第43回テーマ館「境界線」



最後の一撃 夢水 [2002/02/24 14:01:19]


 指導教官の大塚が言い出した「Get Horiday作戦」の影響で、夏のゼミ室は究極的な修羅場と
化していた。次は、卒論が待っているのだが、四年生たちはそれどころではない。M2にも、修論
という修羅場が最後に待っているわけだが、分かっていてあえて無視している感がある。
 私も学会発表があるのだが、自分の実験はあらかた終わっていたので、あとはデータを整理し
て要旨を書く段階にあった。しかしこれも大塚の言い付けで、将棋班の発表内容についても私が
面倒を見なければならず、申し訳ないことにプログラムのバグが発覚したせいで、取り終わって
いたデータを再び取り直すという作業をしていた。
 締め切りまで三日となった、その夜のことである。

「中沼くんは余裕だね」
「現実逃避です」
 ロケット軟着陸問題をQ-netによって解くというロケット班の長、中沼は、私が彼のディスプ
レイをのぞいた時、当時ゼミで流行だった通称アオシというゲームを対コンピュータとしてプレ
イしていた。
「このマシンで、今実験中なんですけどね。優先度落として」
「……あそ、まあ、間に合うといいね」
「無理です。諦めました」
「あ、あそう、なんだ……」
 パラメータを忘れてしまい、近くにいた大家に確認して、実験をスタートする。まずは1つ。
 大家は将棋班のリーダーである。取り直したデータは彼が、残り2人のメンバを使ってまとめ
てくれることになっていた。私は研究室に戻り、自分の実験データの整理を続けた。

「終わってる?」
「いや、まだみたいす」
 次にゼミ室をのぞいた時には、まだ実験が続いていた。中沼は、カーペットを敷いてソファを
並べたくつろぎコーナーに移動して、本格的にゲームを始めていた。くつろぎコーナーといって
も私しか知らない言葉である。正式名称は、おそらく無い。このコーナーは雑談、漫画読み、そ
してゲームのための場所である。ゲーム機は、今はドリームキャストとプレイステーション2が
主流だ。
「ロケット班の実験もまだ?」
 私は彼に問いかけた。
「まだまだです」
「他のメンバは?」
「さあ。今井さんは、終わりそうですか?」
「まさか」
「ですよね」
 将棋班の実験はまだいくつかあったが、他の班も同様に忙しく、使えるマシンがなかった。仕
方ない。
「大家くん、手伝って」
「何すか」
「バルゴ復活」
「電源無いっす」
「たこ足ならある」
「電流は大丈夫っすか?」
「俺に聞くな」
「……へい」
 OAタップに限界まで差し込まれた配線の中からディスプレイの線を選んで引っこ抜き、3つに
分岐できる通称たこ足を代わりに差し込んで、元の線と新たな2本の線を接続した。
 バルゴというのはマシンの名前で、CPUの遅い方から切るという方針により事実上無いものと
されていたやつである。速度はすこぶる遅いが、明日までには終わるくらいの、そんな予測は立
ったので、しないよりはマシと思ったわけだ。
「よし、これで1つ回すぞ」
「OKっす」
 あとを大家に任せて、私はまた中沼に声を掛けた。
「それは、一人でやるゲームなの?」
「ええ。ドリキャスの最新ゲームすよ」
「いつの最新?」
「うーんと、半年前?」
「はっ、新しいね」
「いい加減飽きてますけどね」
「じゃやるなよ」
「もうやめるつもりでした」
「あそ」
 私は再び、研究室へ戻った。次が、運命のゼミ室訪問となる。

「せんぱーい、大変っす」
「ん? 何?」
「停電っす」
「はあっ?!?」
「落ちました」
 にやけた顔で大家が研究室へ来たかと思ったら、なんてことだ。落ちたとなればそれは、
「10番か?」
「はい」
「やっぱり!」
 私は、そんなことをしても意味はないのだが、ゼミ室へ駆け付けた。
 ゼミ室のコンセントは、そこいら中にあるようでいて自由には使えない。ブレーカがいくつか
設置されていて、ということはその数だけの独立した配線があって、その配線ごとに平等な数で
割り当てればいいものを、線が担当するコンセントの数が非常に偏っているのだ。中でも注意す
べきが10番のブレーカで、ゼミ室を入ってすぐ左手の、冷蔵庫とタップがつながったもの、入
り口とちょうど対角線上の角にある1台のマシンとそのディスプレイ用のもの、床になぜか4カ
所もある埋め込み式というか、普段は閉じていて固定金具を外すと貝のように開くタイプのもの
(一口は元左沢マシン、一口はゲーム機用で、あとは遊んでいる)、入り口から見て右の壁にあ
るテレビやスピーカ、延長コードがつながったもの、そしてM2のテレビとプリンタがつながった
もの、最後に、コンセントではないが天井の照明の半分、これらがすべて同じ1つのブレーカで
賄われている。この状態よりも、設計者の発想の方が恐ろしい。(作者注:事実です)
 入り口を入ってすぐに足元を見る。やはり。
「誰だ、この電子レンジを動かしたのは!」
「はい、僕です」
「相馬さん……」
「ごめんなさい。ほんっと、すんませんみなさん」
 腰の低いM2の相馬が、平身低頭といった様子で平謝りだった。
「ポットが入ったら一撃でしたけどね」
「うん、レンジも強力だと思うけど」
「あーあ」
 私はレンジのふたを開けて、中のものを取り出そうとした。ブレーカは廊下にあり、翌朝にな
って管理課が鍵を開けてくれないと復帰しない。入れておいても冷えるだけなのだ。
「お?」
 温かい。充分に、弁当は温まっていた。
「相馬さん、食えますよ」
「え、ほんと? あ、ほんとだ。よかったー、俺の弁当ちゃん」
 頬ずりしながら、相馬は研究室に去っていった。となると、これは違う。
「さてと、この10番に最後の一撃を加えた不届き者は、一体誰だい?」

「バルゴなんていう死んでいたマシンを復活させたことに加えて、相馬さんが不覚にも電子レン
ジを起動させてしまった。それだけでも、10番は電流の許容値、いってみればパワーの境界線
ぎりぎりまで酷使されていたはずだ。そこに何か、決定的な一撃を加えたやつがいる」
 ゼミ生たちはお互いに顔を見合わせながら、その時のことを思い出そうとしているようだっ
た。なぜ、自分の行動を思い出すのに人の顔を見なければならないのか、彼らの記憶装置が外部
にあるわけでもなかろうに。
 冷蔵庫のつながったコンセントから伸びたタップに接続される3台のマシンの1つの前に座っ
ていた岩崎が、すっとぼけたような、自信を表明できるすべての要素をはぎ取ったような口調で
まず証言した。
「えっと、僕はこのディスプレイの電源を入れました。あの、バコン、て鳴って画面が出るか
な、と思ったらブチン、と」
「なるほど。他には?」
「えっと僕は」2番手は亀田「アクエリアスにログインしました。設定を読み込んでるところで
落ちちゃいましたけど」
 アクエリアスもマシンの名前である。
 少し、沈黙。
「えっと、左沢さんのマシンで、実験が終わった瞬間だったような気もしますけど」
 岩崎が言った。研究生だった左沢だが、今はさっさと就職を決めてすでに出てしまっている。
彼にあてがわれていたマシンはゼミ室へ運ばれて、非常に不安定で使い勝手の悪い最速のマシン
として活躍している。なぜそこまで動作が不安定なのかは、誰にも分かっていない。むしろ、こ
れが現時点で最大の謎であるとも言える。
「他に心当たりは?」
 私の問いに、全員が首を振るか、完全に無視をした。
「テレビは消えるし、これじぁディスク入れることもできませんよ。まあ、入れても読むことす
らしてもらえませんけどね」
 ゲームのディスクらしき物をひらひらさせながら、くつろぎコーナーで中沼がぼやいた。
「研究しろってことだ」
「いえ〜」
 中沼が悲鳴とも何ともつかない素っ頓狂な声を上げた。彼の実験が動いていたマシンなら、1
0番ではないから無事だろう。実験が終わっていなくても、データの傾向くらいは把握できるは
ずだ。そしてまさにそれこそが、実験の目的である。
「じゃ、あとはM2かな」
 そう言い残して、私はゼミ室を出た。

「笠倉さんは、心当たりは?」
「あるよ」
 複数ある原因の、すべてが重なったからこその事故とは言える。しかし、最後の一撃は確実に
存在するわけでだから、笠倉も興味がある様子だった。
「このテレビ点けたんだよね。スピーカから音が出始めて、まだ画面がうっすらと出始めた頃に
落ちた。でも、これは違うよね」
「はい」
 私は即答できた。片腕の長さよりは幅の広い大画面とはいえ、電力を食うのは画像よりも音
声、ディスプレイよりもスピーカである。スピーカが作動して平気だったのだから、少なくとも
テレビは最後の一撃ではない。
 しかし、私は何か違和感を感じていた。ゼミ室を出た頃か、もっと前からか、あるいはもっと
後なのか。分からないが、何かおかしい。
「相馬は、何かない?」
「ん、僕は、何も言えません。ただ、申し訳ないとしか、ええ……」
「そうなの?」
「弁当をレンジで」
「あ、なるほど」
 私の簡潔な説明で、何度もこういった事態を経験している笠倉は納得した。
「まあ、僕らのマシンは大丈夫だったんだから、いいじゃない。そういうことじゃないって?」
 笑ってそう言いながら、笠倉は自分の机に戻っていった。彼も、修羅場なのだ。
「じゃ、お邪魔しました」
「いいえ。頑張ってね」
「はいー」
 その短い時間の中で、私は違和感の正体に気付いていた。私にしては速い展開だ。違和感を与
えたのは、ある証言だった。
 私は、ゼミ室へ引き返す。
「可能性としては充分にあり得るし、本人が自覚できないとは思えない単純なことだ。そして今
までに発覚したすべての可能性は、ちょっと考えにくい。となると、その可能性を検討する必要
性が出てくるね。だが、それを知っているはずの人物は何も言ってくれていない。これは、もし
かして俺に対する挑戦かな? ねえ、黙っていることから考えて、犯人は君だよ、中沼くん」
 くつろぎコーナーでは、中沼が両手を上げて、降参のポーズを作っていた。

「まず岩崎くんのディスプレイね」
 私はくつろぎコーナーで、大家と中沼を相手に推理を聞かせていた。
「バコンといって、画面が出始めて落ちたという。ポットは沸騰する瞬間が最も危険だというの
と同じで、ディスプレイはそのバコンの瞬間が危険だ。乗り越えたということは、それは最後の
一撃ではない」
「ログインして落ちるってことはないですよね?」
 大家が言った。
「それまで長い間マシンが放置されていたなら、セーブモード、でもないか、電力を制限するか
たちでじっとしていたはずだから、いきなり作動させられたら大きめの電流が流れるだろうね。
ただ、実験ラッシュの今は当てはまらないだろう」
「仮に当てはまっても」中沼が続ける「アリエスから移動プロファイルをダウンロードしてる最
中に負荷がかかるってことはないですよね」
「負荷はネットワークだけ」
「そうっすね」
 アリエスというのは、大塚ゼミLANのサーバである。
「実験終了というのも、当然ながら負荷ではない。あのマシンでクソ重たい実験して、メモリが
ぐっちゃぐちゃになってる時にプログラムを終了したりすれば、また違うだろうけど」
「今回は違いますよ」
「うん」
 笠倉のテレビ説は始めから否定されている。
「そこで、新たな可能性の追求だ」
「そっからが本題ですね」
「偉そうに言うなよ」
「はい、すいまっせん」
 中沼は高卒で一度就職している都合で、私より3つ4つ年上だ。ゼミの中でも最年長である。
ソファにふんぞり返っている態度も自然といえば自然で、違和感すら感じられない。皆から
「主」と称されているのも、無理のない話だ。
「俺は何か違和感があったんだ。見たものの中にあることが多いんだけど、今回はちょっと違う
ような感じだったから、聞いた話の中から探してみたら、あった。この俺が気付いたっていうこ
とが奇跡的だね」
「ゲームとかしないんですか?」
「しないよ、パズル系は好きだけどね」
「ああ、でしょうね」
「パソコンのゲームはよく落としてますよね」
「うん。パズル系」
「結局それすか」
「まあね。で、プレイステーション2とドリームキャストの違いが分かったっていうのが、自分
でも不思議なわけよ」
「ドリキャスはボタン押せばカパッと開きますからね」
「プレステはトレー式ですしね」
「そう、中沼くんはドリキャスのゲームをしてたよね。そしてもうやめるとも言っていた。実
際、やめたんだろうさ。そして今度はプレステのゲームをやろうとした。当然、電源コードを差
し替えて出力コードもつなぎ変えて、本体の電源を入れなければならない」
「そのプレステに乗り換えたっていう根拠が」
「君の発言だよね。ディスクを入れることさえもできない、と君は言った。おかしいじゃない。
ドリキャスのままだったら、ディスクの入れ替えだけはできるんだから。君がプレステを始めよ
うとしていたという何よりの証拠になる」
「だから、僕がそれについて黙っていたから、こいつは怪しいなと」
「自分がやったという生々しい手応えを感じたからこそ、またいくつかの可能性が提示されてい
たこともあって、君は俺が真相を暴けるかどうか試したんだろ?」
「まあ、試すってほどじゃなかったですけどね」
「似たようなもんだ」
 私と中沼は事情が分かっているからいいとして、大家はなるほどとしきりに納得していた。し
かし彼は、知ってはいけないことまで知ってしまった。
「あのう、今井さん?」
「ん、何だい」
「これで、確かに停電の原因は、最後の一撃の正体ですか? はっきりしましたけど、でも結
局、朝になるまで実験はできないし、データは取り直しなんですよね? 真相が分かってどうな
るんすか?」
「……」
 私も中沼も、この修羅場の空気に呑まれてか、洒落の一つも返すことができなかった。

――終わり

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