第44回テーマ館「運命」



春の海 はなぶさ [2002/04/03 00:19:20]


何年も電話もしていない奴に無性に会いたくなったけれど、仕事が忙しくて
そんな時間もとれないまま、桜の季節になった。うすい桜色の花びらの散る
海岸線を車で通りかかったとき、奴は海を眺めるとも桜を愛でるともわから
ない視線で、歩道を歩いていた。しかし、車を止めたときには、そいつはバ
ックミラーに映っていない。どこかに歩いて去ったのか。

それから五年経ったあと、そのとき海に飛び込んだと聞いた。そいつが見え
なくなった理由があまりにも簡単だったものだから、気が抜けてしまった。
私はなぜ、その時に奴に会えないまま、五年も時間を重ねてしまったのか。
無性に会いたい気持ちを、どこかへ捨ててここにいる。もう少しだけ早く車
を止めて、声をかけていたらと、五年前の私がささやく。

それから更に3年経ったあと私は奴の消えた海岸線に立ち、桜の花びら舞い
散るなかで、彼の声を聞こうとじっと耳を澄ました。もう何年も経っていた
からか、誰の声も聞こえない。ただ潮騒が私をつつんた。奴も聞いたはずの
この潮騒だけが、奴の気持ちを伝えてきている。それだけがわかっただけで
私は区切りをつけることにした。

人の運命なんて、波の音にも勝てないものさ。言葉なんて、目の前を通り過
ぎる花びらみたいなもんさ。そうつぶやいて、停車してあった車に乗り込み
発車しようとしたら、急にこみ上げる涙が頬をつたった。やっとここに奴の
気持ちが届いたみたいだった。理由も何も伝わらないままに。

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