第58回テーマ館「死」



文字通り、人生やり直したい人だぁれ? ZAX [2005/09/06 20:39:27]

 「今、あなたは、自分の過去を眺めているのです」

 静かだが、確かな声がした。
 今となってはそう・・・・、視覚と聴覚のみが、すべてだった。

 いや、触覚もある。確かに。だが、それは曖昧で、ぼんやりとしていた。水の中に居
るのか、ふわふわとした浮遊感である。

 それでいて、どこでその浮遊感を感じているのか。

 と、言うのも”彼”には質感を感じて然るべき皮膚、いやそもそも「肉体」自体が存
在しなかったのだ。

 だが見える。聞こえる。曖昧だが、質感もある。どういう原理なのかは分からない
が。

 「ほら、そこにあるのが、あなただった男の身体ですよ」

 声は果たして女のものか、男のものか。判別はつかなかった。言葉の中身が直接、感
じ取れるという感じだった。

 視界は言葉通り、正面のストレッチャーに横たえられた男の裸身を捕らえた。

 「表向きは、線路に身投げしての投身自殺、ということになっています」

 声はどうやら、無機質な機械音声らしい。感情の抑揚がまるで感じられない。

 「公式発表通り、かつてあなただったその男の住居近く、最寄の線路で人身事故を起
こしておきました」

 おきました?ということは、誰かが死んだ?
 いったい誰を?まさかホームレスでも拉致して、線路に放り投げたとでも?

 「ダミーを拵えました」

 思考を読まれたかのように、疑問は解きほぐされた。

 「死体は原型をほとんど留めていませんでした。顔は完全に潰れてましたし。辛うじ
て右手、中指の第一関節が残されており、指紋によりあなたであると特定させました」

 なるほど。
 ”彼”は一安心した。

 「さて、生前にあなたが記載したご希望通りの肉体はじめさまざまなものを設えまし
た。まずは、肉体からお持ちいたしましょう」

 目の前を、緑色の手術着らしきものを来た二名の男が過ぎり、裸身の男の死体を脇へ
どけた。そして代わりに同じく裸身の身体を横たえた別の男を乗せたストレッチャーを
運んできた。

 ほう・・・・。

 彼は感嘆した。声に出なかったから心の中で。

 「容姿端麗、眉目秀麗というオーダーを元に、イメージに近いミュージシャンGとH
を掛け合わせたイメージパターン一億通りからランダムに各部位をコンピューターが算
出しました。この各部位は細胞レベルにおける選定です。各部位において一億通りの組
み合わせです。とにかく、あなた好みの容姿であるとありがたいですが」

 機械にしては饒舌ではないか。などと思いつつ、彼は眼前の「肉体」を惚れ惚れと眺
めた。

 理想どおりだ。

 「次に肩書き。これは超人気ロックバンドヴォーカリストでよろしかったですよね」

 そうだ。間違いは無い。ただし、今の日本には存在もしていない、影も形も無いバン
ドだ。

 「オプションはこちらで用意しました。他のパートの方々です」

 声の言うオプションはそちらで任せる、とオーダーをしておいたので問題は無い。自
分が生かされるのならば、誰であろうと文句は無い。

 「恋人もお連れしますか?」

 意思表示したいところだが、どうすればいいか。

 「まぁ、マンションにでも待たせておけば良いでしょう」

 なるほど、別に構わない。オーダーはスーパーモデル級の美女、としておいた。

 「と、細かな確認事項は山を成していますが、すべては後でも間に合いますし、そも
そも、オーダー成された時点ですべての確認事項は一通りお済のはずですから再三のも
のは不要でしょう。それよりも、この後です。本当に確認しなければ、そして行わなけ
ればならない最終工程」

 目の前に、四角いスクリーンが下りてきた。どこかにプロジェクターがあるのだろ
う。白く、四角い光が投影される。

 「為永慶介。昭和45年、7月21日、千葉県C市の長男として生まれる。地元の小
学校、中学校、高校を経て東京の国立K大学へと進学。卒業後、大手出版社において営
業部署へと配属される。その際、校正部の亘理和美と知り合い、結婚。一女を設けるも
二年後に離婚。自身も仕事の不振が続き、会社も欠勤が増え、ついにはリストラに。同
時に重度のアルコール依存症に陥る。そして平成17年、9月6日、線路に身を投げて
死亡。目撃者の話では、娘が手を振っていたとうわ言のように呟いていたとい
う・・・。享年、35歳」

 それはモノローグなのか、弔辞なのか。声はこれまで以上に淡々と、為永”だった”
男の生涯を諳んじた。

 そうだ。

 確かに俺はしがないサラリーマンに甘んじてた。夢を抱いて社会に飛び込んだはいい
が、現実にもまれてそれは霞んでいった。もちろん、すべては自分の弱さってことは分
かっている。逃げだ。都合のいい言い訳を捏ねて逃げたんだ。

 だが、もうどうしようも無かった。妻も子供も失った。俺はすっかり、人生の負け組
みに落ち込んだ。30をとうに過ぎた落ちぶれた男に、働く口があるか?無い。

 もちろん、それだけではないが・・・・。

 とにかく、すべてが嫌になったんだ、要は。どうせ行き着くとこは死と予感はして
た。リセットだのやり直しだの、そんな綺麗な言葉は若者だけの専売特許だと彼は感じ
ていた。

 そして、それらの言葉を軽々しく振り回す連中を心底憎悪した。人生がそんなに簡単
にやり直せるもんか。積み木を積みなおすのと、訳が違う。

 行き着く場所が死と思っていても、容易には動けなかった。代わりに俺は酒に逃げた
んだ。安易だが。

 そして、と言うべきか、しかし、と言うべきか。

 「文字通り、人生やり直したい人だぁれ?」

 思えば、人を小ばかにしたうたい文句だったが、あの時は不思議と胸が震えたのを覚
えている。

 「偽装自殺と新しい人生のご提供、お手伝いします」

 きっかけは何気なく見ていた自殺サイトで突然挿入されてきたポップアップ広告だっ
た。ただの鬱陶しいアダルト広告かと思ってすぐ消そうとしたが、出てきたのがこの広
告だ。

 「首吊り、飛び降り、焼身、一酸化炭素中毒、溺死、窒息、失血・・・・自殺の種
類、方法は一切問いません。あらゆる形をお申しつけ下さい。もちろん、偽装ですので
実際に死ぬのはあなたではありませんから、遠慮なくどうぞ」

 こんな物騒な文句をユーモアたっぷりに書くなど、よほどの異常者か、正真正銘の聖
人くらいだろう。

 その時の自分の心理がどうだったのかは忘れたが、こうして俺はこの「賭け」に乗っ
てみることにした・・・・。


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