道路事業取り消しを求める行政訴訟と公害審査会への調停申請
1999年11月20日
道路公害反対運動全国連絡会編
「くるま優先から人間優先の道路へ」
文理閣 \2,300
第1回の道路公害反対運動の全国交流集会が名古屋で開催されたのが1975年,1999年11月の高尾大会は25回目であった.この25周年を記念して出版されたのが本書である.道路公害反対運動はこれだけの歴史をもつが,道路事業の取消を求めて行政訴訟にのぞみ,判決にまで至ったのは,日光太郎杉事件を除けば他に例がなく,我々の闘いはそれだけ意義深いものであることから,本書に紹介した次第である.なお,出版は最終的な敗訴判決(11月25日)の直前となってしまった.
本書は通り一遍の解説書とは異なり,全国各地の運動に基づくものであり,問題を抱えている人達にとっては良き指針となるだろう.また道路行政,環境行政に関わる人達には,教材として大いに活用し,道路公害撲滅に取り組んでいただきたい.
日本中の高速道路網の中心にあるのが首都高速道路である.常磐自動車道,東北自動車道,関越自動車道,中央自動車道,東名自動車道といった東京から各地に伸びる高速道路は,一周約15キロの首都高速道路都心環状線とつながることでネットワークを形成している.しかしそのために都心環状線の混雑は著しく,ほとんど慢性的に渋滞してる.この渋滞を解消するためには新たな環状道路を作る必要がある.それが中央環状線だというのだ.中央環状新宿線はその中の一部,豊島区高松から,新宿区,中野区,渋谷区を通って目黒区青葉台を結ぶ延長10.1キロの道路,池袋,新宿,渋谷という副都心を結びつける役割も負うという.
中央環状新宿線は都道環状六号線(環六,または山手通り)の地下に作られる.しかし現在この環六は幅員22メートルしかなく,最大幅員38メートルにもなる地下高速道路作ることができない.そのために地上道路を40メートルに拡幅することが必要となる.
例によって杜撰なアセスでまともな環境対策もしないこれら道路建設に反対しているのが「環六高速道路に反対する会」の運動である.
都庁の新宿への移転とも合わせて最優先課題として強引に手続きが進められる中,我々は道路事業の取り消しを求める行政訴訟と,道路公害の差し止めを求めた公害審査会への調停申請という法的な手段をとらざるを得ない立場へと追い詰められた.
行政訴訟−道路事業を中止させるために
日本は法治国家ある.国や地方自治体が行う事業であっても,もし法律に違反したものであったら裁判を通じてその事業を中止させることができる.なんとしても事業を中止させたいとの思いに駆られた我々は,行政訴訟という苦しい闘いに乗り出したのである.
道路の規模,建設場所により道路建設の根拠法規は都市計画法や道路法と変わってくるが,事業者(道路の場合は国,自治体,公団など公的な事業体が作るケースが大部分)が所轄の大臣あるいは自治体の長から道路事業の認可,あるいは承認(この両者の区別は本質的でないので略す)を受けると事業,すなわち道路建設工事を開始することができる.というよりその事業を行う義務が生じるといった方が適切かもしれない.
これに対して関係者はその決定の取り消しを求めることができる.それが行政訴訟である.事業の認可・承認処分の日から60日以内に訴訟を起こす必要があるが,裁判が決着するまでは当事者間の関係は未決定の状態となる.逆にいえば,行政訴訟を起こさなかった人は,事業の認可・承認処分を容認したことになり,それにも関わらず事業に反対し,事業を妨害するようなことがあればそれは法律に基づいて行う事業者の正当な行為を妨害することになり,むしろ重大な違法行為となってしまう.これが法治国家である.
誤解のないようにお願いしたいことは,裁判を起こせば事業者と裁判の原告との間では当該事業をめぐって意見の不一致があるわけだが,事業を行う上で支障がなければ事業はどんどん進められてしまう.具体的にいえば,道路周辺住民が環境保全を理由に裁判を起こしたとしても,道路用地内に土地建物の権利を持っていなければ道路建設には支障がないので建設を停止させることはできないのである.
原告適格−道路周辺住民には裁判を起こす権利があるのか
裁判ではまず原告適格が問題となる.原告適格とは,原告として裁判を起こすことができる要件のことである.道路用地内に土地建物を所有している人は,道路工事が始まればそこから立ち退かなければならないのだから,適正な補償がなければ私有財産を侵すことはできないという憲法の規定を持ち出すまでもなく,利害関係者として裁判を起こすことができる.道路建設の根拠法規たる都市計画法は,公共用地を確保するための法律である土地収用法と完全に連動している.これらの法律は私有財産を道路用地として買収するための法律ということができる.地権者は直接の当事者であり,裁判を起こす権利が補償されているのはいわば当然のことといえる.
問題は周辺の住民である.行政訴訟法によれば,直接の利害関係者,つまりこの場合は道路事業者と地権者以外の第三者であっても行政処分,つまりこの場合は道路建設の結果として必然的にその利益が損なわれる,あるいはその可能性が高いものは裁判を起こすことができるものとされている.
新しい道路ができる,あるいは道路が広げられれば,交通量が増加し,周辺では騒音,振動,大気汚染など,直接身体生命に関する被害が生ずるのは必然である.周辺住民はこうした健康で文化的な生活という利益が損なわれる危険性がある.周辺住民は第三者ではあっても道路建設によって必然的にその利益が損なわれる可能性がある以上,裁判を起こすことができるのではないか.これが我々の主張であり,裁判を起こした根拠である.
しかし,問題は第三者の利益といってもどのような利益でもいい訳ではなく,当該行政処分の根拠法規で保護されている利益でなければならないという点である.たとえば交通事故が心配であるといっても,それは道路交通法の問題であり,都市計画法での争いとはなり得ない.では道路周辺環境保全の場合はどうなのだろうか.
認可承認処分の根拠法規である都市計画法は,道路周辺住民の良好な環境を享受する権利を保護しているだろうか.都市計画法は乱脈な都市開発に歯止めをかけ,良好な都市環境を作り出す法律でなのだから,こんなことは当たり前のことではないかと思われるかもしれない.しかし,法律的には必ずしもそう単純ではない.一審,二審の敗訴を受けて最高裁に上告中であってまだ結論がでていないが,とりあえず,東京高裁判決を元に以下の議論を進めよう.
高裁判決の論旨は明解である.都市計画法には道路沿道の環境を保全する趣旨を含んでいない,というものである.つまり「道路建設に当たって周辺環境の保全を考える必要はないのだから,周辺住民が道路事業に対して裁判を起こすことはできない」として,いわゆる門前払いとなってしまったのである.道路公害で苦しんでいる方々は,どのようにして公害道路ができてしまったのか,これでご理解いただけるのではないだろうか.
都市計画法にいう良好な都市環境−環境施設帯は都市計画法違反
では都市計画法にいう良好な都市環境とは何だろうか.都市計画法第一条によれば,この法律の目的は都市の健全な発展と秩序ある整備を図り,公共の福祉の増進に寄与することであり,第二条によれば,都市計画の基本理念は健康で文化的な都市生活および機能的な都市活動を確保することにあるという.問題はここにいう健康で文化的な都市生活に,道路周辺住民の大気汚染により健康を害されない生活,騒音に悩まされることのない生活が含まれるか否かである.
東京高裁はこれについて,都市計画法は一般環境として良好な都市環境の保全を図ることをめざしているが,道路周辺環境を特別に保全するように求めてはいないという.そして「(原告らは)良好な都市環境の中には,都市施設の付近住民の生命,身体を保護する趣旨を含むかのように主張するが,都市環境とは,一般に,交通,衛生,治安,経済,文化,生活便益等広範な都市における生活環境を総称するもの」であってそんなものは含まれていないと断定している.
都市計画法がもしこのような法律だとしても,道路を作るときに沿道対策を施したからといって直ちに違法とはいえない.しかし,沿道対策は都市計画の目的とはなりえないのだから,それを目的とした都市計画というものはありえない.ところが現実にはそういう都市計画は存在する.環境施設帯である.
幹線道路周辺の生活環境の保全,特に騒音の低減を図ることを目的としてだされた昭和四九年の建設省都市局長,道路局長通達,「道路環境保全のための道路用地の取得及び管理に関する基準」というのがある.幹線道路に隣接する地域の生活環境のために,車道端から各側10メートルの土地を道路用地として取得し,植樹帯,遮音壁等(環境施設帯と呼ばれる)を設置するものであるが,用地の取得は原則として都市計画として決定することにより行なうことになっている.この通達に基づく環境施設帯の設置は実際に外郭環状道路などで行なわれているが,明らかに道路沿道環境保全をのための都市計画であり,我々の受けた高裁判決が正しければ違法である.沿道環境に配慮した道路作りは違法であり,そのために立ち退きとなることなどありえないはずなのだから.
我々の受けた判決がいかに異常なものかお分かりいただけると思う.
裁判手数料−なぜこんなに納めなければならないのか
裁判を起こすには手数料(印紙代)を納めなければならない.印紙代は争いの対象の価格によって変わってくるが,道路建設のように価格が算定できない場合は95万円を争っているものとみなされ,それに対して8200円の印紙代が必要となる.問題は集団で提訴した場合である.我々は430名で提訴したが,何人で争おうとも,対象となるのは一体の1件の道路事業だけだからだから8200円の印紙を貼付した.これに対して被告建設大臣は,一人16400円,合計600万円余り必要であると主張した.結局,裁判所は16400円×人数が訴訟物の価格であり,それにかかる印紙代は400万円余りであるという決定を下した.原告一人一人が算定不能の争いを起こしているのだから,それぞれ必要な印紙代を納めるべきであるという建設大臣の主張はまだ分からなくはないが,一つの道路事業の価格が訴訟人数に変わってしまうというのは理解しがたい決定である.最高裁まで争い敗訴してしまった.
この件については海外からの批判もあり印紙代はその後若干引き下げられたが,根本的な考え方は変わっていない.もちろん門前払いだからといって返納されることはない.裁判所は手数料の面からも高い塀に閉ざされているのである.
公害審査会への調停申請−行政には全く無力な存在
裁判の一方で和解の道を探るのは普通のことだが,民事訴訟と異なり行政訴訟では和解の手続きは公式にはない.我々は東京都公害審査会へ調停を申請し,和解の道を探った(公害審査会の詳細は別項を参照していただきたい).
長期にわたる審議の結果,なんとか環境を守ってほしい,調停が成立すれば裁判は取り下げる,という我々の立場は審査会の委員たちにも十分理解してもらえたと思う.我々が提出した調停案に基づいた委員会独自の調停案も提示され,両当事者に対して受諾するよう求められた.しかし,事業者である東京都や首都高速道路公団は一切譲歩しようとはしなかった.住民とはどのような内容であれ絶対に約束などしない,というかたくなな態度を崩さなかったのである.
公害審査会は,紛争当事者の間に立って中立の立場で調停の道を探る機関であるが,行政のこうした姿勢の前には全く無力な存在であった.
行政が住民にとって不都合なことをやろうとしているときに,それを止めさせるにはどのような手段があるのだろうかと考えてしまう.裁判や公害審査会は法律に基づく正規の手続きのはずなのに,実質的な議論に持ち込むことすら困難な状況にある.我々庶民は,あちこち頭を下げてお願いするしかないということなのだろうか.日本は民主主義国家のはずではなかったか.
(参考)環六高速道路に反対する会のホームページをごらん下さい.