『テーマ館』 第26回テーマ「さよなら/微笑み」


最初で最後の電話 投稿者:虹乃都

       フミたちは引越しを終え、外で夕食を食べてきたばかりだった。食後にごろんと
      なるスペースさえないので、しぶしぶ荷ほどきを始めていた。
       そんな中、つながったばかりの電話がさっそく鳴った。近くにいた夫が受話器を
      取った。
      「フミ、電話」
      「誰?」
      「加藤って男から」
       フミは首を傾げた。
      「そんな知り合い、いないよ」
      「とにかく代わって」
       フミはしぶしぶ受話器を持った。
      「もしもし?」
      『カトウです。分かる?』
      「ええと……」
       声を聞いても心当たりがない。いたずらだと判断して受話器を離そうとする。
      『石田印刷のバイトで一緒だった……』
      「ああ! 加戸くん!」
       堰を切ったように閉じ込めておいた記憶が蘇る。
      『思い出した?』
      「もちろん覚えてるよぉ。旦那が『加藤だ』って言うから……」
      (加戸くんはバイト仲間で……)
      『結婚したんだね』
      「うん」
      (当時好きだった人……)
      『実家に電話したら、そう言われてびっくりした』
      「へへ……」
      (きついバイトだったのに、続けられたのは彼のおかげだった……)
      『おめでとう』
      「ありがとう。……で、加戸くんは今どこ?」
      (でも半年で、大学も辞めてどこか行っちゃったんだよね)
      『東京。東京の新宿』
      「へえー、そうなんだ」
      (九州とかいう噂だったけど)
      『大学入り直して、今3年生』
      「そっか」
      (東京か)
      『……』
      「……」
      『……』
      「ところで、今日は私になんか用事、あったんでしょ?」
      (心当たりといえば、……あれだけ)
      『……』
      「なんで4年ぶりに、わざわざ……」
      (もしかして、あの手紙のことで掛けてきたの?)
      『手紙のこと、覚えてる?』
      「ええっと……」
      (やっぱり!)
      『……覚えてるわけないよなあ。結婚してるし』
      「……」
      (忘れるわけないよっ! 加戸くんが辞める直前に渡した手紙。直接言えないから
      あの手紙で告白したんだ。恋愛より優先させたいものがありそうだったから、「返
      事は急がないよ。落ちついてからでいいから」と添えておいた、ずっと返事がない
      ままの、あの手紙……)
       フミはちらりと夫の方を見た。誰と話しているかも知らず、荷ほどきに夢中になっ
      ている。
      『……ならいいんだ。いや、その手紙に「落ち着いたら連絡くれ」って書いてあっ
      たから、連絡しただけ』
      「そっか」
      (……遅いよ! 私がどんな思いで待っていたか。……どんな思いで加戸くんを諦
      めて、以前から申し込まれていた山川に乗り換えることにしたのか……)
      『……』
      「そういえば、加戸くん、彼女いないの?」
      (あと1ヶ月早かったら……私……)
      『ついこの間ふられた』
       フミの気持ちがすうっとひいていった。
      (なあんだ……ふられついでに思い出しただけか。……期待して損した)
      「……大丈夫。すぐに新しい人見つかるよ。私が保証する」
      (……私もお互いさまか。返事待ちきれずに結婚してるんだし)
      『ありがとう。頑張ってみるよ』
      「ファイトッ!」
      『それじゃ』
      「元気でね」
       フミは受話器を置いた。
      (加戸くんの連絡先、聞かなかったな。……もう向こうから掛けてくることもない
      だろうし)
      「知り合い?」
      「うん。昔のバイト仲間」
      「何って?」
      「……おめでとう、だって。実家で聞いたらしいよ」
      「ふうん」
      「さてと。……せめて今晩の寝床だけは作らないとね」
       フミは力いっぱいガムテープをはがしながら、心の中で、
      (……さよなら、加戸くん)
       と呟いた。