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2002年6月4日(火) 天候出発時晴れ。
登山口:可児郡御嵩町の国道21号の高倉から北へ約1.5km進むと写真の登山口がある。駐車場有り、トイレ無し。ただし、登山途中の出丸跡と蘭丸広場に水洗トイレがある。
メンバ−:2人
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[行程およびタイム]
出発点−−(20分)−−出丸跡−−(20分)−−
古城山 −−(15分)−−物見の櫓−−(10分)−−蘭丸ふる里の森広場−−(20分)−−出発点
[合計タイム(休憩含まず)・・・1時間25分]
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駐車場の東側から階段を下り、石舗装の道を登る。右側の兼山窯の上り窯を見ながら登ると分岐に着く。左の「ひのきの径」から登ることにする。途中からは砕木を敷き詰めた道になるが足にやさしく歩きやすい。右側の斜面に洞穴を見つける。近づいてみると ひんやりと冷たい風が中から流れ出ている。すわ!お城の脱出口かと説明板を探すがない。
やがてヒノキか沢山見え始めて「ひのきの径」を納得する。右に東屋が現れると視界が広がり 「蘭丸ふる里の森」として整備された古城山の南側が一望できるようになった。桜の木が沢山植えられた斜面の道を登り切ると金山城出丸跡に着いた。
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| 快適な登山道 | 道路脇の洞穴 |
出丸跡までは下から車が上がり、駐車場、トイレが完備している。ちょっとした広場の一角には説明看板があり、この城跡は戦国時代末期の重要な遺構であることが記されてあった。南面の眺望は良く、この間登った尾張富士、可児市、御嵩町の田園などが見えた。目の前には こんもりと盛り上がった高根山があったが、登ってみたい衝動に駆られた。
しばらく眺望を楽しんだ跡、頂上に向かうことにした。「登城の径」からは昔からの道で 自然がいっぱいといった感じだった。樹は太いものが多く、アラカシ、ウラジロガシ、ツブラジイ、アカシデなどの名札が付けられていた。名札は木にやさしいゼンマイバネでくくりつけてあり、また、木の名を当てる クイズ形式の名札もあった。巣箱などは この山が地元に愛されている里山であることがわかって ほほえましかった。
城跡案内も、城中の飲用水補給のための「水の手」、侍屋敷、物見櫓のあった「二の丸跡」、登城する武士達が姿勢を整えた「大手桝形」、など何枚もあり、当時の武士の生活を頭に描きながらの登りは 結構楽しかった。此の山は昔は官有林、今は払い下げられて町有林になっており、樹木は保護されて大きく育っていて、今日みたいに陽差しが強くても木陰がいっぱいで涼しく快適な登りであった。
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| 出丸跡から見た向かいの高根山 | 巣箱 |
頂上は城跡というだけあって広く、正面には烏龍神社、側面には大きな城跡の石柱が建ててあった。説明看板には「美濃金山城−興亡の歴史」として、特に、有名な森蘭丸を含む三代にわたる森一族の歴史について詳しく記してあった。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などに結びつく壮大な歴史物語の中にこの金山城はあったのだなあ と感慨深いものがこみ上げてきた。
広場の脇には大木が多く、特にヤマナシは岐阜県指定天然記念物で見事な樹だった。眺望は砥山、納古山、愛宕山等が見られ、場所を変えると近くに米田白山、馬串山、遠くに今渡ダムが眺められた。予想していたよりはるかにいい山だったので、大いに満足し、まだ新しい木造りのベンチで、歴史に思いを馳せながら緑一杯の山頂の時を過ごした。
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| 頂上の烏龍神社 | 頂上の金山城跡碑 |
帰りは 先ほどの「登城の径」を下り、「アジサイの径」を通って物見の櫓へ行き一服しました。その後、南斜面の道をササユリを愛でながら蘭丸の広場に下り、岩の谷間を楽しみながら出発点の駐車場に戻りました。
余談・・・この金山城が犬山城主石川備前守光吉の管轄下に入ってからは、金山城は分解され、犬山城の資材にされたり、城下に移築されたが、その時の資材の運搬方法は 陸上ではなく、木曽川に流して、下流で回収するという方法だったそうです。
秀吉の墨俣一夜城のカラクリも、城建築用材は木曽川を利用して夜陰に流し 墨俣で回収して 瞬く間に城を築いたとする説があるのは納得できますね。
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