第61回テーマ館「壊れそうなモノ。」「壊れる」



不思議な国で、アリス hiro [2006/05/04 21:13:07]

 アリスは森を歩いていた。
「あ〜っも〜っっ! 何なのよココはっっ!! 足は痛いし、お腹すいたし、ど〜やった
ら家に帰れるのよ〜っっ!」
 より正確に表現すると、アリスは森をさ迷っていた。遅れウサギを追いかけて妙な世界
に迷い込んだアリスは家に帰る方法を探してずっと旅をしているのだ。この世界では次々
に不思議なことばかり起こってどれだけ時間が経ったのかはアリス自身にもわからなくな
っていた。わかっている事と言えば、青と白のチェックのエプロンドレスはすっかり埃ま
みれになっていて、皆がよく誉めてくれるブロンドの髪もぼさぼさで輝きを失ってしまっ
ている事ぐらいだ。
「家に帰ったらまずシャワーね。それできれいな服に着替えたらお腹一杯甘〜いお菓子を
食べて、ふっかふかのベッドで寝るんだわ。ふふ、うふふ」
 さっきまで一人で怒っていたアリスは今度は見る者を不安にさせるような不気味な笑み
を浮かべた。かなり危険な症状だ。
 すると、そんな壊れる寸前のアリスに背後から声がかけられた。
「ちょっと待ちなさい、そこを行くお嬢さん」
「!?」
 はっとしたアリスが振り返ると、そこには誰の姿もなく、代わりに煉瓦で作られた壁が
あるだけだった。こんな森の中に壁がある状況は不自然極まりないが、今までの奇妙な出
来事に比べればアリスにとっては十分に許容範囲だ。
「こっちだ、もっと上だ」
 声に導かれるように視線を壁の上方に向けたアリスの視界にソレが飛び込んできた。ソ
レは少し着崩れた感じのトレンチコートに身を包み、ソフト帽を目深に被った――卵だっ
た。手足の生えた卵には実直そうな顔がはりついていて、当たり前のように葉巻をくゆら
せて壁の上に座っている。
「これはさすがに許容範囲外ね……」
「何か言ったかい? お嬢さん」
「いいえ、きっと気のせいよ、おじさん。それであたしに何かようかしら」
 警戒心もあらわに2,3歩下がったアリスは異様な風体の卵男に尋ねた。すると卵男は
かすかに微苦笑を浮かべた。
「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。見ての通り私はここから動けないからね。私の名
前はハンプティ・ダンプティ。それよりもお嬢さん、こんな森の中で女の子の一人歩きは
危ないよ」
「ご親切にどうも。あたしとしても一人歩きなんてしたくないのはやまやまなんだけど
ね」
 アリスは今までの状況をため息交じりにハンプティに話した。黙って話を聞いていたハ
ンプティは話が終わると大きく紫煙を吐き出し、葉巻を壁の上部に押し付けてもみ消し
た。
「そうか、苦労しているんだな。私が付いて行ってあげられればいいんだが。力に慣れな
くてすまない」
「別にあなたが気にすることじゃないわ。あなた、ずいぶん親切なのね」
 卵のくせに。
「はは、強くなければ生きられないし、優しくなければ生きている資格がないのさ」
 ハンプティはニヒルに唇の端をゆがめた。もしかしたら笑ったのかもしれないが、アリ
スにとってはどうでもいいことだった。アリスはハンプティの言葉を完全に無視して先程
から気になっていることを尋ねた。
「話は変わるけど、そんなところに登っていたら、その――いろいろと危ないんじゃない
の?」
「お嬢さんにはわからないかもしれないが、男の人生には危険がつきものなのさ」
 ハンプティは少し気取った調子で答えた。
「そうなの。確かにあたしには理解できないわ。ところであたしの状況はさっき言ったと
おりだけど、あたしの家に帰るための道は知らないかしら」
 アリスの問いにハンプティは少し考えてから答えた。
「すまない。私には君の家に通じる道はわからない。だけどこの先をまっすぐ行けば森を
出ることができるはずだ。その先はそこで出会った奴に聞くといい」
 そしてハンプティは壁の脇を指し示した。そこには言われなければ気づかないほどの獣
道が伸びていた。そしてその先は心なしか他よりも明るいような気がする。
 必要な事を聞き出したアリスは壁に近づいてハンプティを見上げた。
「ありがとう、助かったわ」
「いやなに、レディーを助けるのは紳士の勤めだからね」
「そう。だったらもう少し助けてもらうわね」
 言ってアリスはハンプティの足にとびついた。壁に腰掛けていただけのハンプティは足
を引っ張られて簡単にバランスを崩した。
「な、なにを――」
 ハンプティは抗議を言い終える前にグシャリと鈍い音を立てて地面に落下した。そして
ひびの隙間から半透明の液体が流れ出始めた。
 それを見たアリスは軽く舌打ちして吐き捨てるように言った。
「なによ、ハードボイルドなのは見た目だけじゃない!!」

 < THE END >


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