第42回テーマ館「悪魔」



Happy Devil's Christmas -first section 夢水 [2001/12/12 12:44:42]


1

「今井先輩、これはすごいですよ」
「まあ、見りゃ分かる」
「ええ、そうですけど」
 私は、熊田と二人である家の前まで来ている。外されているらしく表札がないから家人の名前
は分からないが、噂通りの物凄さだ、これは。
 家自体は、通りに沿ってブロック塀があり、塀の途切れた所が門となり、2メートルほど入る
と玄関がある、当たり前の住宅だ。玄関に向かって右手に大きな形良い針葉樹があり、もみの木
ではなさそうだが、毎年この木に電球やそれなりのものが飾られ、小規模ながら、この近所では
知らぬ者のない立派なクリスマス・ツリーが出来上がる。しかし今年は、どうも様子が違うのだ
った。
 まずその木、飾ってあるのはぬいぐるみやらパーティーグッズやら、さらに家の壁にもどっさ
りそういったものがへばり付いている。何が変て、それらが全て悪魔をモチーフにしたものだと
いうことだ。悪魔のぬいぐるみ、悪魔のマスク、そういったものが、なんとも可愛らしいものか
らぎょっとするほどグロテスクなものまでこれでもかと勢揃いしている。この季節、どれも雪を
かぶっていたせいで、妙に薄気味が悪い。いつもの電飾を楽しみにしていたご近所さんが狂った
ように宣伝したおかげで、軽く1キロは離れた地区に生息する私の耳にまで届いた次第だった。
今年の冬は、どうも悪魔付いている。
「キチガイですよ、こりゃ」
「まあ待て、そう決め付けるもんじゃない」
「はあ……」
 熊田の言い分も分からないではない。私だってそう思う。少なくとも、趣味は悪い。
「何か意味があるんでしょうか?」
 熊田が聞いてきた。知るかそんなこと。
「さあね、手掛かりがないからね」
「手掛かりですか……」
「探すかね」
「どうやってですか?」
「さあ。まずは観察だね」
「はあ……」
 探偵の第一歩は、事実の把握にある。私は目の前の光景をはっきりと目に焼き付けようと努力
した。フォトグラフィック・メモリの持ち主が羨ましい。自分の記憶力に自信のない私は、とり
あえずデジカメで全体を大雑把に区分して数枚撮影した。
 全く、思い付くことがない。
「帰るか」
「そうですね」
 収穫のないまま、私たちはすごすごと大学へ引き返した。
 *
 *
 *
「近所の人の嫌がらせとかじゃないでしょうか」
 研究室へ戻ってから、私と熊田はディスカッションを試みた。何かひらめくことがあるかもし
れない。
「どうして?」
「毎年あの家ばかりがいい思いをして、それが憎らしかったとか」
 感情を込めて犯人の告白のような口調で熊田が言う。
「家の人がそれをほっとくの?」
「ですよね」
 沈没。
「子供のいたずらってことはないですよね。壁なんかやりようがないですし」
「そうだね」
「他人がやったなら家の人が気付くということですから、やっぱりあれはあの家の人の仕業でし
ょう。となると、これは単なる趣味の問題とか」
「悪趣味だね。典型的」
「ええ。コレクションしていたものを見せびらかしたかったとか」
「最初の日からあれはああだったようだからね、見せびらかすならもっと前からやってなきゃお
かしい」
「では飾ること自体が趣味で、今年はそのコレクションをしたのでそれで飾ってみたかった」
「うーん、否定する根拠がすぐには見付からないけど、本気で言ってる?」
「いいえ」
「だろうね」
 進展がない。とりあえず明日もう一度見に行こうということにして、この日はお開きとした。
 翌日、前夜激しく降った雪で極めて歩きにくかったが、一時間以上掛けて私たちは現場へ赴い
た。直後に感じる、強烈な違和感。
「雪をかぶっていませんね」
「だな」
 当然、飾りは雪に埋もれて見えないだろうと予想していたのだが、そうではなかった。薄っす
らかぶっているのは、どうやら飾るときに舞い上がったり固定するときに付いたものらしい。付
き方に違和感がないから、昨日もそうだったようだ。デジカメを取り出し確認すると、実際配置
がかなり変わっている。一つずつ見ていって、物自体は変わっていないことが確認できた。
「これは、一度取り込んでまた飾ったんですね」
「間違いない」
 私の脳裏に、ほんのちょっとしたイメージが湧いてきた。それが次第にはっきりとした形を持
ってくる。
「今井先輩、どうしました?」
「とりあえず、悪魔は忘れた方がいいのかな。重要なキーワードなんだろうが、俺に分かるもの
でもないようだし……」
「は?」
 しばらく、私は考え込んだ。熊田も考えていたらしいが、すぐに降参した。
「私はダメです。先輩は、何か思い付いたんですね?」
 私はゆっくりと小さくうなずいた。
「話を聞いてそれを信じろと言われたら俺はまず疑う。そんな、無理やりな可能性だけどね」

(続く)


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Happy Devil's Christmas -second section 夢水 [2001/12/12 12:43:45]


2

「まだ答えは言わないでください。質問に答えるだけでいいですから」
 両手を広げて私に見せながら、熊田が早口に言った。私が謎解きに入ると思ったらしいが、と
んだ勘違いだ。まだ単なる思い付きに過ぎない。
「答えなんて分からないよ。ただの可能性だけ」
「とにかく、私も考えますから、アシストをお願いします」
「あいよ」
 熊田はええとと言って、推理を始めた。
「まず事実として、家中の壁に悪魔グッズが飾られている。そしてどうやらそれは一旦取り込ま
れて再度飾り直されているらしい。これだけですね」
「そうだよ。だから推理するにも材料がなさ過ぎる」
「分かってます。承知の上で先へ行きます。先ほど先輩は悪魔が重要なキーワードだが忘れた方
がいいと言っていましたね。それも、私の方の手掛かりとして含めさせていただきます」
 真面目くさって、しかも本当に真面目にこういうことを言うから熊田は楽しい。
「いいよ」
 私は軽く応えた。
「ここで、疑問が2つ起こります。第一になぜ家を飾るのか。第二になぜ黙って飾ったままにし
ておかないのか。まず第一感ですが、一度回収したのは昨日の雪のせいではないか」
「雪だとなぜ取り込む必要がある?」
「それは雪をかぶってほしくないからです」
「現に雪はかぶってるよね」
「きっと見てもらわないと困るんです」
「なら、どうしてかぶった雪を落とすのではなくかぶらないように回収することになったのか
な? 前者の方が遥かに労力は少なそうだけど」
「ですね。却下します」
「速いな」
「潔さが肝心です」
「なるほど」
 リズムに乗ってきた。
「では夜中は人目がないので盗まれないようにしまっておいた」
「今は無防備だね」
「人の目が」熊田は周囲を見回して「ありませんね。却下です」
「速っ」
「では盗まれてもいいのかというと」
 熊田はずかずかと敷地へ入っていき、手近なぬいぐるみを引っ張ってみた。
「かなりしっかり固定されています。壁の方は分かりませんが、わざわざ家の壁に這いつくばっ
てまで盗む人はいませんね。盗難は警戒しています」
「つまり盗まれてもいいという意識はないんだね」
「はい。となると、残るは1つ」
「ほお?」
「昼間だけしか出しておきたくなかったから」
「まんまだね」
「すみません」
「その理由が大切だ」
「ここまで私は何か脱線しているでしょうか?」
「そうは思わないけど」
「ありがとうございます」
 熊田はじっくりと考えて続けた。
「来ましたよ。外に出しておきたい場合と中におきたくない場合に分かれます。どうですか?」
 私はうんうんとうなずいて見せた。
「回収したのは、なんでもない夜が来たからです。だから昼間は外の方が都合がよく夜間は中の
ほうがいいということになります。これはずばり誰かからこれらを隠そうとしているからです」
 いい線を行っている。私も最初はそう思った。熊田は続けた。
「こんなことをして隠せる人物は限られます。可能性は2つです。回収や飾り付けさえ目撃され
ては困るので、それは常に中にいて夜間は寝ている人物か、常に外にいて昼間は現れない人物で
す。前者の可能性は捨てていいでしょう。窓から外を見ただけで終わってしまいます。となると
残るは後者ですね。この装飾は、常に外にいて昼間は現れない誰かから隠すためのものです」
 自身がある様子だったので少しかわいそうな気もしたが、言わないわけにもいかない。
「でもそれなら、ずっと中にしまっておけばいいんじゃない? それに例え前者が真相だとして
も、それならずっと外に出しておけばいい。必ず中に入れてしなければならないことがあったと
しても、隠す目的なら外に出している間、袋にでも入れておいたりして、本当に隠してしまえば
いい。現実がこれらと矛盾する以上、その推理は真相ではない」
 がっくりとうなだれている。小柄な熊田がより小さく見えた。が、そんなことで凹むような彼
ではない。しゃきっと立ち直り、私に宣言した。
「限界です」
 では、私の考えを話すとするか。
「俺はね、このド派手な装飾は、この家を目立たないものにするための苦肉の策ではないかと考
えている」

(続く)


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Happy Devil's Christmas -third section 夢水 [2001/12/12 12:42:51]


3

「……」
 熊田は口をぼけっと開けたまま、何も言えずにじっと私を見詰めていた。無理もない。逆説も
いいところだ。
「ちゃんと話すよ、聞いてる?」
「はい」
 意識はあったらしい。
「あのね、誰かから隠すためという発想はいい。ただ、もう一歩踏み込むべきだったんだよ。と
いうより、常識で考えれば簡単なんだ。これだけのことをやるのなら、それは人目を集めるため
という以外にない。そしてそれを回収するというのは、次に飾る時まで誰にも見せないためさ。
普通に考えてごらん。ほら」
 私は手に持った物を差し出すような仕種で、熊田に先を促した。
「ああ、ええと、待ってください、ええと……」
 両手で頭を抱えて、熊田は混乱しながらも考えた。その時、いかにも買い物帰りといった母子
連れが私たちの前を通り過ぎ、問題のその家の玄関に入っていった。鍵をいじっているその2人
に、私は思い切って声を掛けた。
「あのう、大きなお世話です。ただの老婆心で言うんですが、ここまでするんです、一度くらい
会ってみてもいいんじゃないでしょうか?」
 母親らしき女性は呆然と私を見返した。その女性のコートの裾を千切れんばかりに握っている
幼稚園くらいの男の子は、私と女性を交互に見ながら、親子であることを確信させるほど女性と
そっくりの顔をしていた。
 全くの想像で、確たる根拠がないままに行動するのは私の主義ではなかったが、次に機会があ
るかも分からないので、勝負に出てみたのだ。事情を飲み込んで私をにらんだ女性の顔つきか
ら、私の勘が正しかったことを悟った。
「それは私たち家族の問題です。口出ししないでください」
「そう、あなたたち家族の問題です。だから言うんですよ。あなたたちは、家族なんでしょ?」
 女性は言葉に詰まった。
「表札を外して、こんなことまでして、でも諦めないんでしょ? 努力は認めてもいいんじゃな
いですか」
 正しいと分かったからには黙っていられない。根がおせっかい焼きなのだ、私は。
 女性は怒りの視線を外し、鍵を取り直すと玄関を開け、中へ入ろうとした。閉じこもられた
ら、チャンスはない。私は少々卑怯だが、非常手段に出た。
「ねえ、君はお父さんに会いたくない?」
 女性がキッと振り返り鋭く私をにらんだ。私は無視して男の子に近寄る。
「ねえ、お父さんが君に会いたがってるだって。会ってみたい?」
 男の子は母親を見上げた。母親は私をにらんでいる。男の子は私を見た。私はどう? と返事
を促す。男の子が、上目遣いで少しおどおどしながら、うなずいた。
「お子さんはこう言ってますが?」
 母親の感情コントロールは、わずかに力を弱めた。
 *
 *
 *
 私と熊田は、家に招待された。断る理由はない。私からちょっかいをかけたのだ。
 外見と裏腹に、内部は至って地味だった。片付いているともいないともいえない、雑然として
いてすっきりしている。要するに家具が少ないのだ。
「引っ越してどれくらいなんですか?」
 テーブルはあったが椅子が充分にないので、私たちは絨毯の床に直接座っている。女性は中井
と名乗り、子どもは雄介と自分で名乗った。四歳だそうだ。雄介は、少し離れた場所で積み木で
遊んでいる。
「もう3年になります。この子が一歳になった年ですから」
「じゃあその年に?」
「ええ」
「正式な書類も?」
「……はい」
 知りたいのは、なぜ「悪魔」なのか、なのだが。
「先輩、一体何を話しているのか私に分かるように説明をお願いしたいんですが」
「え?」
 熊田の言葉に、中井も驚いた様子だった。私がなぜこんなに詳しいのか、気にもしていなかっ
たらしい。
「あのう、主人の知り合いの方とか、では……?」
「そう思っていたんですか。いいえ、全く違います。それどころか、あなたがどこの誰なのかさ
え私は聞くまで知りませんでした」
「は?」
 熊田と同じ応答が返る。
「私は表のあれを見て、純粋にそこから推論を重ねることで、この結論に至ったんです。まあ推
論というより憶測、妄想の類ですけど」
「はあ……」
 私は熊田の推理した部分から始めて、熊田が頭を抱えたところまで中井に説明した。話にはつ
いてきていたが、最初に声を掛けたときよりよほど唖然としている。そりゃそうだろう。
「考えたのは、昼間これだけ目立つことをすれば、嫌でも噂になるということです。そしてそれ
がいつの時点か不明にせよ一旦は引っ込められて、そしてまた飾られる。固定がしっかりしてい
るから外すのも大変でしょうし、まして固定し直すのも並みの苦労じゃない。のっぴきならない
事情があると思われます」
 一息ついて、出されていた紅茶を飲んだ。私が角砂糖を4つ放り込んだのを見た時も、中井は
目を丸くしていた。
「ともあれ、あれじゃ噂になる。自明です。ならば逆に、それこそが目的であると考えなければ
ならない。それがなぜなのか、ちょっと考えました」
 また紅茶を一口。熊田と外で少し話したのと、それ以前にかなりの距離を歩いたことで、かな
り喉が痛んでいた。まあ仕方ない。
「ヒントは夜だけ回収されるということです。それで、昼間はより多くの人にこの家で物凄いこ
とが起きていることを示し、夜はそれを引っ込めることでその噂を聞きつけた人物にこの家の場
所を悟らせないことが目的なのではないかと、論理を大きく飛躍させてみたんです。するとこれ
が、しっくり来るんです。
 この家はですね、近所の人に詳しく聞いて分かったんですが、毎年ささやかながら素晴らしい
クリスマス・ツリーを飾ってくれることで有名だそうですね。今年はなぜそうしないのか。それ
は、『クリスマス・ツリーのある家』では見付かりやすいからです。ツリーが映えるのはあの立
派な木があるからでしょう。もしこの家を他に何の手掛かりもなく探している人物がいて、『ク
リスマス・ツリーのある家』を探していたなら、例え飾りを外しても立派な木のせいで見当が付
いてしまう。だからより派手な装飾で噂を操作し『クリスマス・ツリーの家』を『別の特徴のあ
る家』に変えてしまわう。その上で、もし相手が昼間は仕事か何かの事情で休日も含み昼間は訪
れないという確証があるのなら、夜だけ全ての飾りを落とせば『特徴ある家』はこの世から消え
る。力ずくでここまで想像を働かせた結果、どうやらこの家の主には特別な事情がありそうだ
と、そう考えるに至ったわけです」
 言いたくなかった。論理などかけらもない。ただ目の前にある事実に対して都合のいい仮説を
組み立てて遊んでいただけだ。そこら辺のできの悪い推理小説と同じではないか。
 しかしミステリに素人なのか、中井は素直に感心していた。熊田は推論の流れを復習している
のか、うつむいてぶつぶつと呟いている。
「あとはね、この仮説を成立させるストーリーを考えるだけです」
 腹をくくって、私は詰めに出た。

(続く)


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Happy Devil's Christmas -final section 夢水 [2001/12/12 12:41:06]


4

「さて、分かることは、この家の主が誰かを避けたがっているということです。その誰かは、目
的の人物がこの家に住んでいることを知らないが、この辺りのどこかにいることを知っていて、
どうしてもその相手に会いたくて、必死にその人を探している。しかし手掛かりが薄い。足で調
べるしかなかった。とはいっても昼間は都合が悪く、夜は暗くてよく分からない。あなたは表札
まで外しているから、あるいは最初からなかったのか、見付かりにくいわけです。
 想像はさらに深入りします。
 あなたを探している人をAさんとしますと、Aさんはなぜあなたを知っていてあなたの家を知
らないのか。あまりにも多くの可能性が考えられますが、あなたもAさんをよく知っていること
と、次に話すことからして、以前はかなり親しかった間柄、例えば元は家族だった人ではないか
と考えました。そこで離婚という言葉が始めて浮かんだわけです。
 この家では、毎年必ずクリスマスには大きなツリーを飾る習慣があったのではないか。あれだ
けの木がどんな装飾をされるのか見たことがないので分かりませんが、噂になるほどですから、
そんな安っぽいものじゃないでしょう。以前からあったものだと考えるのが妥当です。ツリーを
見当に家を探す時、ずっと小さな飾りだけ使っていたのならこの家の木はむしろ大き過ぎる。真
っ先に否定するでしょう。しかし家の住人がその木を決定的な手掛かりとみなすからには、Aさ
んにとっても決定的なんです。つまりここで、Aさんはこの家の住人が以前から行っているクリ
スマスの飾り付けがそれほど豪華であることを知っていることになり、住人はAさんが知ってい
ることを知っていなければならない。そんなわけで、家族という言葉が現れるんです。
 Aさんは前の住所に手紙を書いたかもしれません。転居届けさえ出ていれば、それはAさんが
住所を知る必要なしにあなたの手に届きます。あなたは、Aさんがあなたを探していることを知
っていた。しかし来てほしくなかった。そこで質問です。Aさんは、探しに来たんですか?」
 それをまだ確かめていない。熊田もああ、と声を出した。気付かなかったのだろう。
「来ていました」
「窓からでも見えましたか?」
「はい」
「そうですか」
 なら、想像が当たっている可能性はある。
「あなたはAさんの知り合いか誰かが、この近くに住んでいることをどこかで知っていました
ね?」
「ええ。デパートで、前の職場にいた人を見かけました。家も近所でした」
「それで、あなたがその人を見かけることがあるのなら、その人があなたを見かけていてもおか
しくないと思っていた」
「はい」
「だから、今年はツリーを飾れなかったんですね?」
「その通りです」
 薄氷を踏むどころか目を瞑ってジャングルを素足で走破するようなものだ。自殺行為でしかな
い私の擬似推理ショーは、どうやら奇跡的に無事にすみそうである。
「Aさんからの手紙と、その人の存在。あなたは先手を打った。そのデパートで見かけた、Bさ
んにしますか、Bさんに声を掛けましたね?」
「はい。すごいですね、どんどん当たります」
「即興の思い付きですよ。あなたがBさんの家が近所だと言ったのでね、話をしたんじゃないか
と思ったんです」
「ああ……」
「Bさんは、近所の人です。だからクリスマス・ツリーのことを知っていたでしょう。その家の
主があなただとは知らないまでもね。そしてその家に来てみて驚いた。住んでいるのはあなた
で、しかも今年はなんじゃこりゃ? ですから。たちまち噂になり、それはAさんの耳にも届い
た。そう、Aさんが知るこの家の特徴がツリーではなく悪魔であることが、あなたの目的だっ
た。計画は大当たりだったわけです」
 しゃべり過ぎた。喉がからからだ。紅茶を飲み干すと、中井は代わりを注いでくれた。また角
砂糖を4つ入れて、よくかき回す。
「しかしね、あなたはさっきAさんのことを『主人』と言いましたよね? どんな事情で別れた
か知りませんけど、あなたにその気があるのなら向こうは一も二もなく承知するでしょうよ。と
りあえず同居からはじめてみて、納得できたら改めて届けを出せばいい。雄介君は、少なくとも
お父さんに会いたがってるわけですし」
 私は積み木に飽きてお昼寝を始めていた雄介を見やった。すやすやと気持ちよさそうに眠って
いる。中井の肩がかくっと落ちた。
「そうですよね、元はといえば、他愛もない夫婦喧嘩なんです。この子は父親によくなついてい
て、越してきた当時は寂しそうでした。でも最近は明るくなって、諦めたのかなと思ったんです
が、私に気を使っていたのかもしれませんね。じっと我慢して、この子は……」
 憑き物が落ちたというか、悪魔が退散したというか、中井の身体から余計な力が抜けていくの
が分かった。心も軽くなったのではなかろうか。そう、最後に聞かなくてはならないことがあ
る。
「2つ、知りたいことがあります。というよりはこれを知らないと折角ここまで来て頑張って謎
を解いた意味がない」
 中井はこれ以上何が不思議なのか不思議だという顔で私を見た。私は全知全能の神だとでも思
っているのか。手掛かりがなくては、想像さえできない。
「1つは、Aさんが昼間こっちへ来られない理由です。どうにも分かりません」
 納得がいった様子で、中井はにこやかに答えた。可笑しくてたまらないという感じである。
「昼間だと、私に見付かるかもしれないからです。根が小心者なんですよ、あの人。喧嘩の原因
も、その辺にあるんですけどね」
 言ってて楽しげだ。完全に惚気じゃないか。
「もう1つは、なぜ悪魔なのか、ですけど」
「それなら、この子に聞くのが早いんですけど、寝てますね。この子、ぬいぐるみが大好きなん
ですけど、中でも悪魔のデザインがお気に入りなんです。どうしてか分からないんですけど、天
使とか動物のもっと可愛いのがたくさんあるのに、選ぶのはいつも悪魔で。だから家にはたくさ
ん悪魔がいるんです。見える所を全部飾れるほどのものって、それくらいしかなくて。新しく気
味悪いのも用意して、でもそういうのはこの子の目からは見えにくい位置にして、飾っておいた
んです」
「新しいのは、噂を大きくするためと、ツリーの記憶が消し飛ぶほどのインパクトがほしかった
からですね」
「そう、そうです」
 数分前までは疲れた三十代後半の主婦という印象でしかなかったのに、弾むような声と笑顔で
話されてみると、実際は二十代なのかなという気になる。子どもが四歳なのだから、それも全く
不思議ではない。若いからこそ、ちょっとしたことで大喧嘩などしたのかもしれないし。
 やってられない。
「しかしよく分かりましたね、あそこまで」
「想像に過ぎないことくらい聞いてりゃ分かるだろ」
「まあ確かに」
 帰り道、熊田は私の説明を反芻しながらポイントで質問を出すということを繰り返し、長いは
ずの道中はあっという間だった。
 母親の元気な声に反応したのか、話が終わると雄介が起きたので、子どもが好きな私はつい彼
と積み木でお城やお屋敷を作って遊んでしまった。始めてしまうと自分の方が夢中になるたちだ
から、雄介は幼稚園の友達と遊んでいる感覚だったに違いない。その間に中井は外の装飾を回収
し、熊田はそれを手伝った。その帰り、私は雄介からお気に入りだという悪魔のぬいぐるみを1
つもらった。私からあげられるものはなかったが、プレゼントなら中井が用意してくれると判断
し、あえて黙ってもらってきた。
 *
 *
 *
 数日後のクリスマス3日前、私は実家へ帰る飛行機に乗るため、千歳空港にいた。いつものよ
うに一時間近く前から到着し、ひっそりと作られた書店の棚を見て回る。十分もあれば全ての棚
を巡ることができるので、私は出発ロビーをうろついていた。
「あ、お兄ちゃんだ」
 よく通る幼い声が耳に飛び込んできた。その方角を見ると、私のほうを指差し母親の手を引っ
張る男の子の姿があった。雄介だ。私はその3人連れの方へ歩み寄った。
「お久しぶりです」
「その節はお世話になりました」
 中井が深々と頭を下げた。隣の男性が、爽やかな笑顔で会釈する。私も会釈を返した。
「主人です」
「初めまして」
 手を差し出してきたので、握手を交わす。
「初めまして。ストーカーの正体はあなたでしたか?」
 冗談めかして言うと、いやあと男は照れたように笑った。顔が赤くなったから、本当に照れて
いたのだろう。
「ぬいぐるみ、俺の机が気に入ってくれたみたいよ」
「ほんと?」
「うん」
 雄介はにこにこして、母親の顔を見た。中井も、負けないくらいの笑顔を雄介に向けていた。
「これから、久しぶりに家族旅行へ行くんです。この子に、クリスマス・プレゼントと思いまし
て」
 雄介の頭をなでながら、男が言った。
「そうですか。よかったね」
 雄介は、うんと力強くうなずいた。
 それではと言って3人家族は搭乗口へ向かった。私の便はまだ30分以上先である。
 予想通り、中井は雄介に最高のプレゼントを贈ってくれたようだ。両親の手にぶら下がっては
しゃいでいる雄介の姿を、私はじっと見送っていた。

ー 終わり

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