第33回テーマ館「天使」


微笑みは須らく救いとならん。 SOW・T・ROW [2000/05/23 16:56:07]


窓を開けたのは、寒い外気が恋しくなったからだ。時々無性に恋しくなる。理由はない。
そろそろ秋が終わりを迎え、冬に上り始めようとする十一月のある夜。
私は、涼しさから寒気を帯びてきた風の中で空を見上げた。
私は丁度、二千一回目を迎える誕生日を過ごしていた。
とうにこれだけ過ごせば、誕生日などというものが、
それ以外の日とどう違うのか分からなくなり、祝う気もしなければ、祝っても嬉しくない。
月は雲に隠れている。魔女は月の力を持って、魔力を操るという言い伝えがある。
私は魔女だが、そのような経験はした事がない。或いはしないだけか?
これだけ生きても、知らない事は多い。容姿が永遠に変わらない分、頭の中身も変わらないか。
私は自嘲して、安楽椅子に座った。最後の男からもらったものである。
去年二千人目の男と別れて以来、私はそういうものから少し離れて過ごそうと思っている。
過ごしてみると、これが案外快適である事が分かった。常に本を読み続ける事が出来る。
今は静かに、ある女子学園の寮の管理人を務めるばかりである。
ふと、窓の向こうで何かが動いた。大方鳥だろうと、私は見向きもしなかった。
しかし、窓が今度は二回叩かれた。外からである。曲がりなりにも、ここは地上二階である。
横目で見る限り、その音の主は余裕で開いた窓を叩いている。
本から目を離し、渋々そちらを見ると、そこには、天使がいた。
天使である。これまで様々な天使画を直接関節問わず見た事があるが、
それらを統合し平均を取ったような、見事なまでの天使である。
その天使が、これはまた見事なまでに憔悴しきった状態で、窓辺に飛んでいるのだ。
これまで西暦と共に生きてきた私だが、生れて初めての体験である。
生きてみるものだと、感動には及ばない感慨を持って、私はその天使に尋ねた。
「何?」
長く生き過ぎたのか、喋る事が最近億劫である。
思えば、初めて天使を見たにしては、あまりに可愛気のない問であろう。
「笑って」
「は?」
何を言うかと思ったら、「笑って」。
「何故?」
「飛べないから」
笑う事と飛ぶ事に何の関係があるのか。私はもう一度同じ質問をした。
「何故?」
「僕は人が喜ぶエネルギーで空を飛ぶの」
僕と呼称しているあたり、声も含めて、どうやら性別はオスらしい。独断と偏見だが。
しかし、人が喜ぶパワーで飛ぶ。何だそれは?
まるでどこぞのサンタクロースみたいな奴だ。
子供が喜ぶ顔で生命を長らえるなどという変なお話が何処かにあった。
「私が?」
「他にいる?」
これ以上は禅問答である。とにかく天に飛んで帰りたいからエネルギーをくれと言うのだろう。
全く面倒な話である。
私は渋々口の端を上げた。
「引きつってる」
細かい奴だ。
「それに、心の底から笑ってない」
笑えるものか。それだけだったらここ数十年笑ってない。
つまり、この時点で私は意味がなくなった。
「無理」
「お願い」
無理とお願い。これは本来順番が逆になって初めて成立する。
時々こいつのように反対に使う奴がいて、私はいつも疑問に思う。
「無理」
「お願い」
また禅問答だ。打開策を私は探し始めた。その時、廊下の方で声がした。
時間から見て、女子学生がトイレに集団で寄り集まる時間だろう。
私は、天使にしばし待てと言い残し、廊下に出た。
「ちょっと来なさい」
適当に廊下に声を投げた。これで、一人ぐらいは来るだろう。
しかし、予想に反して廊下にいた女子が全て来た。鬱陶しい。
とにかくそれらから一人適当に選んで、私は黙って手を引いた。
その後、その集団からは不可解なブーイングが飛び交ったが特別気に掛からなかった。
私がここに来てある一つの不可解な法則を掴んだ。
それは、ここの女子はなぜか私を見ると二やついたり、笑い掛けたりするのだ。
数度言い寄られた経験もある。それだけなら昔から何回もあるが、未だに理解できない。
その子も例外ではなかった。だから、常に笑ったままだ。
頬の筋肉をさぞや鍛えているのだろう。まあ、その方が好都合だ。
目を瞑って手を引く方に来なさいと言うと、でんぱしょうねんみたい、といって素直に従った。
その言葉の意味はよく分からなし、知らない。
とにかく連れていって、私は天使のいる寝室に戻った。彼はまだ憔悴しきった顔で飛んでいる。
こちらにまで陰気が移ってきそうだ。早い所お帰り願いたい。
目を瞑ったままのその子を天使の目の前に立たせた。まだ笑ってる。
「これでいい?」
私は聞いた。
「これじゃ駄目。僕を見て笑わなきゃ」
ワガママな天使だ。本当に天からの使いか? 少しは融通しろ。
致し方ない。私は目を開けろと同時に少し知恵を働かせて、こうも言った。
「私が作ったぬいぐるみがある」
女子は目を開けると、目の前の陰気な天使を見て、大笑いした。
どうやら、何かその天使の容姿的要素の中に笑える部分があったのだろう。
それを見ると、天使は見る見るうちに顔が赤くなり、
元気が沸き上がるのが端から見ても嫌気が差すくらい分かる。
「これでいい」
「うん。ありがとう。感謝祭の帰りでね。帰れなくなったらどうしようかと思った。
今の日本人て感謝祭でも笑わないんだよ」
そういうと、天使は高らかに口笛を吹きながら、空へと舞い上がった。
ヨハネの黙示録みたいな情景だ。
その天使にエネルギーを与えた子を見ると、引き攣った顔のまま硬直している。
どうやら、ぬいぐるみは喋らないし飛ばない事も知っているらしい。
私は仕方なく、その子に忘却の魔法をかけて再び目を瞑らせて廊下へと追い出した。
彼女は仲間にもみくちゃにされて、ひそひそと尋問を受けながら廊下の奥へと去っていった。
感謝祭か。神に豊作を感謝するその日に天使が一体何の為に地上に来ているのかは知らないが、
とにかく私の家に今後も来ない事を願いたい。
そして、寝室を空けると、今度は天使が数十匹、部屋の中で飛んでいた。まるで蜂だ。
荘厳でいて、気持ちが悪い。一番前の天使が私に近づきこう言った。
「友人に聞いて、僕らも来ました。笑ってください」
その言葉と同時におびただしい大合唱で、笑ってください、と部屋に響いた。
天使は噂を広めるのが好きらしい。私はこめかみを掴んだ。頭が、痛い。
そして、この夜。数十人の女子を部屋に入れると言う異例の行動を実行し、
私はその後数週間、女子達に言い寄られる面倒を背負った。
私は、ますます自分の誕生日を嫌う事となったのだった。