『テーマ館』 第29回テーマ「死にたくない」


完全肉食主義 投稿者:の  投稿日:10月04日(月)22時45分35秒
       

      「所詮、お前は畜肉として屠られる定めだったのだ。おとなしく、受け入れろ。」
      その言葉が滲み入るように駆けめぐり、何も考えられなくなった。
      ああ、そうなのだ。私は死ぬのだ。そういう運命だったのだ。
      私は抵抗することもやめ、呼吸すら忘れて、頭の中は真っ白に、
      時間が止まったように穏やかだった。
      夢見るように、血と泥にまみれた瞼を開けると、それは違っていた。
      興奮して異様に歪んだ男の顔があった。目を吊り上げ、黄色い歯を剥き出して、
      吐き出すように、吠えるように、何事かを捲し立てていた。
      熱病のように体を震わせると、男はそっと私の首に手を添え、
      そして無慈悲に締め上げ始めた。
      どこかの関節が音を立て、機械のように指が食い込み着実に死を運び込んでくる。
      唾をまき散らし憑かれたように頭を振り回す男の手が。
      全身の血が頭に集まり、火花となって両目から飛び散るようだった。
      脳が沸騰したように熱く、突き刺すような痛みがたたみかけるように襲う。
      熱泥のような苦痛のなかで怒りが満ち溢れる。
      いやだ、息を、これは違う、死にたくない、やめろ、その汚い手を離せ
      電池の弱った玩具のように、私は無様にもがき始めた。
      男がのしかかっているので四肢の自由がきかない。
      何かを詰め込まれていて助けも呼べない。
      それでも無理矢理身体を捻って何とか死から逃れようとした。
      わずかに力が緩んだ。
      しかし、それを求めていたのだ。
      男は歓喜した。奇声を上げると、全体重をかけて首をへし折りにかかる。
      すでに首を切り落とされたように、身体の感覚が薄れてきた。
      頭だけが熱く、しかし、苦痛は柔らぎつつあった。
      必死に見開く目に映る醜い顔もだんだんかすむ。
      死なない、このままでは死なない、こんなことで死ぬもんか
      意識だけははっきりしていて、およそ状況にそぐわない叫びが渦巻いていた。
      それだけが武器とばかりに、その思いにしがみつく。
      そのはかない抵抗ももう限界というところで、ふいに身体が軽くなった。
      遠くで人が争うような物音が微かに聞こえた。誰かが叫んでいる。
      ああ、静かにして欲しい。私は眠い。ただもう眠い。だから、ほっといて。
      まだ何か叫んでいる。うるさい。今度は身体を揺すり始めた。
      ああ、また頭が痛くなってきた。痛い。触るな。その汚い手を離せ。
      「おい、大丈夫か。しっかりして。こりゃ、ひどいな...
      あっ、気がついた。助かった。大丈夫?」
      心配そうな顔が覗いていた。あの男はいない。どうやら助かったらしい。
      新しい空気が肺に流れ込むと、咳がでて止まらなくなった。
      暖かい手が背中をやさしくさすってくれる。
      喘ぎながら、しかし私は別のことを考えていた。
      あれは、私が言った言葉だ。屠るのは私だ。
      その人は何かと私を気遣いつつ、事の顛末を話していた。
      曰く、彼らは何の途中だったか、どうやって私に気付き、どうやって助けたか、
      あの男はどうなった、などなど。
      なるほど。ぼんやりと聞き流しながら思っていた。
      そう、私が屠るのだ。お前を、お前たちを。
      そして、血を啜り、臓物を引きずりだし、肉を喰らい尽くすのだ。
      それこそが定めというもの。おとなしく、受け入れるがいい。
      「ありがとうございました。」
      その人が掛けてくれた上着の裾で唇の血を拭い、そうとだけうまく言えた。