第58回テーマ館「死」



死にたくなる しのす [2005/08/29 23:08:35]

 死にたくなった。
 大口の契約を結んだまではよかったが、契約に不備があり、結局会社に大きな損失を与えてしまった。そして全員の前で課長からこっぴどくののしられた。
 その夜大学時代からつきあっている彼女から、他の男と結婚するので別れてほしいと言われた。
 1人寂しくマンションの14階の部屋に着くと、窓を開けて飛び降りたい気分だった。

 大学の仲間だった3人が集まって、話を聞いてくれた。
 「それくらいで、死にたくなるかよ」と黒縁眼鏡をかけた大沢が言った。
「俺なんか、買ったばっかりのNSXにダンプがつっこんで大破さ。病院にも運ばれたけど、事故った瞬間ってほんと死にたくなったよ」
 「たかが車だろ」と黒い顔の中村が言った。
「僕は親父の会社がつぶれて、一家離散だぜ。大学出たのに、ほとんどホームレス状態で、犬にかまれるわ、中学生たちに火つけられるわ、ほんとに死にたくなったぜ」
 「それは単にプライドの問題だろ」坂田が、ため息をついて言った。
「病院の診断で、先が長くないって告知されてみな。死にたくなったというより、死んだも同然だったぞ」
 彼らの話を聞いて、自分の悩みが大したことないことに気づいた。死にたいと思ったことが滑稽に思えた。

 「死んだらおしまいさ」
 「がんばれや」
 「生きてたら、いいことあるって」
 3人は口々にそう言うと、ふっと空中に姿を消した。


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