『テーマ館』 第23回テーマ「ブロック」


 「ブロック」   by  てふてふ



       良く晴れた春の朝、孝三が駅へ通じる小道へ差しかかると、そこでは工事人夫
      が二人、コンクリートブロックを積んで道を塞ぐように壁を作っていた。孝三が何を
      しているのか、と尋ねると、人夫の一人は「すぐに終わりますよ」と意外に丁寧な
      返事を返し、孝三が一拍おいて振り返るころには、孝三の来た道へも壁ができ、
      右に左に壁ができ、間もなくブロックの屋根もでき、コンクリートブロックに囲ま
      れた暗闇に、孝三一人が取り残された。

       積みあがったブロックの隙間から漏れる光の筋は目の前にあり、冷えたセメ
      ントの匂いは鼻についた。ことの展開の早さは、孝三の笑いをさそった。「課長
      が聞いたらたまげる言い訳だよな」。それから孝三は「ブロックに囲まれて」遅
      刻したことを課員一同の前でかしこまって述べている自分を想像し、営業課の
      一人一人がどう反応するか思ってみた。想像は連想を誘い、連想は連想を誘
      い、自分の作った物語を最後まで堪能する頃には孝三は眠くなった。

       辺りが暗くなることで、孝三は眠りからさめたことを理解した。しばらくなぜ暗
      いのかわからないままに、孝三は不愉快さの理由もわからなかった。起き上が
      ろうと力を入れた上半身が全く動かないことで、孝三は身動きがまったく取れな
      い事実を悟った。ザラザラとしたコンクリートブロックの冷たい感触を全身で感じ
      ながら、孝三はただ不愉快だった。孝三はそれまでで一番不愉快だった出来
      事を思い出そうと努力した。そしてそれが不可能であることがわかると、不愉快
      さは恐怖に変った。

       孝三はその時声が出ないことに気がついていた。口からはヒューヒューと、色
      の無い、震えの無い、息がでるだけだった。時間が経つほどにしっかりしてくる
      意識は、孝三のその日の朝のことをしっかりと思い出させた。6時30分に鳴った
      目覚し時計、快晴の天気予報を告げる女性の服の色、鏡に移った自分の顔、
      歯磨きチューブの味、洗顔石鹸の匂い、トーストの焦げる匂い、コーヒーの味、
      ほどよいネクタイの結び目、玄関の鍵をかけた感触、その日の夜の美智子と
      の約束、初夏の木々の濃い匂い、いつもの駅までの道、そして...

       「すぐ終わりますよ」 

       孝三はその人夫の声を前にもどこかで聞いたことがあるような気がした。しか
      しそれは一瞬で、孝三は全身に力を入れて体を動かすことに集中した。数十回
      の挑戦の後、どうにも動かないことがわかる頃には、孝三は顔から首にかけて
      は涙で濡れ、鼻から口にかけては涙でしょっぱかった。

       全身が濡れ、全身の力が抜けると同時に、孝三には意識が「プチン」と弾ける
      音が聞こえた。そこからどこへ行くのか、孝三には知る由もなかった。

(投稿日:11月12日(木)09時04分46秒)