだ.これらの調査によっても藤前干潟の渡り鳥中継地として極めて重要であることが示され,その大幅な縮小は,太平洋西部沿岸域に生息する鳥類の生態系に深刻な影響を与えるものといわざるを得ない,というのが結論である.藤前干潟が失われたとき,藤前干潟を利用していた鳥はもちろんのこと,利用していなかった鳥,それも離れた地域でしかも渡りをしない鳥に対してさえも,様々な影響を与えるのである.それが渡り鳥の数日本一の藤前干潟を失うということの意味である.

 これから第1分科会の報告もまとめられるところだと聞いている.大気汚染予測におけるアセスの不当性はすでに再三にわたって指摘して来たのでここでは繰り返さない.ただ,本件事業は地球上の貴重な財産に対する極めて不当な挑戦であるという点を念頭においてまとめていただきたい,ということを強く訴えておく.

 世界的な財産を,一地方自治体の手から救うことができなかったとしたら,我々は後世の人にどれだけ非難されることだろうか.審査委員会の勇気ある決断を期待したい.

 

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藤前干潟アセス公聴会(第3回)での発言

(1997年8月9日 名古屋にて)

 

大学で魚の研究をしている。趣味は野鳥の観察。今日は、東京で高速道の反対運動をやっている関係で大気汚染に非常に関心を持っているので、大気汚染について発言する。

@環境基準について。事業をやるときに、それをやった結果大気汚染がこのくらいになると予測をし、その後評価する。その評価の基準を環境基準にすると言っている。特に重大な大気汚染物質の二酸化窒素の環境基準について、そもそもその環境基準が書いてない。これを書きなさいと、何度も言ったが書かない。こんな簡単なことがなぜわからないのか。アセスに対する意見書、見解書に対する意見書、それから前回の公述と3回言っているが、いまだに環境基準に従ったと言っている。では環境基準ではどうなっているかというと、二酸化窒素は 0.04ppmから 0.06ppmまでのゾーン内またはそれ以下、であるという。こんな基準では評価はできない。この地域は今まで 0.045だったのがこの事業をやることによって 0.047になる、それはじゃあその基準に照らしてどうなんだということになる。そうではないのだ。環境基準というのは、その規定に基づいて地域ごとに決められているのだ。名古屋市は0.06と決まっている。地域によって値が違う。そのことを再三指摘している。 0.06ppmと書かなければいけないのである。こんな単純なことが彼らにはわからない。環境基準が何かを知らないでアセスができるか。そういう者たちにアセスをやる資格はないではないか。(拍手)こんな簡単なことにどうして答えられないんだ。

では、0.06で評価をすればいいのか。そうではない。名古屋市は独自に環境保全目標として 0.04ppmと定めている。国の基準は0.06だけれども、それは多くの地点で達成できている。この地域でもすでに0.04台になっている。だからさらに高い目標として0.04と定めてそれを目指している。それが名古屋市の条例で決まっている。それならそれに従って、その値に照らして、この事業をやったときにどうなのかと、評価すべきだ。それについては、「参考にしている」などと言う。参考ではなく、それで評価しなければいけないのだ。

A二酸化窒素の予測手法について。この事業をやったら二酸化窒素の濃度はどのくらいになるかと予測をしている。これについては日本道路協会の出している道路環境整備マニュアルに従ったという。しかしそのマニュアルは間違っている。もともと無害の一酸化窒素と有害の二酸化窒素があり、そこを自動車が走ることによって一酸化窒素と二酸化窒素を出す。その一酸化窒素と二酸化窒素はそれぞれ入れ替わったりするので、単純に足し算できるものではない。にも関わらず、もともとの二酸化窒素濃度に新たに加わる二酸化窒素を足し合わせるという誤った予測をしている。こういう単純なマニュアルの誤りを見抜く能力がない者にアセスをやる資格はない。

Bバックグラウンド。バックグラウンドとは、この地域の元々の大気汚染はこのくらいである、という値で、それに事業をやることによってこれくらいの濃度になるという予測をする。そのバックグラウンドというものにインチキがある。非常に低い値を持ってきている。自分たちの調査の結果、例えば現在0.031ppmという数字が出ている。そこに事業が始まり、車が通るようになると 0.026になると言う。おかしいではないか。バックグラウンドとして根拠のない都合のいい数字を持ってきているのである。現在 0.031のところに事業が加われば環境基準をはるかに超える。実に欺瞞に満ちたアセスである。

C浮遊粒子状物質については、予測が難しいからやらなかったと言っている。これについては、環境庁のつくったマニュアル(環境庁大気保全局大気規制課監修、「浮遊粒子状物質の解析・予測」(財)日本環境衛生センター、1987)などがある。間違ったマニュアルを見抜くことなく使っているのに、環境庁のマニュアルは使わない。

Dこれだけ欺瞞に満ちた予測をした結果、この事業を行なっても環境保全の目標が達成できると結論づけている。しかし、正しい予測をすれば、国の環境基準の達成は絶対できないし、名古屋市の目標をはるかに超えるものになる。そもそも名古屋市は低い値を目標に定めてそれに向けていろんな努力をしているのに、別の部局では別の基準をもって、ここまで汚していいと言っている。このようなことが許されるのか。絶対に0.04という低い値でやらなければいけない。

E名古屋市の環境影響評価指導要綱に、事業者の責務として、環境影響評価を誠実に行うこと、市長の責務として、環境影響評価の各段階において市民の意見が反映されるようつとめること、正しく行われるための研究につとめること、市民の責務として、適正にアセスが運用されるかどうか監視しなければいけない、ということが書いてある。こういう欺瞞に満ちたアセスに従って事業を進められることのないよう、市民は止める義務がある。(拍手)

 

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藤前干潟アセス公聴会(第1回)での発言

(1997年5月10日 名古屋にて)

 

既に準備書に対する意見書で詳しく述べましたけれども,この環境影響評価書における大気汚染予測の手法と予測結果の評価には明らかな誤りがあります.そして,見解書に示された事業者の姿勢から,それらは単なる誤りというより虚偽と言わざるを得ないという実態も明らかになってきました.本日は時間が限られててますので,自動車による重大な大気汚染物質であるところの二酸化窒素濃度の予測を中心に,あと浮遊粒子状物質も合わせて,そうした点を5つばかり指摘して行きたいと思います.

まず第1に,本件アセスでは二酸化窒素の環境保全の目標,つまりどの程度の汚染だったら許容できるかという評価の基準が記されていません.極めて不備なものです.本件アセスでは,二酸化窒素について0.04ppmないし0.06ppmのゾーン内,またはそれ以下という環境基準についての法律の条文がそのまま載せてあります.そして,見解書でも,技術指針に環境保全目標は環境基準とするとあるから環境基準を書いた,と書いてある.しかし,環境基準は法律に基づいて地域ごとに決めるわけです.ですから,そんな幅のある基準で特定の地域のアセスができるはずがありません.事業者は,環境基準の何たるか知らないんでしょうか.知らないんだったら,こんなアセスなんてやる資格はありません.知っているんだったら,何でこんなわかりきったことを隠そうとするのか,その意図は私には全く理解できません.こんな単純な指摘に対してまともに回答しない見解書の記述というのは,誤りというより,本件事業による環境への影響を心配する地元住民はもとより,アセス制度そのものを愚弄するものと言わざるを得ないと思います.

2番目に,実際にこのアセスで採用している環境保全目標,つまり評価の基準は間違っています.名古屋市に設定されている環境基準というのは,法律の上限,窒素酸化物濃度0.06ppm です.このアセスではこの値を環境保全の目標値としています.しかし,名古屋市では,それとは別に独自の公害防止条例によって0.04ppm という,もうちょっと低い濃度,それを環境保全の目標としています.で,この目標に向けてさまざまな対策が講じられているわけです.本件は名古屋市の事業です.環境目標達成というのも同じく名古屋市の行政目標ですし,アセスも名古屋市が行っているわけです.大気を汚染する事業を行うときには0.06ppm という基準でやって,対策を立るてときには0.04ppm という基準で行う,そんなことができるはずはありません.名古屋市は名古屋市で決めた基準,0.04ppm ですべての行政手続きを行う義務があると考えます.ただ,厚生省所管アセス要綱には環境基準を目標値にするよう規定されています.したがって,百歩譲って義務ではないとしても,アセスにあるように名古屋市の目標値にもきちんと配慮しなければならないと思う.このアセスでは,その名古屋市の基準は全く顧みられていません.見解書では,いくつかの措置を講ずるということが書いてありますけれども,そこにある措置というのは,名古屋市の基準に配慮しての措置ではなくて,工事を行うにあたってはだれでもが行なうの当然の措置しか書いてありません.

名古屋市の大気汚染の状況というのは,私が住んでる首都圏や近畿圏とは異なって,環境基準の0.06ppm を超える地点というのはそんなに多くありません.本件事業により影響を受ける地域の汚染状況は0.04ppm台,従って環境目標値の達成を目前にして,もうちょっと対策を立てれば目標を達成できるというところなんです.アセスにおける評価の指標を環境基準の0.06ppmにおいたのでは,そこまで汚染しても構わないということになり,どんなひどい事業でも環境への影響は少ないという結論になってしまう.こんなバカなアセスはあり得ません.

3番目に,二酸化窒素の予測に用いた手法に明白な理論上の誤りがあります.従って,それによって導かれた結論は全くの誤りです.二酸化窒素の予測の理論的誤りというのは,これは口で言うのはかなり困難なので,ここでは要点だけを述べておきますけれども,この事業によって自動車交通量がこれだけ増加する,そうすると二酸化窒素濃度がこれだけ増える,と,そういう予測をしてるんですね.しかしそんな予測は理論的にできません.自動車交通量の増加と二酸化窒素濃度の増加というのは一定の関係にありません.自動車から排出されるのは一酸化窒素と二酸化窒素とその2つで,一酸化窒素というのが空気中で二酸化窒素に変わります.どのくらい変わるかはその場所によって違うわけです.ですから,地域の状況によって二酸化窒素の濃度は決まるわけです.ですから,自動車交通量がこれだけ増えたら二酸化窒素がこれだけ増えるというような関係にはならないんです.

このアセスの予測手法というのは見解書によると,日本道路協会のマニュアルに従ったと書いてあります.しかし,そのマニュアルが間違っているのです.間違ったマニュアルに従えば正しい結果は出なません.準備書に,私詳しく意見を書いたんですけれども,見解書ではそれに対して全く答えていません.私の意見が理解できなかったんでしょうか.できなかったんなら,これはアセスをやる資格はありません.理解して反論しなかったのだったら,このアセスは全くのでたらめだとしか言いようがありません.

4番目に,実際問題として,本件事業による二酸化窒素濃度の汚染は極めて大きい,という点をとりあげます.まず,この地域ではすでに名古屋市の環境目標値を超えています.したがって,余程適切な対策がない限り,新たな発生源の増加というのは新たな汚染の拡大になります.本件の場合,そうした対策が一切提示されていませんから,二酸化窒素汚染が拡大することは必至です.

また,アセスのデータを分析すると,これも意見書で既に述べていますけれども,アセスにあるA地点,A,B,Cの3か所で予測していますけれども,A地点の二酸化窒素濃度は,事業がなかった場合に0.045ppm,事業を行った場合0.047ppmと0.002ppmの増加,悪化ですね.B地点は0.044が0.046に,C地点は0.045が0.047に,いずれも0.002ppmの悪化が見込まれています.数字上はわずかに思えるかも知れませんけれども,環境保全目標の0.04ppm を上回ってのお話でありまして,このわずかな数値を削減するというのは大変な努力が必要なんです.従ってこの影響というのは極めて大きいといわざるを得ません.

さらに,そもそもこの地域のバックグラウンド濃度というものを過小評価しています.この事業がない場合の濃度です.二酸化窒素のバックグラウンドは,A,B,C,3地点とも0.023ppmというふうに設定して予測を行なっています.しかし,現地調査の結果では,A地点では確かに0.023ppmですけれども,B地点では0.031,C地点では 0.025と,すでに上回っています.予測に当たってこの現地調査の値を用いれば,アセスで用いた評価基準である環境基準も上回って,極めて影響が大きな事業という結論になるはずです.これらは既に準備書に対する意見書で詳しく述べてるんですけれども,見解書で納得できる説明がなかったことから,再度指摘して必要な修正を求めるというものです.

最後に第5点として,浮遊粒子状物質の予測を行っていないということを指摘しておきます.地域の状況によって異なりますけれども,浮遊粒子状物質とは,ディーゼルの排ガス,これは気管支喘息,肺ガン,アレルギー性鼻炎の原因となることが明らかになっています.確かに定量的な予測は難しんですけれども,予測精度の問題があるだけで,予測は可能です.その予測指標については,1987年に環境庁が浮遊粒子状物質の解析予測というのを発表していますし,近年,環境総合研究所という所が非常に精度の高い予測手法というものを開発して,川崎の大気汚染公害訴訟の中で発表しています.けっしてできないことではないんです.浮遊粒子状物質も絶対に予測すべきなんです.

以上のように,本件アセスにおける大気汚染予測は全くでたらめなもので,よい環境を目指す地域の人々だけでなく,豊かな自然が次々に失われていくことに強い危機感を持っている世界中の人々を愚弄するものと言わざるを得ません.環境への配慮を全く欠いた事業者の姿勢は厳しく追及されるべきです.私の指摘は,環境基準を正しく記載するかしないか,名古屋市の目標をまじめに取り上げるか取り上げないか,間違ったマニュアルに従った予測をやり直すかどうか,大気汚染の現状をさらに悪化させる事業なのかどうか,白黒はっきりしたもののはずです.私の指摘が理解できないんだったら,何度も言いますが,アセスを行う資格はありません.わかっていて,あの見解書のようにごまかそうとするなら,こんなアセスは無効です.いずれにしても,本件事業にかかる手続きは直ちに停止し,初めからやり直さなければなりません.以上です.

 

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環境影響評価準備書に対する意見書

名古屋市港区藤前地先における公有水面埋立及び廃棄物最終処分場設置事業

1998年9月5日

意見の主旨

 

 環境影響評価書準備書において,大気汚染予測に関して環境保全目標が達成されるとの評価がなされている.しかしこの評価はそもそも基準に誤りがあり,また予測手法において著しい虚偽が認められる.実際には本件事業は当該地域において受入れることができるレベルを大幅に超える環境影響を与えるものといわざるを得ず,本件事業を中止しなければならない.

 

 

意見の理由

 

1.現状の大幅悪化を容認する二酸化窒素の評価基準は環境影響評価の意味を持たない

 

(1) 環境基準が記載されていない

 評価の基準となる環境保全目標は,p.2ー1ー37に記載されている.二酸化窒素(NO2)の環境基準(日平均の98%値)については,なんの説明もないまま現在環境基本法に基づき設定されている環境基準,すなわち「0.04〜0.06ppmのゾーン内,又はそれ以下」をそのまま記述しているのである.しかし,特定の地域における環境影響評価において,このような幅をもった値をそのまま記載することはなんの意味ももたない.NO2の環境基準は各地域の特性に応じて地域毎に設定されているからである.名古屋においては,基準の上限値の0.06ppmとされているのだから,その数値を正しく記載しなければならない.

 

(2) 環境基準は評価の基準とはならない

 現地調査によれば,道路沿道においても現状では0.04ppm台である.そうした地域で評価の基準が0.06ppmでは,現状を大幅に悪化させる事業であっても評価の基準を達成できるとして容認されてしまうことになる.環境基準に幅があるのは地域の現状を考えて当面の目標としての上限を達成させ,さらに高い目標をめざすことを考えてのことである.上限が達成されているのに,基準を上限に設定して,そこまでは汚してもいいのだ,ということで事業を推進しようとするのは,環境基本法の精神を踏みにじるもので,環境問題には地球規模で取り組まなければならない時代にあって,時代錯誤といわざるを得ない.

 

(3) 環境影響評価の環境保全目標は名古屋市の環境目標値でなければならない

 環境影響評価準備書には,環境基準を環境目標値としつつ,名古屋市の環境目標値についても配慮するとの一文がある(p.2ー1ー37).これは誤りである.確かに厚生省所管事業のアセスにおける「廃棄物最終処分場に係る環境影響評価技術指針」には環境保全目標を環境基準に置きつつ事業者等が行なう公害の防止のための措置又は施策を勘案することができる,とあり,上記準備書の,名古屋市の環境目標値についても配慮する,との一文は指針にそったもののように見える.しかし実際には全くなんの考慮も払われていない.首都圏や関西圏と違って,環境基準がある程度達成できている名古屋地区で,環境基準の下限である0.04ppmを市の公害防止条令に基づいて環境保全目標値としているのであって,そうした地域の施策を勘案すれば,これを環境影響評価における評価の基準にすべきことは自明のことである.そうでなく,そうした値を無視した事業が行なわれのであれば,同じく名古屋市により行なわれるのであれば,行政の一貫性が欠如しているといわざるを得ない.

 

(4) この事業が環境に対しどれだけ影響を与えるかを評価するのが環境影響評価である

 環境保全目標はあくまで名古屋市の環境目標値であるべきである.しかし現在その目標値の達成ができていないからといって「少しでも環境に影響を与える事業は絶対に行なうことができない」という訳ではない.その事業の環境影響の程度が,愛知県や名古屋市が公害防止を図る上での長期的な展望のなかでどの程度の意味を持つのか,という観点から評価していかなければならないのである.つまり,現状を悪化させるとしても,環境保全のための他の施策の効果と合わせて考えた時に,現状が改善の方向に向うなら事業による環境影響は少ないと判断されるのである.そうした総合的な判断にたって,この事業が環境に対しどれだけ影響を与えるかを評価するのが環境影響評価である.

 

(5) 本件事業は環境影響が大きい

 準備書によれば,将来においても現在の大気汚染状況が,そのまま将来のバックグラウンド値として当てはめている.これは現状改善が見込める施策は名古屋市にはないとの判断からなされたものと推測される.一方本件事業は一定程度の環境影響があるものと予測されている.つまり,本件事業が行なわれる年度において,名古屋市の環境目標値が達成されない事業地周辺で,現在以上の環境要因が加わるのである.である以上,「本件事業は環境への影響が大きい事業である」との評価がなされるべきである.

 

 

2.工事車両による二酸化窒素予測手法は,理論的に誤りである

 

(1) 準備書における二酸化窒素予測手法

 準備書における二酸化窒素(NO2)濃度予測は,@一般車両と工事車両の交通量と排出係数から窒素酸化物(NOX)の排出量を決め,AそれからNOX寄与濃度を求め,BNO2の寄与濃度に変換し,CさらにNO2のバックグラウンド濃度と足し合わせることにより求めている.

 この内@,Aは一般的に行なわれる方法で,特に問題ない.問題はB以降である.

 (注;NOXはNOとNO2を合わせたものである.自動車排出ガスに含まれるNOXは大部分無害なNOであるが,空気中に放出されるとその一部が酸化され,有害なNO2に変る.自動車からの排出係数はNOXで表されるが,環境保全上はNO2を管理しなければならないため,NOX濃度予測値からNO2濃度予測値への変換が必要となる.)

 

(2) NOX濃度増加量によってNO2濃度の増加量が決まるのではない

 準備書で用いられている予測手法では,NOX寄与濃度からNO2寄与濃度を求めている.つまりNOX濃度がどれだけ増加するか,という予測がまずあり,それから一定の式にあてはめてNO2濃度がどれだけ増加するか,という予測をしているのである.この変換式は,

 Δ〔NO2〕=0.175・Δ〔NOX0.860    @式 (p.2ー1ー46)

とされている.準備書ではこの式はΔを含まない形で書かれているが,以後の議論の都合上,〔〕で表されるのは環境濃度の絶対値,これにΔ(差を表す数学記号)がつけたものを自動車による寄与分として区別する.

 この変換式は,自動車の走行によるNO2濃度の増加量は,NOX濃度の増加量の関数として表される,つまりNOX濃度がある量増えるとNO2濃度はある一定量増加する,ということを意味する.この考えがそもそも根本的に誤っている.NO2濃度の増加量はNOX濃度の増加量によって決定できない.すなわちNOX濃度が一定量増えたときのNO2濃度の増加量は状況に応じて変ってくるのである.

 

(3) 二酸化窒素濃度には寄与という概念が原理的に適用できない

 自動車から排出されるのは大部分がNOである.これが大気中に拡散されながら,O3と反応しNO2に変化する.ある地点のNO2濃度は,NO,O3,NO2のバランスの中で決まるのであり,これを図示すると,以下のようになる.

 

 

    O3     O

                      NOXについてはつぎの3つの反応が支配的である

                     NO + O3 → NO2 + O

NO            NO2 

                        NO2 → NO + O (日中の紫外線のある場合)  

                        O + O → O3

    O     O3

 

 したがって,そこに存在するNOのうち対象とする自動車から排出されたものが選択的に酸化されるようなことはない.つまり,全体としてNOの一部が酸化されるのであり,結果として存在するNO2がどの発生源から排出されたNOが酸化されたものであるか不明である.そして対象とする自動車から排出されたNOがどの程度酸化されてNO2に変化するかは,その環境によって変ってくるのである.

 このように,そもそもNO2濃度には寄与という概念が原理的に適用できないのである.

 

(4) NOXとNO2の関係についての経験則からの検証

 温度,O3などの条件が一致しているところでは,NOXとNO2について次のような関係にあることが経験的に認められている.

 

 〔NO2〕 = a・〔NOXb     A式

 

 この式は,条件が同じある特定の地点のNO2濃度は,NOX濃度により決まるということを示している.この式を図示すると例えば次のようになる.

 

図1 NOX濃度とNO2濃度との関係 (東京都の自排局データに基づいて作成)

 

 本件準備書では,前述の@式,すなわち Δ〔NO2〕=0.175・Δ〔NOX0.860 が用いられている.一見同じようなこの式は,A式とは完全に矛盾する.@式によれば,NOX濃度が一定量変化したときのNO2濃度の変化は一定となる.例えばNOXが0.5ppmから1.0ppmまで0.5ppm上昇しても,1.0ppmから1.5ppmまで0.5ppm上昇しても,NO2の上昇幅が変らないことになる.しかし図1の例にあてはめてみると,NOXが0.5ppmから1.0ppmまで上昇したときには,NO2は0.030ppmから0.040ppmへと0.010ppm上昇するのに対し,1.0ppmから1.5ppmまで0.5ppm上昇したときには,NO2は0.04ppmから0.046ppmへと0.006ppmの上昇に留まるのである.つまり,きれいなところではわずかなNOX上昇もNO2の大幅な上昇につながるのに対し,汚れたところではNOXの上昇はNO2の上昇にあまり響かないのである.

 以上のように,原理的にも成り立たず,経験則にも合わない自動車からのNO2の寄与濃度という考えのもとで予測を行っている本件準備書のNO2予測は,根本的に誤ったものといわざるを得ない.

 

(5) 正しい予測手法は

 自動車排出ガスからはNOXの寄与濃度として予測される.NOXやNO2は各地で測定され,多くのデータがそろっている.事業地点での将来のバックグラウンド濃度(この事業が行なわれない場合の濃度)は,準備書で採用しているNO2だけでなく,NOXであってもであっても可能である.そこで,NOXのバックグラウンド濃度にNOXの寄与濃度を加えて将来のNOX予測濃度を求め,それをNO2濃度に変換しなければならない.このNO2濃度への変換という過程は前述のA式によることはいうまでもないが,そこで定数a,bを地域の実情に合わせて適切に求めなければならないのである.こうした手法により,NO2の寄与濃度という誤った概念を適用することなく将来予測が可能になるのである.

 

 

3.本件事業によるNO2の環境影響は極めて大きい

 

(1) 事業値周辺は評価の基準である名古屋市の環境目標値をすでに超えている

 前述のように,評価の基準は環境基準ではなく,環境目標値でなければ行政の一貫性に欠ける.NO2の環境目標値は 0.04ppmである.予測地点3ヵ所でのNO2濃度予測値は,A地点0.047,B地点0.046,C地点0.047であり,何れの地点においても目標値を達成できていない.目標値を達成できるとした準備書の誤りは歴然としている.

 

(2) 本件事業による寄与は大きい

 事業による寄与があっても軽微なものならば特に問題はないだろうし,先に述べたように,事業による寄与が環境保全のための施策の中で吸収される程度のものであれば,影響が大きいとはいえない.

 この事業がなかったとしたときのNO2の予測値は,表2ー1ー32のデータと,年平均から98%値への変換式とから計算できる.すなわち,各地点の一般車両の寄与濃度(@)にバックグランド(B)を加え,変換すればよいのである.これによれば各地点のNO2濃度は,A地点0.045,B地点0.044,C地点0.045ppmであり,工事車両により何れの地点においても0.002ppmの悪化がもたらされるのである.0.04ppmを目標としている中で,この値は軽微なものとは到底いえず,極めて大きな寄与といわざるを得ない.

 また,バックグラウンド濃度を現状の値としていることから推察されるように,この地域では環境改善のための有効な施策が行なわれようとはしていないらしい.これらの寄与を上回って余りある改善策がない以上,本件事業の影響については(1)に述べた名古屋市の環境目標との比較だけで評価されるべきであり,その目標値が達成できない本件各事業の影響は極めて大きいといわざるを得ない.

 

(3) バックグラウンド濃度は過小評価である

 NO2のバックグラウンド濃度は0.023ppmとされている.しかし現地調査でそのような低値を示しているのは,A地点だけであり,B地点は0.031,C地点は0.025ppmと,より高い値を示しているのである(表2ー1ー12).上の(1),(2)では準備書の数値を正しいものとしても影響は大きいとの結論に達しているが,実際に事業値周辺ではもっとひどい汚染状況となるのである.

 

 

4.ディーゼル排気微粒子(DEP)から見た環境影響の評価

 

(1) 工事車両からの浮遊粒子状物質を除いたアセスは無意味である

 本件アセス準備書においては,浮遊粒子状物質に関して工事機械によるものについては極めて不備ながら一応検討されているのに対し,工事用車両に由来するものに関しては一切言及されていない.しかし自動車による大気汚染の健康影響は,問題は実はこの浮遊粒子状物質によるものであることが近年の研究で明らかになっているのである.すなわち,国立環境研究所の5年間の研究をまとめた特別報告(1994)は,ディーゼル車のDEPこそ喘息など呼吸器疾患の原因物質であることを明確に示している.アセスは単に数値目標達成のために行なわれるのではなく,人々の健康,良好な環境維持のために行なわれるはずである.いまだに健康への影響が明確になっていないNO2を予測するだけでは不充分なのであって,浮遊粒子状物質を除いたアセスなど全く無意味である.厚生省所管環境影響評価要綱の廃棄物最終処分場に係る環境影響評価技術指針には浮遊粒子状物質が予測項目の一つとしてあげられており,なんの理由の説明もなく省いてしまったのはアセスの本来の意味を無視した不当なものと言わざるを得ない.

 

(2) 浮遊粒子状物質は現に環境基準を超えている

 浮遊粒子状物質の環境基準は,1日平均0.10mg/m3以下であり,かつ1時間値が0.20mg/m3以下,とされている.従って,この環境基準を評価の基準となる環境保全目標値としなければならない.事業地における現地調査では,日平均が一般環境で,0.133〜0.162mg/m3,沿道では0.146〜0.172mg/m3であり,1時間値の最高値となると0.257〜0.350mgにも達しており,アセスにも記されているように環境基準を大幅に超えている(p.2ー1ー16).このような状況で大型車量が多数走行する本件事業は,環境基準達成をさらに困難にさせるものであり,影響が極めて大きいものと結論せざるを得ない.

 

(3) 飛躍的に増加する大型車の通行量

 本件事業のためのダンプやトラックなどの工事車両は,1日1200台におよぶ.これらの車両は通常DEPを大量に発生するディーゼル車である.大型車通行量の現状はA地点で2291台,B地点で1893台,C地点で3508台だから,34%〜63%の大幅な増加となる.現に環境基準が達成されていない地域で,大量の極めて有害な浮遊粒子状物質を排出する大型車がこれだけ増加すれば,単に基準達成が困難になる,という以上の極めて深刻な健康影響をもたらす可能性が高い.

 

 以上,要するに,この準備書は誤った目標値と誤謬に満ちた将来予測により,環境への影響が少ないとの結果を導いたものであり,全面的に書き換えなければならない.実際にはこの事業の環境影響は極めて大きなものであり,事業そのものを中止すべきである.

 

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