第33回テーマ館「天使」


エンジェル・アクト(演じるエンジェル)の物語 ひふみしごろう [2000/05/05 10:47:38]


エンジェル・アクト(演じるエンジェル)の物語

……天使
その言葉を聞くとわたしはある一人の女性を思い出す。
分厚いレンズの眼鏡、無造作な髪型、無愛想で仏頂面の彼女。
いつも隅っこのほうであの独特な表情で静かにトマトジュースをすすっていた彼女。
はやいものであれから2年、季節は巡りわたしは社会人になった。
周囲は目まぐるしく変化をし、わたし自身もその中で自然と変わっていったと思う。
だけど、仕事で外回りなんかしてる時、木陰でやすんでたりすると、ふと彼女のことを
思い出すときがある。ひょいと振返ったら、くすぐったそうに、にやにやと笑ってる彼女
がいそうな、そんな感じ。
ホントのこと言うと、わたしは彼女のことを何も知らない。あの時のことも、どこか現
実感を伴わない、まるで夢のような感じがする。だから、これから話す彼女に関する
ことも、とても断片的であいまいなものになってしまうだろう。
それは噂話だ。闇夜を飛び交い、颯爽と現れ、瞬く間にさっていく天使の名を冠する
大怪盗。今となっては埃まみれの、古き良き時代の都市伝説。
どこか自嘲的で、そのくせ尊大で、無表情なのに、にやにやしてて、存在感もありそ
うでなさそうで、まるでつかみ所が無い……
これはそんな、一人の天使の話……

あれはそう、ちょうど春の終わりのころ。当時わたしは大学4年で就職も決まっ
てない時期だった。最後の一年がけっぷち、そして将来への不安。しかしそんな
焦り以前に目の前の生活をどうにかしないとならないわけで、わたしは新しく
できたテーマパークの清掃員にもぐりこんだ。
仕事自体はなんの問題もなかった。特にきつい仕事というわけでもなく、職場の
人間関係も別に不愉快になることもなかった。ただ、一つだけ気になったのが、
彼女。それまで、けっこういろいろなバイトを経験してきていて、いっぱしの人生
経験つんできたつもりになってたわたしにとっても、始めてみるタイプの人間
だった。
年の頃は、わたしより少し上くらいか、無造作なショートカット、ぶあついレンズ
の眼鏡、何考えてるのか良く分からない無表情、「鈴木 蛍子です。」と自己紹介の
時に聞いた声もぼそぼそとして、早い話が、野暮が服着て歩いてるような女性。
休憩時間になると、いつもトマトジュースをすすっていて、特に誰と話すでもなく、
それでいて、自然とその場に馴染んでいる。
たしかにそんな感じの人間をそれまで見たことがなかったわけではない、学校生活な
どでも、そういう知人がいるにはいた。しかし、彼女の場合、何かが違っていた、これ
はその後つねに彼女についてまわる印象なのだが、まるで現実感というか存在感とい
うものが感じられないのだ、それでいてそれが自然で、カメレオン人間とでもいうの
だろうか、ふと気がついたらいつの間にかいなくなってしまっていたとでもいうよう
な、そんな印象。
”なんか変な人”
結局、わたしが彼女に対して初めて抱いた感想はそんなもんだった。

今にして思うと、あれが彼女が彼女たるゆえんだったのだと思う。存在感を感じない
ことすら感じさせないというか、まるで、彼女のことは初めからないとでもいうよう
な(うまくいえないけど)そんな感じ。はたしてそれが彼女の地なのか、それとも、
その名のとうり演じていただけなのか、今となっては確認する方法はないけれど、
どちらにせよ、それはとても辛いことのような気がする。

「……というわけで、なにか不審なものを見かけたら注意して扱ってください。」
あれは、珍妙な二人組の登場が始まりだった。その時、わたしが働いていたテーマ
パークは西暦2000年のためのイベント、ミレニアム・フェステバルのために作ら
れたメインとなるミレニアム・タワーができたばかりで、世間一般もそのイベントに
むかってお祭り騒ぎだった。
そんな中、なんでもこのテーマパークに対して、ミレニアム・フェステバルの際に展示
される”天使の瞳”とかいうすごく貴重な宝石を奪いにくるという投書がされたらしい。
差出人が”エンジェル・アクト”とかいう巷で噂のアナクロな大怪盗を名乗っているそ
うで、むしろわたしは、たかがそんな投書程度でわざわざ警察官がやってきて清掃員に
話を聞いてまわろうとすることのほうが不思議だった。それに、やってきた二人も変と
いえば、これ以上変な警察官もないようなコンビだった。
「……それじゃあ……警部どうしましょう」
一見、気の弱いサラリーマン風の小噺と名乗った刑事が傍らに立つ刑事に尋ねる。
「うむ……」
だが、その鷹揚に頷いたのはどうみても中学生、スーツ姿も七五三にしか見えなくて
警部というのは階級のことなのかそれとも名前なのかとても気になる刑事は、ほんとう
に考えているのか疑わしい、かわいらしい顔をしかめっ面にして(それがまた滑稽)
うなっていたが、「……別にない……」と呟いて目を閉じる。
小噺という刑事が頭をかきながら、いかにもつけたしといったふうに、
「では、何かある方……」
といい、それが締めくくりになる様に思われた。しかしその時、
「はい!!」
と手を上げて発言をしようとする人間がいることにも驚いたが、それがかの鈴木蛍子
だと分かると、わたしだけでなくその場にいた全員が驚いた顔をする。
そのまま彼女はなぜか嬉々とした顔をして小噺という刑事に話しかけていたが、結局
あまり関係のない雑談のようなことを話しただけで、そのまま刑事達は帰っていった。

あれもまた、いまだに良く分からないことのひとつだ。後に鈴木蛍子と話した際の様子
から、あの小噺という刑事と彼女はなにかつながりがあるらしい、ということは分か
るのだが、小噺という刑事からはそんな様子はうかがえなかったし、二人ともあれが
初対面同士といったふうに話してるとしか思えなかった。

それからしばらく、私達の職場は”エンジェル・アクト”についてもちきりとなった。
実は私自身、その時初めて詳しく教えてもらったのだが、なんにでも変装できる変装
の達人といった話や、他人を傷つけず、狙うのは高価な宝石や美術品だけという話を
聞くにつけ、なんともアナクロな話に呆れ返り、実は年をとらない天使のような顔を
した美少年で、七色の翼を持ち、闇夜に夜空を優雅に舞うなんて話を聞いたときには、
”おいおい、人間やめてるじゃん”と苦笑するしかなかった。
しかし、鈴木蛍子がいつものようにみんなが話してる隅っこで自嘲的な微笑みを浮か
べながらぽつりと呟いた言葉は、きっとそばにいた私にしか聞こえなかっただろう。
「……ただの愉快犯さ……」
あの時はまだ、わたしは何も知らなかった……

これで前置きは終わりだ。非常に断片的であいまいだが、わたしが出会った天使の
性質上、私自身これ以上のことは理解していない。私にとって日常はなにものも孕ま
ずただ淡々と流れるものであったが、その時すでにものごとは来るべき時に向かって
確実に収斂していき、様々な人々の様々な思いを抱えたまま、あの日を迎えることに
なったのだろうと思う。

     あの日、わたしは天使に会った……

その日はミレニアム・フェステバルの初日で、あたりは人、人、人、で溢れてかえっ
ていた。仕事の方も長引いてしまい、ようやく終わらせた時にはすでにあたりは真っ
暗で、わたしはその日はすでに閉館されてしまってひとけのないミレニアム・キャッ
スルの中を、掃除道具を抱え少しびくびくしながら小走りで駆けていた。しかし、
外に出てしまえば人がたくさんいるのだからと、臆病な自分に挫けそうになりながらも
いそいでロッカーの扉を開けた時、いきなりものすごい力でとばされる。そして、
痛がるまもなくロッカーから人影が飛び出して、信じられないスピードで襲い掛かっ
てきた。
しかし人影は、2度目の衝撃にそなえようと体を丸くしたわたしの顔をまじまじと見
つめ「…こいつは……」と呟くと、しばらく逡巡をしめした後に、懐からゆっくりと
手錠を取り出す。

「さっさと歩きなさい!!」
わたしに手錠をかけた女性(おかしなお面をつけてるが、たぶんそうだと思う。)は、
わたしのことを乱暴にひっぱって、ひとけのないミレニアム・キャッスルの中を歩い
ていく。しかもその足取りは薄暗い中でもなんのためらいもなく、この建物の部屋
割りに詳しくなっていたわたしにもすぐに彼女の向かおうとしていた先が判った。
「……天使の瞳……あなた、エンジェル・アクトね!!」
思わず自分の立場を忘れ、黙々と前を行く彼女に向かって叫んだが、ふんと鼻で
笑い飛ばすようにしただけで、彼女はわたしに構わずずんずんと進んで行く。
恐怖に押しつぶされそうになりながら、その恐怖を払いのけるためだけに、なお
も何かを言い募ろうとする、しかしその時物凄い轟音があたりに響き、思わず
わたしは悲鳴を上げてその場にしゃがみこんだ。建物がグラグラと揺れて、どこ
か遠くの方で人の悲鳴が聞こえたような気がする。
「な、なんなのよこれ……」
しかし、お面の彼女は何事も無いように小さな声で呟く。
「ようやく、始まったか……」
明らかに何かが起こっていた、そのとんでもなく嫌な感じは拭いようも無く辺り
に広がり、わたしといえばどこか呆けたような感覚のままで、為す術もなく目の前
の彼女についていくしかなかった。

「なんだこれは!!」
いきなりあがった叫び声に思わずわたしもびくりとする。”天使の瞳”の展示してある
部屋の扉の前、なんとなくわたしも彼女の後ろから、扉の取っ手部分を覗き込む。
    ……チェーンタイプの数字錠?
たしかに普段ならそんなものが扉にかかっているはずはなかった。しかもそれには
なにかメモ書きのようなものもくっついている。
   ”  ころんで しんだ なんになる?  ”
ふいに、お面の彼女がかすれたような囁き声で呟く。
「……エンジェル・アクト……」
そして、それに答えるどこか能天気な声が、いきなりわたしの背後からあがった。
「ピンポーン」

お面の彼女はその場を飛び退くとわたしの背後に向かって身構える。わたしも同じ
ようにそちらを振り向くが、そこにあったのはさらなる困惑。
「……すずき…さん?」
「やあ」
彼女はまるで道端で会ったように片手をあげて返事を返し、お面の彼女のほうに顔を
向ける。
それはたしかに鈴木蛍子その人だった。しかしその印象はおとなしい、どちらかと
いうと卑屈とも取れる普段のそれとは明らかに異なり、傲岸不遜とでもいうのか、む
しろ尊大な威厳さえ感じさせた。
「あれ、あんたどっかで会ったことあるよね。」
そう言いながら、お面の彼女にゆっくりと近づく。
「どうしてここにいる!!」
しかし、お面の彼女の返事は答えになっていない、どこか怯えたようにじりじりと間
合いをとるように後ずさりをする。
「おいおい、人の名前をかたっておいていまさらそれは無いんじゃないの?……それ
にしても、もうちょっと考えてやってほしいよね、これじゃただの火事場ドロボウ
じゃないか。」
目の前の鈴木蛍子はまるで別人のようだ、しかしそれでいて、あの独特なつかみ所
のない感じはなくなってはいない、むしろ強くなって彼女のことをとても混沌とし
たもののように見せていた。
「……覚醒を果たしていない、ただの人間のくせに……」
「あんたらみたいに自分を見失ってまで”覚醒”なんていうイカレタたわごとに
ふけるほど人生なげてるつもりはないしね。それに、そのただの人間にこの間
コテンパンにノされちゃっのは一体どこのだれだったっけ?」
「……なんでお前のようなできそこないに……」
「あっそ」
完璧にその場のペースは鈴木蛍子が握っていた。仮面の彼女のほうはすでに蛇に睨
まれた蛙さながらに鈴木蛍子の雰囲気にのまれてしまって、強がりも空しく響くのみ
である。
しばらく静かに睨み合った後、鈴木蛍子が口を開いた。
「行きなよ、今回はハナっからあんたのことはオマケでしかない。」
「くそっ!!覚えてろっっ!!!」
仮面の彼女は捨て台詞を残して、脱兎のごとく去って行った。

あたりは薄暗く、しんと静まりかえっている。鈴木蛍子がひょいと肩をすくめな
がら改めて「やあ」と声をかけてきた。
「……鈴木さん」
その時のわたしの混乱した頭では、かけるべき言葉も浮かんでこず、呆けたように
彼女が近づいてくるのを眺めながら”このまま彼女に殺されるのだろうか?”といった
ようなことをただ漠然と考えていた。
「どれどれ」
しかし、彼女は手錠をかけられたわたしの腕をとると、鍵穴になにか細い針金のような
ものをさしこんで、手品のようなあざやかな手つきであっという間に手錠を取り外して
しまった。
「はい、とれた」
そう言って、いつもの無愛想からは想像できないようなやわらかな笑顔でわたしに
微笑みかけると、今度は扉についた数字錠の方を手に取った。
「……鈴木さん、それって……」
ようやく落着いてきたわたしは手錠のあとをさすりながら彼女に向かって尋ねた。
すると彼女は数字錠のほうもあっという間に解いてしまい、かすかに口の端をあげた
どこかくすぐったそうな笑みを浮かべる。
「ただのなぞなぞだよ。ころんで(転んで)しんだ(死んだ)なんになる?ってね
転死=天使って、ただのジョークのつもりなんだけど、3桁の数字錠の数字に直すと
テン(=10)シ(=4)で104になるでしょ。」
これまでの切羽詰った雰囲気のなかで、ふいにくだらない駄洒落を言われたようで
どこか肩透かしの感覚は、むしろその時のわたしには心地よかった。
「じゃあ、あなたがエンジェル・アクト」
「さてね」
そういって、ひょいと肩をすくめると出口に向かって歩き出す。
「ちょっと!!天使の瞳を狙ってたんじゃないの?」
しかし、わたしの問いかけに彼女は立ち止まると、窓の方を向いて、囁くような声
で呟く。
「……さっきの轟音」
「……さっきの?」
「おそらく、ミレニアム・タワーがおちたか……今回は小噺クンを手助けするつもり
で、本当は、わたしのニセモノなんてどうでもよかったんだけど、けど、奴らの
狙いはこんなことじゃない。まだ、なにかを狙っているはず……手遅れにはならない
だろう、まだ、今は……」
ひとり言めいていて、なんのことやらさっぱり判らない。だが、
「じゃあね」
その声にはっとしたときには、すでに彼女の姿はどこにもなかった……

あれから、2年が過ぎた。
あの後、ミレニアム・タワーが爆破された事件はどこかの過激派のテロ活動という
ことで決着がついて、しばらくすると何事もなかったかのように、世間的にも、
わたしのなかにも、いつもの日常が帰ってきた。
結局、彼女を見たのはあれが最後になってしまった。騒ぎが収まって仕事にでて
いった時には彼女の姿はそこにはなく、わたしもそれから大学や就職活動で忙しく
なってしまって、あの印象的であった出来事も、いつのまにか彼女の面影そのままに
薄れていって、あわただしい日常に埋没していった……

それでも、時々、あの時のことを思い出すことがある。
あの後彼女がどうなったのか、わたしにはわからない。
だが、あの無愛想で、仏頂面で、つかみ所の無い無表情をした天使の名を持つ大怪盗
は、振返ったらそこに立っていて、呆気にとられるこちらをいたずらっぽく眺めながら
そして何事も無かったように、「やあ」と手を上げあのやわらかい独特な笑顔を
浮かべてくるんじゃないんだろうか。

      ……なんとなく、そんな気がする……

                   <END>