第44回テーマ館「運命」



プロムナード(トランペットは朗々とその始まりを告げる) 松藤 [2002/04/25 23:47:08]


 椅子に座ったまま眠っているマスターの手に、温かいものが触った。
笑い声が聞こえる。
「・・・・、おはよう。お客さんだよ」
 女の子の声。そして、マスターは目を覚ました。
「Ja、マイネ シックザール・ゲッティン(私の運命の女神)」
*     *
 夢は虫の知らせだったのだろうか、その日、バー琥珀艇はいつもより多い客を迎えた。
カウンター、3つの丸テーブル、窓際のテーブル。マスター一人で合計五つのテーブ
ルの客の相手をしなければならない。続けざまに現れた客の応対で、休む暇は殆どな
かった。
 一つの山が過ぎ去ってマスターが一息つけたのは、最初の客が来てから一時間を少
し越えた頃だった。洗いものをしながら、耳に『Be careful It's my heart』を
捕える。この曲が終わった頃に、二杯目か、三杯目を注文する客が現れるだろう。そ
れぞれ、何を注文してくるだろうか。氷は、グラスは、リキュールは、足りないもの
はないだろうか。グラスの扱いに気をつけながら、マスターは考えていた。
 ふ、と、音楽が止まる。「カセットを入れ替えているのだな」洗ったものの水をき
りながら、ちょっと思い、目でお客のグラスを確認する。
「・タタタターン---タタタターン」
 突然、大音響で鳴るその場違いな音楽に、店中が静まりかえった。スピーカーが設
置されているのは天井ではなかったのだが、誰もが驚いた顔で天を仰いだ。
「・タタタタン、タン、タン!」
 始まったのと同じ様に、音楽は劇的な終わりを告げた。
 完全な静寂。
「マスター」
 カウンター席の客が、点滅する赤いランプに気がついて、インターフォンを指差し
た。笑いを堪えながら、マスターは受話器を取った。
 Das Schicksal klopft an die Tur solcherart.(運命はこのように扉を叩
く)と言われたと、聞いたことがある。やはり「klopft」(ノックする)ではなく、
「schlagt」(打ちつける)がこの曲には合っている。謝るBGM係の声を聞きながら、
マスターは思った。

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