第40回テーマ館「三日月」



月への記憶と機械の思い 月光の調律師 [2001/06/22 23:20:46]


 もし今のこの星を例えるとしたら、それは煉獄以外にはありえないと思う。極端に昼夜の温度
差が激しいこの星では、まともな生命は夜明けと日没のわずか数時間にしか活動することは難し
い。日中は容赦なく太陽が照り付け、惑星全土を覆う広大な紅砂の砂漠を煉獄へとかえるから
だ。

 左手を握ったり開いたりしてみる。僅かな駆動音がするだけで、もうピクリとも動きはしな
い。最後まで頑張ってくれていたこの左手も、ついにダメになったようだ。
 ほとんど視力の残っていない目で、日の沈みきった空を見上げてみた。濃紺の夜空に、早くも
星々が瞬きはじめているのが感じられる。その空にかつて、人々が月と呼んだ惑星の衛星の姿は
ない。当たり前だ。あれはとっくの昔に壊されたのだから。
 そう、月は壊された。あまりに愚かで、あまりに優秀だった人間の手によって。

 足元に広がるのは、広大な青い円盤だった。眩しいほどのコバルトブルーに、茶色と緑を配し
た美しい惑星。ところどころにそれを覆い隠す白い綿のようなものは、じれったいほどゆっくり
と動き、景色にアクセントを添えている。
 この星は生きている。青く見えるのも、緑があるのも、雲が流れ動いていくのも。すべて、こ
の惑星が生きていればこそだった。

 あこがれていた。どれほどパークの木々をながめても、どれほどムービーデータの青天井を見
せられても、僕は眼下のあの青く美しい星に憧れていた。いつか必ず、あの星へ行ってやる。誰
彼かまわず、身の程知らずに宣言したこともあった。
 その時は、この星がどんな末路をたどるかなどまったく知らなかったし、知っていたとしても
当時の僕に出来ることはなにもなかった。無力だったということだ。

 そう、はじめて降り立った惑星は空が真っ黒で僕が想像していたのとはまったく違っていた。
それが『夜』というものだと説明されても全然納得しなかった。
 その空が真っ黒なんかじゃなく、すごく濃い紺色で視界を埋めるほどの煌めきを宿していると
わかった時、僕は心の底から歓喜した。飛び跳ねてずっこけて、そしてあの光を見つけたんだ。
冷たくて刺すようでどこか静かなやさしさを含んだ光。食い入るように見つめたんだ。星すらも
それのためには輝きを控える。そんなふうに思わせてくれる、あの三日月を。

 月と呼ばれた衛星は、それからすぐになくなった。砕かれた。壊された。消し去られた。
 あの青く美しかった星は、紅砂をまいた風が吹きすさぶ煉獄の星になった。

 この星はたぶんもう、二度と青く輝くことはない。わかってしまうんだ。
 自分がまだ、未熟な精神回路しか有していなかったころ。自分はこの星を見るたびに、人間で
言うところの『元気付けられた』という感覚をもった。この星があったからこそ僕は頑張れた。
 少しでも恩返しがしたくて、僕はありったけの植物の種子と苗木を持ち込んだ。まだ水が残っ
ていた土地を探して、そこに種を埋め、苗を植えた。
 種はいつまでたっても芽をださず、苗はすぐに枯れてしまった。でも、僕はあきらめなかっ
た。いつか必ずこの星を緑で一杯にしよう。そう心に決めた。
 人間たちと仲間の全てがこの星から離れても、僕はひとりのこった。この星に元みたいにきれ
いな、青い星にもどってもらいたかったから。
 たとえ意味のないことだとしても、そうしなければいけないようなきがしたから。

 でも、もう終わりみたいだ。最後まではたらいてくれていた左手は、今日でうごかなくなって
しまった。目は両方とも、ずいぶんまえから見えなくなってイる。からだのアちこちがきシむよ
うになって、ウごくことがひどくむずかシくなって・・・・・・

 ごめンネ。僕ハコノ星ニ、ナニモ、シテ、アゲ、ラ、レ、ナ、カッ・・・・・・

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