 |
2002年12月5日(木) 天候出発時曇り。
登山口:岐阜県揖斐郡揖斐川町「播隆の森」(左の写真)から登る。「播隆の森」の入口と下の空き地には駐車できる。トイレあり。
※町の中から「播隆の森」へは 道が曲折してわかりにくいので 揖斐高校側の揖斐川谷汲山線から入った方がよい。
メンバ−:単独
|
全行程が落ち葉のジュウタン!
[行程およびタイム]
駐車位置−−(30分)−−城台山(揖斐城址)
−−(1時間10分)−−城ケ峰
−−(1時間10分)−−駐車位置
<休憩30分を含む所要時間:3時間20分>
|
 |
揖斐城のあった城台山一帯は城台公園として整備され 山麓には播隆上人の開基になる一心寺があることから 「播隆の森」と言われている。看板によると広場から上に登山道がのびているが 帰りに使うことにして まず一心寺に向かうことにする。
落ち葉が発酵して山の匂いがする道を少し歩くと 丸い大きな水道タンクが現れ つづいて播隆上人ゆかりの一心寺が現れた。江戸末期の天保元年(1830年)に上人により開基され はじめは阿弥陀堂といわれたが のちに一心寺と改められた と高札に書いてある。参拝し 境内の左側の遊歩道から登り始めた。
城台公園の遊歩道には歩きやすいように黒い割石が敷き詰められ 疑似木で階段が作ってある。その上に落ち葉がいっぱいで まるでジュウタンを敷き詰めてあるようで この時期ならではの贅沢な山行きである。高度を上げるにつれ眺望がよくなり ここ数年通い詰めた道筋や山並みが鳥瞰され気分は昂揚した。
 |  |
| 播隆上人開基の一心寺 | 落ち葉の遊歩道 |
小さな鎮守の白山神社、つづいて播隆院一心寺歴代住職墓碑跡を経て城台山頂上に立つ。城跡とはいえ広い頂上である。説明看板からすると この揖斐城は 長年この地方を支配していた土岐一族の城であったが あの斉藤道三に攻められ落とされたとある。
要所々々立看板があり 戦国時代の山城の様子がよく分かり 山城用語(下欄に転記)も確認できた。こんな高いところでどうやって生活していたのだろう と いまの人が疑問に思うことも 「ここで城主は生活せず 普段は下の平坦地の便利なところに住んでいて 戦のときだけここにたてこもった」なんて 親切に説明看板に書いてあった。南東の切り開きからは揖斐川のうねりが朝日に輝いて見えた。
 |  |
| 城台山頂上 | 山頂からの眺望 |
城址の看板を楽しみながら下ると十字路になり 城台公園はここまでのようで あとは尾根伝いの登山道となりました。しかし 道幅は広く緩やかで コナラなどの落ち葉が敷き詰められた明るい登山道でした。やや急な登りがつづいて上がりきると反射板がありました。
ここからの眺めはよく 揖斐川とその右岸の平野部 さらに 見馴れた池田山、削られて異様な形をしている金生山、その向こうに伊吹、養老山地など見えました。東の方に目を転ずると 城ケ峰が遅い紅葉に染まって見えました。
あとの登山道も ほとんどの風倒木は処理されており 途中 小山の右側を通るところが2カ所あるが 尾根にこだわらず道なりに真っ直ぐ進めばよい。最後の段階で 頂上を含む山魂の登りは わりと急だが 山登りとしては楽しい。朽ちた倒木も目立つが キノコが生えていたりして味わいがあってよい。やがて頂上に到着。
 |  |
| やっと見えた反射板 | 反射板からの城ケ峰 |
頂上は広く 中央には二等三角点があった。コナラの多い雑木林の中の山頂は疎林なので開放的で気持ちがよい。北方面は切り開かれていて見晴らしが良かった。しかし 今日は天気が悪いので分からないが この山の標高はそんなに高くないから 近くの山々が衝立となって 遠くの山は見えないのではと思った。
城ケ峰のペナントは小さな風車付きで珍しいのでアップして写した。これだけ凝ったのをつくる人は どんな人なんだろう。 相当山好きな人なんだろうな。一度お目にかかってみたいと思った。
 |  |
| 城ケ峰の三角点 | 頂上の風車つきプレ−ト |
帰りは 登りと同じ道を下りましたが、城台山では手前から下の「井戸」経由で下りました。一心寺の上の東屋からは左の斜面の道に入り 雑木林の紅葉を楽しみながら 大曲りして下り 駐車位置に戻りました。
<山城用語を看板から拾ってみました>
本丸・・・城の主将の居るところ
二の丸、三の丸、南の丸、北の丸・・・本丸を囲む外郭(くるわ)の城で 本丸の守りに使われる。
曲輪(くるわ)・・・城の外まわりに 平らな所をつくり 石囲いをして 兵が戦に備えて待機できるようにした場所
出丸(でまる)・・・本丸より離れて造られた第二の城で 戦のときは 本丸と同じように拠点となった。
大手門・・・城の正門
搦手門(からめてもん)・・・城の裏門で 敵の攻勢に耐えられなくなると ここから逃げた。
桝形虎口(こぐち)・・・城の出入り口で 桝形にして敵が真っ直ぐ突入出来ないような工夫がしてあった。
切り通し・・・山の斜面をを切り開いて造った城の人々の通路で 戦のときはこの斜面を利用して石を落としたりしました。
竪堀・・・戦のとき城を敵から守るため 山の斜面を上下切り開いてつくられた堀−−−とのことであるが これだけの説明では 戦のときにどのように使われるのか よく理解できなかった。
堀切り・・・山の尾根のへこみの地形をうまく利用し 堀として使われたもので 敵の侵入を妨げる目的でつくられた。戦のないときは簡単な橋をかけ道として利用した。
余談・・・大垣市から池田町を通り 国道417号を北進すると 左側に砕石で山形を変えた金生山、大きな池田山と小島山が順に見えてきます。今まではこの3つの山しか目に入らなかったのですが 今度からは前面に見える揖斐川町の城ケ峰が仲間入りです。よく整備された山だったので 「ファミリ−向きの山」に加えたいと思います。
|
|
|