第41回テーマ館「飛行機」



紙飛行機大展覧会 夢水龍乃空 [2001/09/21 11:50:31]


(デイリー北海道より)
けっぱれ! 北海道「夏の特集・研究室拝見」

 最終回が近づいてきました。今日の研究室は、北海道工業大学(道工大)の大塚・渡良瀬ゼミ
を紹介します。ニューラルネットワークを軸に、人間の脳の仕組みを探る研究室です。研究内容
について教授の大塚先生と渡良瀬先生、ゼミの活動について大塚ゼミ長の大家君(学部四年
生)、渡良瀬ゼミ長の熊田君(同四年生)にインタヴューしました。秋の学会に出した論文の研
究について得に詳しくうかがっています。
 道工大は、札幌市手稲区…

 *

 私は、このところ具合が悪い。だからこうして、昼近くにやって来て夕方前に帰るということ
にしているのだ。授業が始まれば、朝から晩までの生活に戻ることになるのだろうが。
 今日も二時半ころに、のっそりと研究室へやってきてメールをチェックし、いつもの掲示板を
のぞいてからゼミ室に顔を出した。相変わらず、中沼と平田以外のマグネットが帰宅を指してい
る。夏休みだから、まあそれはいい。しかし院生希望の大家くらいは、体調不良とはいえ毎日顔
だけでも見せてほしいものだ。研究が一段落したとはいえ、一ヶ月近く姿を見ない。
 鍵は開いていたので部屋に入ると、いるはずの二人がいない。まあ、よくあることだが、私は
部屋を見てめまいがした。
 新校舎建設に伴い、夏休みの学内は大々的な引越しラッシュとなっている。私たちM1の研究室
は消えてなくなり、私と堀本は路頭に迷っている。とりあえずマシンだけはゼミ室に運び込み、
一坪程度の広さがある部屋の中心にすえられた机の上で、マシンが窮屈そうにしている。ドアを
入って向かって右、私たちの代でセッティングした憩いの場は継承され、今ではさらにカーペッ
トと新しいソファまで加わって最高のくつろぎの場を提供している。
 その狭っ苦しい机の上とただっ広いカーペット・スペースが、大量の紙飛行機で埋め尽くされ
ているのだ。
 ざっと数えると、数十機程度。百まで行っているかどうかといったところだ。よく見れば、素
材はすべて新聞紙。紙と活字の具合からそれがデイリー北海道であることが予想された。しかし
新聞紙は広げて縦へ引っ張る力に強い分横に引かれると案外もろい。つまり繊維の流れに方向性
があり、空気抵抗を満遍なく受けるのには適さない。紙飛行機には向かない素材なのだ。そんな
こと一機作って飛ばせば分かるはずなのに、これだけの数を折るとはどういうことか。しかもそ
の種類たるや、見るからにオリジナルと分かるものからオーソドックスな細長いのまで、デザイ
ンのバリエーションは計り知れない。あの二人、気でも狂ったか。いや、二人でこれだけの作業
はきつい。その倍、いやいや、十人規模でえんさこらと作り上げたのではないか。
 だが、なぜという疑問は解けない。
 私は意を決して、そのうちの中くらいの一機を手に取った。大きさは指先サイズから両手のひ
らサイズまで、これまたバラエティーに富んでいたのだ。広げると、記事が書いてあった。長方
形に切られているが、記事そのものは凸凹にというか、四角形の枠で書かれたものではない。そ
の記事をちょうど含むような長方形で切ろうとしたことは間違いなさそうだった。ここである考
えが浮かんだ私は、手近な飛行機をランダムに数個選ぶと、とりあえず広げてみた。やはり、四
角い記事はそのまま、そうでない記事はそれを囲むような四角形で切り抜かれている。どうや
ら、切抜きの方針は判明したようだ。
 次は、切り抜かれた記事に共通項を見出すこと。
 勘のいい読者は気づいているだろうが、苦労の末、記事に共通項はなかった。つまり、切り抜
きに選ばれた記事は、大きさも内容もまるで一貫性がなく、あらゆる意味でばらばらだったの
だ。もちろん、中には似たような内容のものもありはしたが、全体の傾向は見出せなかった。こ
れはいよいよ、謎の姿が明確になってきた。
 そこまでやって初めて、私はどの飛行機にも白く目立つ部分がないことに思い至った。改めて
調べると、新聞なら必ずある一センチ二ミリほどの白い帯というか、縁取りの部分がまったく含
まれていない。しかし、記事を切り抜くのが目的ならば当然でもある。さらに気づいたのは、広
告が一切ない。完全な記事の裏が半端な広告だったことはあるが、それは明らかに記事を切り抜
いているわけで、広告は眼中になかっただろう。やれやれ、ゴールは近そうだ。
 広げた紙をじっと見つめていると、やはり、四角形の四辺は微妙に波打っている。つまり定規
を当てたとかそういう感じがしないのだ。乱暴に適当に切っただけ、明らかにそう。しかも目を
凝らせば、波打ち方が一定のリズムを持っている。そんなものを感じ取れる自分が今更ながら不
思議だったが、分かるのだからしょうがない。十中八九、いや、断言してもいい。これはカッタ
ーを使って切っている。
「そうか、さっきのメールが…」
 思わず、私は呟いた。謎はようやく、その真相を私に見せてくれた。

 *

 こんなことを思いつくのは、祭り好きでこだわり屋で徹底主義で人使いの荒い熊田くらいしか
いない。そう思った私は、学科編成が変わったせいで隣の校舎へ引っ越した渡良瀬ゼミのゼミ室
へ向かった。廊下を一直線に進めばいいだけだから、あまり離れたという気はしない。
「こんちわー」
「あ、こんにちは」
 熊田が、いつもの寝ぼけたような寝ているような細い目を私に向けて挨拶を返した。
「あのさ」私は最も小さな記事の切抜きを改めて飛行機に折り直したものを示しながら言った。
「交通事故とかじゃないんだから、こんな大きさはないだろ」
「いや、とりあえず徹底させなければと思いまして」
 彼らの前には、穴の開いた新聞紙が大量に積み重ねられていた。

 さて、読者はもうお気づきだろうか。この、紙飛行機大量製作の謎の真相に。
 今朝私が見たメールは、大塚・渡良瀬ゼミ生全員に配布されたデイリー北海道の取材要請を承
諾したというメッセージだった。いつもこれだ。我々に断りもなく何でも決められてしまい、決
定したことを直前に知らされる。ゼミ長に代表してインタヴューするとあったから、先生は大家
にその旨を電話連絡しているだろう。つまり、冒頭に載せたあの記事のためだ。
 これは、私がちょっとした叙述トリックのつもりで書いたもので、先に記事があればごまかさ
れるかなと思ったのだ。基本的なトリックだが、まあこんなもんだろう。伏線さえ拾えれば見破
るのは簡単だし。
 きっかけは、切り抜かれた記事が飛行機にされていた意味に気づいたことだった。
 どうしても新聞で紙飛行機を折りたかったのかもしれないが、それならなぜ必ず記事を一つず
つ切り取ったのか、なぜすべて大きさが違うのか、なぜいい加減な切り方をしたのか、なぜ広告
を避けたのか、説明できない。つまり飛行機は副産物で、記事を切り抜くこと自体が目的だと考
えなければならないのだ。
 さらに、切り取られた記事には用がないらしい。でなければ飛行機になんてしないだろう。で
は何に用事があったのか。カッターでわざわざ記事だけを切り抜く理由、白い枠と広告が避けら
れた理由を考えれば、記事を切り抜かれた本体の方に用があったと考えるのが自然だ。理由はひ
とつ。自分らで記事の予想をして作成した原稿が、どんな大きさの枠に収まるかを知るため、す
なわち、自分たちを取材した記事の予想案を作りたかったわけだ。

「そんなことしてどうすんの?」
「いや、まあ、深い意味は追求しないでください。ただ、やっぱり好奇心と探究心こそ研究者と
して最も尊重すべき――」
 なんだかよく分からないことを熱く語っている彼を気にせずに、私はその記事の予想案を見せ
てもらった。文章が作文にもなってなかったりするが、これも気にするまい。四角い枠があり顔
写真などとラベルが付いている。先生だけのバージョンと熊田と大家を入れたバージョンが、
様々な大きさで作られている。確かに、全体の大きさはばらばらで、切抜きにあれほどのバリエ
ーションを持たせたのは正解だったかもしれない。
 好きにやればいいさ。楽しいのなら、それが一番だ。
 飛行機を作ろうと思ったのは、折り方が楽で紙の形にこだわる意味が少ないからと、合理的に
推定することはできる。大体その通りだろうとも思う。しかしそれほど紙飛行機が折られる理由
は、やはり空への憧れ、自由を求める気持ちの現われなんじゃないだろうか。なにもそれしか折
るものがなかったわけでもあるまい。思いつかなかったわけではないだろう。それでも彼らは紙
飛行機を折り続けた。部屋を埋めてしまうほどに。
 飛びたいのなら飛び立てばいい。誰にでもチャンスはある。ようは、それを的確に捉えて、手
放さないだけの力があるかないかだ。力を持ってくれよ。私は心の中でそう呟いた。
 君らを育ててくれたすべての人たちが、君らにそれを望んでいるんだぞ。飛んでいけ、君らが
折った紙飛行機に負けないくらい、力強く、どこまでも。
 私はちょっとだけ、新聞紙の紙飛行機に勝っても嬉しくないか? と思ったりしながら、いい
気持ちで研究室へ戻っていった。

 ― 完

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