『テーマ館』 第26回テーマ「さよなら/微笑み」


桜の下で 投稿者:みどりのたぬき  投稿日:04月10日(土)23時51分15秒

      春の昼下がり、病室で祖母が言った。
      「桜が見たいねえ。」
      私は「おばあちゃん、まだ熱があるでしょ。それに今年はまだ桜は咲いてない
      よ。」とリンゴを剥きながら答えた。
      祖母が病気で入院してからもう一年余りになる。
      共働きの両親にかわって学校帰りに病院によって、祖母を見舞う。
      それがもう一年以上、私の習慣になっていた。
      「そう…」
      祖母はそう答えるとそのまま夢みるような表情をした。
      私は剥いたリンゴを皿に載せると祖母に差し出した。
      「はい、おばあちゃん。」と言ってリンゴを差し出すと、いつもの祖母の表情
      に戻る。
      祖母は「ありがとうね。真由美ちゃん。」と答えてから皿を受け取った。
      そして「今年の桜もきれいだろうねえ。」と言って微笑んだ。
      「もう少ししたら病院の前の桜を一緒に見にいこうよ。」と私が言うと
      「そうだねえ。」と言って祖母は私を見て、微笑む。
      そしてまた、夢みるような表情になった。

      容態が急変して祖母が亡くなったのは、その3日後だった。

      祖母の葬式、葬儀の後片付けと慌ただしい日数が過ぎていった。
      しかし私は祖母が亡くなったということがどうしても納得できなかった。
      祖母はまだ生きていて、いつもの病院で私が面会に来るのを待っている、そん
      な気がしてならなかった。
      それは学校が終わって帰宅してから祖母の部屋でひとり、遺品の整理をしてい
      ても頭の中から離れない想いだった。
      襖を開けたままのため、外からはまだ少し冷たい風が入ってくる。
      『少し寒いな』そう思って襖を閉めようと思い、私は立ち上がった。
      襖を閉めようとすると庭の桜が目に入る。
      その桜を見ていると去年の春のことを思いだした。
      昨年、祖母はもう入院していたが、体の調子がよかったため桜が咲く頃は外泊
      して家にいた。
      そして縁側で祖母とふたり、庭の桜を眺めて花見をしたのだ。
      祖母はずっと飽くことなく桜を見ていた。
      夜になって、私が自分の部屋にかえる時もずっと桜を眺めていたものだ。
      あの日、祖母はいつまで桜を眺めていたのだろう。

      祖母は亡くなる前にあの日の桜を思いだして微笑んでいたのだろうか。

      ふいに頬をあついものが流れた。
      昨年、祖母があんなに飽くことなく桜を見ていたのは…。
      滲む視界に桜の花びらが舞っているのが見える。
      滲んだ視界にもかかわらず、桜の花は本当に美しかった。
      長い冬が終わってから桜は咲く。
      しかし桜を愛でられる期間は本当に短い。
      じきに花は散って来年まで桜の花を見ることはかなわない。
      でも祖母と桜を見ることはないのだ、もう決して。
      納得できなかった祖母の死が今やっと実感として感じられた。
      私は頬をあついものが流れるのを止めることができなかった。

      今年もまた桜の季節が終わろうとしていた。