第33回テーマ館「天使」


迷い人の独白 ひふみしごろう [2000/05/30 20:42:05]


                 汝は永遠の迷い人
                現の鎖に縛られしもの

                 背反の衣を纏いて
                 矛盾の海を渡る

               そして、魂無き骸はただ一人
                 己が手を赤き血で染め

               果てしなき虚ろの広がりに
                 歩むべき道を求める

              されど、開かれた名も無き扉は
            しろがねに光る”証”のみが知るのか?

          汝の名はリビング=デッド  永遠の迷い人なり・・・

「うわー、赤井君て天使みたーい。」
おえっ、オレはたまらずその煙草をプカプカふかすヤニくさい女から身を引いた。
「髪だってふわふわしてるし、手だってこんなに小っちゃくってぷにぷにしてるー」
しかし、女はおかまいなしに人の頭に手をのばしてくる。
そしてひとしきりオレの頭をいじくりまわした後、今度は手をとって人の体を
そのネトネトした手で撫ではじめる、それを見ていた他の人間達もいつのまにか
近くに寄ってきて,怪鳥のような声をあげながら,人のことをさながらペットでも
扱うかのように酒の肴にしはじめる。
「ほらー、ほっぺただってやわらかーい。」
オレは早くもこのつまらない飲み会に出席してしまった事を後悔しだしていた。

今年の春、オレはストレートで大学に入学した。
しかし、本来ならこの上なく浮ついた気持ちになるであろうその季節も今のオレ
にとってはたいした意味を持たないもので、周りの人間達がコンパだ、サークル活動
だと、新しい環境に次々と順応していくのを横目に見ながら一人淡々と大学生活
を送っていた。
コンパなどに誘われることもなかったではないが、オレはその誘いを片っ端から断った。
酒のせいで理性の箍を外してしまうことだけは、どうしても避けなければならず、
気がついたらいつのまにか季節は秋に変わり、オレは他人と付き合おうとしない社会
不適合者として周囲から認知されてしまってしまっていた。

「ほらー、白川もこっち来なよー」
さんざん人のことを弄んでいた女が、後ろを振り向いて大声でのたまう。そして、やっ
てきた人物の腕をつかむとオレの隣りに強引に座らせた。
「……おおお」
あたりから感嘆の声が上がる。
「やっぱり、二人並んで座ると映えるわねえ。」
たしかに綺麗な女だった。つややかな黒髪を短く揃えて、透けるような真っ白な肌を
している、やや大きめの切れ長な瞳に物静かそうな面影、どことなく日本人形を
思わせる雰囲気を持っていた。痩せて背が低い為、吹けば飛ぶような様子だったが、
こういう女が好みの男にとってはすこぶるつきの上玉であるに違いない。
……まるで血が流れてないみたいに真っ白だ……
呆然とそんなことを考えている自分に気づき、あわてて我に返る。
白川という女が怪訝そうな顔をしてオレのことをのぞきこんできたが、なるべく
ぎこちなく見えない様ににっこりと微笑み返してその場を取り繕った。

血への渇望。己の中のその異常な性癖に気づいた時、オレの人生は決まってしまった
といってよいだろう。自分が異常だということを知っていても、だからといって
修正することなんてできない。ただひたすら他人にばれないように己を抑えつづ
けるのみだったオレにとって、人間嫌いの社会不適合者はかっこうの隠れ蓑だった。
しかし、変質者予備軍というその立場は、実際に異常なものを持っているだけに賢明
とはいえない。社会に殺されたくないのならば巧妙に適応していく必要があった。

しばらくすると話題は別の方に移っていって、ようやくオレは開放された。最近
他人と関わるということがなかった為に、たかがさっきのやり取りぐらいで異常
に疲れているのを自覚する。
「お酒、飲まないんですか?」
いきなり投げかけられたその言葉に、おもわずオレはびくりとしてしまった。隣りを
見ると白川とかいう名前の別嬪さんが、つまみをもぐもぐとつまんでいる。
「オレ、酒って駄目なんですよ。」
ウソだ。自分というものを抑えるために、他人前で酒など飲めたものではない。
以前一人で試してみた時、ある一定量を過ぎたあたりから一気に記憶が飛んで
しまった。結構飲んでいたから人並みといってしまえばそれまでなんだろうが、
意識のないときの自分に責任を持つほどオレは自分の心を信用していない。
「私も、弱いんですよ。ちょっと飲んだだけですぐ真っ赤になっちゃって。」
彼女はそういうとうっすらピンク色に染まった頬を向けて、にっこりと微笑んでくる。

    ……キレイダ……

ふいに頭に浮かんだ陳腐な言葉は、ある出来事を思い出させた。
誰にも言えないオレだけの記憶。
……そう、今となってはオレだけの……オレがオレである……理由……

……おいていかれる。
高校に入ったあたりからだろうか、オレは周囲の人間に対し、つねにそれを意識
するようになった。普通に友達と話していても、ある時ふいにそいつの事がわから
なくなる。いくらそのことを無視していても、一度気づいたその思いは染みついて
離れないしこりとなって、オレの心をジクジクと覆っていく。それはまるでまわり
がどんどん得体の知れない何かになっていくのを、オレ一人がなす術も無く眺めて
いることしかできない、そんな感じだった。
埋めることのできない溝は、決定的な境界線としてオレと周りの人間達を一日一日
ゆっくりと、しかし確実に隔てていく。友人達との齟齬、簡単な例を挙げれば、
それは性に対して特に顕著に現れていった。
一般に、『男というのは高校生にもなったら女性というものに興味を持つようになる。』
と言われている、たしかに友人達がそういう風になっていくのは側で見ていた
オレにも良くわかったし、これがこの年頃では当たり前であるというのもまた
周りを見まわしてみても間違い無いようであった。
しかし、オレにはそのことがまったく理解できなかった。オレもまた同じ高校生
であるはずなのに、クラスの女子などを見ても特にこれといってなんの興味もわいて
こず、当然、初恋なんて考えた事も無かった。そしてそういう自分が異常である
という思いは、いっそう、オレを袋小路に追い詰めていく。

   ”自分以外に対して興味をもつことがない。”
女性のみに関わらず、すべての事柄に対して自分はそうである。ということに気づく
のに、さほど多くの時間は必要としなかった。”おいてけぼり”という一種の疎外感
がオレのその特性によるものだということも間違いないようで、何故そうなって
しまったのかというのはオレには考えつかなかったが、今のままでは普通になれない
という思いが強迫観念のようにオレの心にこびりついていた。
恐怖。
今のオレにはその時自分がとらわれていたものの正体が判る。
まわりがどんどん変わっていくなかで自分ひとりがおいてけぼりをくらっているような
孤独感。人の流れの中に身をおいていても、どうしようもなくぬぐいきれない疎外感。
その時のオレにはその恐怖がどうしようもなく大きなものに感じられた。
そんなあせりに押しつぶされそうになりながら、かといってその状況から脱する術も
持たず、それでもまだ、もうちょっと大人になればなんとかなるに違いない。
その時はまだ、そんな風に簡単に考えていた。

……あの時はまだ、自分が普通だと信じていた。

そう、あれはちょうど高校2年の夏の終わりの頃だった。オレが通っていた学校は、生徒
は必ずなんらかの部活に所属せねばならず、はっきりいって部活動というものに興味を
持っていなかったオレは、名前だけで特になんの活動もしていないことで有名な生物部
に入っていた。
しかし、いくら幽霊部員すらいない廃部寸前の部活であったとしても文化祭の時には
活動しているような格好をつけないといけないわけで、オレはその時1年ぶりに顧問
の先生に呼び出されて、生物部室でもある理科第1実験室に顔を出した。

「とりあえず初日は準備室片付けとけって」
だが、部室にいたのは無愛想な感じの貧相な女子生徒がただ一人。一言だけそう
言うとオレに背を向けてさっさと準備室に向かう。
「ねえ、他の部員は?」
慌ててオレが訊ねると、その女子生徒は振り返りぶっきらぼうに答える。
「知らないの?生物部員は私達だけよ。」

黒山 茜
それが彼女の名前だった。
肩ぐらいまでの髪を無造作に後ろで結わえて、妙に顔とバランスがあってない大きい
眼鏡。身長はオレと同じくらいだったが、制服から出てる手はガリガリに痩せてて、
まさに貧弱といった様子だった。しかし、なんといっても彼女を特徴づけていたのは
その雰囲気で、”ぎすぎすしている”とでもいうのだろうか、妙にぶっきらぼうな感じ
がしてあまり女っぽい印象は受けなかった。

オレ達はそのまま二人で準備室の掃除をはじめた。
茜はぶっきらぼうなままだったが、こっちだって似たようなものだったし、それに
彼女のそれは別に他人に不愉快な感覚を与えるそれではなく、むしろ当時、前述した
理由から自分の問題に直面させられる象徴として女性をとらえていたオレに
とっては、彼女のその雰囲気は女性というよりも少年といった感じで楽だった
といえる。
そのまま二人で黙々と準備室を片付けていると、いつのまにか夕暮れ時になった、
太陽が窓の向こうでゆっくりと沈んでいき、部屋の中も夕焼けに包まれる、そこから
見える景色にオレは柄にも無く感じ入って、おもわず作業の手を止めてしまった。

「……つっ!」
その時、後ろでなにか倒れる音がした、振り向くと、立てかけておいた用具が倒れて
茜がその場に座りこんでいる。
「大丈夫ですか?」
結構派手に倒れていたが、茜には特に怪我も無いようだった。「……平気だから」と
言う彼女を助け起こしながら、オレはその腕を流れる一筋の血に気づく。

あれがすべてのはじまりだった。
まるで頭の中で何かのスイッチが入ったような感覚。体全体をうねるような衝撃が
駆けぬけて、自分のものではないように勝手に体が動き出す。気がついたら
一心不乱にオレは彼女の腕をすすっていた。口の中に血の味が広がり、心が
驚喜(狂気?)にうちふるえていく……

「もういいわ、赤井君……」
しかし、茜の冷静な声を聞いた時、思わずオレは我にかえる。
「ご、ごめん!!」
あわてて彼女から離れるが、たった今まで行っていた自分の行為を思いなおしてみると
一気に後悔がやってきた。急いでどうにか取り繕おうとするが、どうしようもなく
焦ってしまってしどろもどろになっていく。
「……血が好きなのね」
しかし、茜はそういうと、あたふたするオレにゆっくりと抱きついてくる。
「な……なにを……」
いきなりな展開に一気にパニックに陥ったが、その瞬間首筋に激痛が走り、思わず
オレは茜をつきとばした。
「な、なにをする!!」
心臓の鼓動がやけにはっきりと耳に聞こえる、そしてオレの首筋をたらりと血が流れる
のを感じた。
「……血が好きなんでしょう?」
しかし、茜は陶然とした表情で呟く。それは明らかに第一印象のそれとは異なるもの
だった。
「……血が好きなんでしょう?あなたも……」
ゆっくりと繰り返す、明らかに正気ではないような様子だった。口の端から
オレの血が一筋たらりとたれる。そしてそれを拭った後、その無表情だった顔が
にやりとどこか翳のある微笑みを浮かべた。そんな彼女を見つめながら、不覚にも
オレはその時こう思ってしまった。

     ……キレイダ……

今にして思うに、もしあの時あの場にいたのが彼女でなかったら今のオレはなかった
と思う。笑ってごまかすにせよ、キチガい扱いされたにせよ、オレはその時の感覚を
その場だけのものと思いこんで、今とはまた違った人生を歩んでいたに違いない。
しかし、現実にオレの前にいたのは黒山 茜その人で、狂った芽を育むにはこれ以上
ないパートナーだった。

それからオレ達は、放課後、その生物部の部室で頻繁に会うようになる。お互いの腕に
ナイフで傷をつけてすすりあう様は、端からみたらたまらなく淫靡で、たまらなく間の
抜けたものに見えたに違いない。しかし、つまらないことを話したり、なんでも
ないようなことで屈託無く笑いあったりできるような仲間ができたことをオレが
どんなに喜んでいたかというのは、いくら言葉を重ねても言い表せるものではない。
仲間がいるということがオレをどんなに救われた気持ちにさせていたかなんて、どんなに
言葉にしても足りるものではない。
……そう、今なら間違いなく言える、あの時は幸せだったと。

だが、そんなオレの幸せはあっけない形で幕を閉じる。

「リビング=デッド?」
部活が終わって二人で帰っていた途中、いきなり茜がそんなことを言い始めた。
「そ、最近ここらで失踪者が多いの知ってるでしょ?それの仕業なのよ。この間
知り合いになった記者さんから聞いたんだ。」
「ああ、なんか聞いたことあるけど。どうせそんなもん眉唾だろ、信じるほうが
どうかしてると思うけど。」
「夢が無いなあ、青少年。いまからそんなこと言っててどうすんの」
「猟奇殺人のサイコさんに一体どういう夢を見ればいいんだよ。」
「ま、たしかに。」
そんな会話を話してた後に、いきなりそれがわが身にふりかかるなんて一体どこの
だれが思うだろう。
ちょっと近くのたこ焼き屋でたこ焼きを買って公園に戻った時、そこにオレが見
たのは、胸にナイフをつきたててぐったりとベンチに横たわる茜の姿だった。
半狂乱になりながら茜の名前を呼びつづけたが、茜はゆっくりと目を開くと、
口の端をにっこりとあげてオレに微笑みかける。そして一言ポツリと呟くと、
そのまま動かなくなってしまった。
「……てんし……」
その時のオレにはその言葉の意味を考えるゆとりはなかった……

その後、茜の事件は暗礁に乗り上げてしまった。生徒たちの間では『”リビング=デッド”
に殺されたのだ』などという愚にもつかない噂が飛び交い、しばらくたつと茜のことを
話題にする人間なんて一人もいなくなる、そうしてオレも彼女のいない日常というもの
を受け入れていかなければならなくなった。彼女がいない日常は、自分の中の特性
に気づいてしまったオレにはたまらなく残酷で、ときおり自分の血で渇きを潤すとき
など、己の孤独というものを改めて思い知らされ押し潰されそうになる時もあった。
ただ一つ、茜がいつも首にしていたペンダントが死んだ時にはかかっておらず、
その事はオレの心の中にいつまでもひっかっかっりつづけた……

「どうしたんですか?」
いきなりかけられた声に、オレは一気に記憶の海から引き上げられた。
「なんか苦しそうなな顔してましたけど。」
そう言って覗きこんでくる。オレは慌てて目の前の別嬪さんに微笑み返しながら
自分の心を現実に同期させる。
「いや、別に……」
あたりは宴もたけなわといったようすだった。向こうの方ではすでに出来あがって
裸踊りなんか始めている奴もいる。
「お腹でも痛いんですか?」
言葉が足りなかったらしい、心配そうな顔をしてしつこく訊ねてくる。
「いや、ホントなんでもないんですよ。ちょっと場の空気にあてられたみたいで
少しボケーっとしてたみたいです。」
すると、目の前の別嬪さんはにっこりと微笑んでオレの胸元をジーっと眺めてきた。
「大事なものなんですか?さっきからギューって握り締めてますけど、よかったら
見せてくれませんか?」
なるほど、オレはさっきから服の下のペンダントを握り締めていたらしい。
どうりで具合悪そうに見えるわけである。
「ああ、いえ別にいいですよ……」
オレはそういって胸元からいかついペンダントを取り出した。鎖につながれた
その十字架は光を反射しながらゆっくりくるくるとまわる。
「うわー、きれいですねー。」
女の瞳にくるくる回る十字架が映る。
茜がいつもしていた十字架。
あの事件のあと、茜の首から奪われていた十字架。
いまとなってはオレの……オレである証。
「オレの宝物なんですよ……」

「つまりはそういうことなんです。」
目の前で苦しげに横たわる男はオレの声にゆっくりと顔を上げる。
「あいつが最後に言った天使という言葉、はじめオレには何のことだかさっぱり
判りませんでした。でも、天使というものの特徴を考えた時、比較的簡単に
この答えに辿り着くことが出来た。」
男は腹部に刺さったナイフを押さえながら、続けろと言うようにオレに頷きかける。
「頭に輪っかを持って、羽根が生えている、その事に気づいてみるとあなたの事
を割り出すのもそう難しい事ではない……頭に”わ”がつき”羽根”を意味する
漢字を持つあなたの名前……若羽さん。あなたのことです。」
俺がそう言うと”リビング=デッド”と呼ばれていた猟奇殺人者である雑誌記者
はクククと静かに笑い始めた。
「……たかが……たかがそれだけのことで……」
そういうと、苦しそうに顔をゆがめ腹に刺さったナイフを一気に引き抜く。
「ある程度あたりをつけたら、あとは確認作業でよかったんです。なぜならきっと
犯人はこのペンダントを持ってるはずだと思ったから。」
そういってオレが手の中のペンダントを首にかけると、男はやれやれといった様に
首を振る。
「その結果がこれか……フフフ、君はもう少し……彼女が何故あえて分かりにくい
ダイイング・メッセージを残したのかという意味を考えるべきだったな……」
「人殺しに言われたくありません。」
「……ククク、すぐに君だってこちら側の仲間入りだよ……私ももうあまり
もちそうに無い……それに、君の目を見ていれば分かる。君は私のことがなくても……
遅かれ早かれこうなる運命、己の矛盾をどうすることもできずに、ただ一人歩き
つづけるしかない……」
「オレはあなたとは違う。」
「………ククククク、いいだろう。ならば私は……その向こうで君が来るのを……
楽しみに……待ってるよ……新しい”リビング=デッド”…………」

   …………そういって男はその場に崩れ落ちた。

                 汝は永遠の迷い人
                現の鎖に縛られしもの

                 背反の衣を纏いて
                 矛盾の海を渡る

               そして、魂無き骸はただ一人
                 己が手を赤き血で染め

               果てしなき虚ろの広がりに
                 歩むべき道を求める

              されど、開かれた名も無き扉は
            しろがねに光る”証”のみが知るのか?

          汝の名はリビング=デッド  永遠の迷い人なり・・・

                          <END>