第64回テーマ館「竜」



竜神さま ジャージ [2007/03/19 02:20:25]


 私は今朝もとても憂鬱であった。
 でも、これが私の試練なら、逃げちゃいけない!逃げちゃいけないんだけど・・・。
『お、おはようございますっ!』
『そんなに大きい声ださなくても聞こえます。』
 この「ドア」を開けると、すでに私の「戦い」は始まっていた。
 まぁ、毎日の事なんだけど・・・。
『今日はシーツ交換の日ですから、シーツ取り替えますね。』
『そう、なら、すぐにおやりなさい。いちいち立ち止まるんじゃないの!あなたは本当
 にノロマだから・・・』
 今日の「敵」は、いつもに増して手強い。
 私は木村望美(きむらのぞみ)。この特別養護老人ホーム「さわやか荘」の介護職
員。介護ってさ、こぉ、お年寄りと心と心の「ふれあい」っていうか、「つながり」っ
ていうのかあるもんじゃない?やさしいお爺さんとか、お婆さんのお話相手になったり
とかさぁ・・・それを夢見て就職したんだけど・・・
『あなた、いつまでボーっとしているの?この季節に窓を開けっぱなしにしていたら、
 風邪をひいてしまうわ!』
 はいはい!・・・この人は川島りゅうさん。1年前に脳梗塞で倒れ、左半身マヒにな
っている。機能訓練(いわゆるリハビリ)をすれば、手引き歩行(要介助者が介助者の
両手につかまる形で歩行する)ぐらいはできるはずだけど・・・。
『生きて恥をかくくらいなら、一思いに殺していただいてけっこうです!』
と、聞き耳もたず。日中は座っているか、ベットに横になっているかしている。それで
も明治生まれ特有の気の強さは健在。しかも若いころは高級旅館の女将さんだったらし
く、上品なんだけど、ささいな事にうるさい。
 このりゅうさんが半年前にここに入所して以来、彼女の居室担当となったんだけど、
『りゅうさん、シーツ交換終わりました。』
『そう、こんなにシワがあっても?・・・それと木村さん、昨日頼んでおいたお花の水
 替え、忘れていたでしょう?』
『あ・・・』
『あ、じゃありません!どんな小さな事でも気を配る。そして陰ながら殿方にお仕えす
 る、それが女性の役目なのですよ!・・・あなたみたいな人には、どんな殿方も相手
 にされないでしょうけど』
 りゅうさんは上品にクスクスと笑う。
 失礼ね!私にも彼氏はいました!1人や2人ぐらい!!(今はいないけどさ・・・)
 顔で笑顔を作りながらも、心では沸々とりゅうさんに対して怒りと憎しみを抱き、私
はさっさと、この「戦場」から退散をした。
『今日は35点ってところね』
 あ〜!!もう!!嫌!!わたしのイメージの「お年寄り」なんかじゃない!!もう、
誰か居担(居室担当の略)代わってくれないかなぁ・・・

 不機嫌な思いで、私は洗濯室に行き、取り外したリネン類を指定の箱に入れる。で、
先の腹いせに箱を蹴る。
『あら望美、今日は相当機嫌悪そうね。・・・で、何点だった?』
 同僚の片桐理沙が、私の様子をみながら冷やかすように聞いてきた。
『35点』
『あ、昨日より点数いいじゃん!やったね♪』
 理沙はニコニコと笑みを浮かべながら、私の肩を軽くたたくのだが・・・それは、私
に対する慰めなのか?冷やかしなのか??
『望美ってさぁ、今度の日曜日、介福(介護福祉士の略)の実技試験でしょ?いま、丁
 度いい時期じゃない?』
『どういう意味?』
『初心に戻って、基本を学べるって事。』
 私が介護の仕事に就いて3年は経過していた。たしかに今でもうっかりミスはするけ
ど、仕事の要領もわかってきたし、ある程度のことは対応するだけの技術はある。(ま
ぁ、あの「りゅうさん」だけは別だけど)・・・3年間の実務経験が私にはある。先月
の筆記試験も合格している。
『私としては、いつも介護の基本は守っているつもりだけど?・・・それに介福とりゅ
 うさんは関係ないでしょ?!』
 と、私が答えても、理沙は「そうね」と言って笑うだけ。・・・なになに?その笑い
は??・・・理沙はいいよ。専門学校出てて、資格も持っているんだから・・・こちと
ら、試験勉強とりゅうさんの嫌味攻撃でテンパってるんだから!
『あ、そうそう、りゅうさんの事について、ちょっとトリビア〜』
 不機嫌モードの私のハートを読み取れ!このお気楽娘!!
『りゅうさんが女将さんだった時、女中さんたちから付けられてあだ名は「竜神さ
ま」』
『は?』
『竜神って、だいたい人間の若い娘の「生贄」を欲しがるでしょ?、で、「竜」と「り
 ゅう」をかけて・・・』
『うーん・・・理沙が言いたい事は、若い女中さんをいじめる事で、その場の安定が図
 れると・・・』
 理沙はウンウンとうなずく。・・・はて、待てよ?その性格が今も健在なら、今の私
って・・・
『生贄?!』
『がんばってね!今度の試験!!合格したら駅前のフランス料理のランチ行こうねっ』
 そういい残し、笑いながら理沙は次の仕事へ入っていった。
 そうかい!わたしはここの「生贄」なのかい!!

 そんな、こんなで、りゅうさんに介助するたびに、わたしは文句を言われるのであ
る。
 着脱(衣服の着せ替え)介助では、
『そんなに袖を引っ張らないでちょうだい!・・・本当に今の若い子はモノを乱雑に扱
 うんだから!』
『私をそんなに死なせたいわけですか?!着物の襟は「ソ」の字でしょ!逆にするとき
 は私が死んでからでけっこうです!!』
 食事の見守り・介助では
『お箸の向きが逆です!お箸の先は左側!!何度言ったらわかるの?!』
『湯のみは、ちゃんとお盆に載せて運びなさい!』
 で、私が帰る時にはご丁寧に、
『今日のあなたは40点、まぁ、あなたにしては上出来ね。』
 あああああああ!!!!もう!!この人が「利用者さま」でなければ、いつでも喧嘩
してやる!!!いや、その前に、試験に合格して介護福祉士の資格取ったらやめてやる
よ!!

 「戦い」の日々に明け暮れ、ついに介護福祉士の二次試験である「実技試験」の日を
迎える事になった。
 会場は大学の構内。体育館が待合室。1000人以上の受験生達がそれぞれのユニホ
ームを着込んで、自分の番をじっと待つ。
 3月といっても、まだ冬の寒さが残るこの時期、体育館は冷たく寒い!ところどころ
に石油ストーブが焚いてあるものの、この広さでは気休めにしかならない。しかもこの
人数では、自分の番が来るまで1時間以上は待たなくてはいけない。試験内容の漏洩を
防ぐために携帯電話は受付で預けられているわけで・・・この試験は寒さと、緊張と、
孤独の戦いでもあったのだ。
 こんな事なら、日頃の業務の方が気が楽・・・ああ、はやく終わらないかなぁ〜。
 1時間後、ついに私の番がやってきた。指定の教室に入り、ここでやっと今回の試験
内容が発表される。教室の黒板に張り出された問題をみて、私は驚いた。
「Aさんは95歳の女性です。脳梗塞の後遺症により左半身マヒです。現在、車椅子に
 座っています。彼女は浴衣に着替えてベットに横になりたいと訴えています。(制限
 時間5分)」
りゅうさん・・・問題を見て彼女の顔が脳裏に浮かんだ。この試験に「竜神さま」が出
るとは・・・。私は愕然とした。
 教室で5分ほど問題を見た後、私の番号が呼ばれ試験会場となる隣の教室向かう。
 このドアの先にはりゅうさんがいる・・・今日のりゅうさんは怒らない。怒ってくれ
ない・・・怒らない代わりに、彼女は私に「不合格」の通知を出すだろう・・・とにか
く普段どおりやろう。そう、ここは私の職場なんだ・・・そう自分に言い聞かせ、私は
ドアを開けた。

 月曜日の朝。ただでさえ憂鬱なのに、昨日の今日は特に憂鬱だった。理沙や他のスタ
ッフに試験内容を聞かれたけど、あまり話したい気持ちではなかった。
『おはようございます。歯磨きは終わりました?』
 私はしらないうちに、りゅうさんの部屋にいた。
『ええ。』
 彼女はいつもより穏やかな返事をした。いつもなら、『なにボサっとしているんです
か!!』と激が飛ぶのに、今日は静かだった。
『・・・昨日、試験だったんですってね?』
 うわ!今日は変化球できましたか!!とてもタイムリーな攻撃ですねぇ・・・。
『は、はい。』
 それから先の答えがでない。試験の内容が内容だけに、『自身がありません』なんて
いえば、彼女の思うツボ。『まだ、あなたは半人前なのよ』と嫌味を言われるのがオチ
だ。
 その・・・はずなんだけど、
『あなたなら、合格するわ。』
『え?!』
 なにか、今日は様子が変だ。いつもの小言のうるさいりゅうさんではない。いつもよ
り、元気がない感じだ。とりあえず私は血圧計と体温計をもってバイタルチェックをし
てみる。
 何も言わないりゅうさんが、今日は逆に怖い。
『血圧は120の84・・・体温もSPO2(血中酸素濃度)も変わりないですね。』
 りゅうさんは軽くうなずくと、窓の外を見ていた。まだ寒い3月だけど、日差しはす
でに春の陽気であった。窓からは桜の木が見える。あと数日もすればツボミがつくだろ
う・・・。
『ここからなら、お花見できますよ。』
『そうね・・・きっと綺麗な桜が見えるわね。・・・ごめんなさい、今日は少し横にさ
 せていただかない?』
『りゅうさん、やはりどこか具合が悪いのですか?』
『夕べ寝れなかっただけよ・・・それよりも、窓が汚れていますよ。こういう細かい所
 も気を配らなければ、いいお嫁さんにはなれませんよ!』
 ああ、やっぱり「竜神さま」はご健在でしたか。・・・でも、ちょっと安心した。細
かいところにうるさいけど、怒っているりゅうさんは、とても生き生きしている。

しばらく・・・「生贄」でいてもいいかな?

 その数日後、私は不思議な体験をした。
 夜中に、窓を叩く音がしたので、開けてみるとそこには「竜」がいた。
 真っ白く光って、長い胴体を雲から伸ばし、
 水晶玉の様な大きな目で、「竜」は私を見つめる。
 私も大声をあげることなく、ただ、その美しい竜に見とれていた。
 「竜」は一吼えすると、体をゆっくりとくねらせ、雲の中へ消えていった。
 その「竜」の声は「りゅう」さんの声にも似ていた。

『日勤者からの申し送りお願いします!』
 今日は夜勤。私は日勤者に声をかけ、日中の様子を聞く。
『渡辺和生さんのお薬が今夜から増えます。鈴木ミワさんは本人希望で粥食から普通食
 に変わっています。肉類はいままでどおり極キザミで・・・あと川島りゅうさん』
 自分の担当の利用者の情報は、とくに注意深くとる体制をとった。だって、あのりゅ
うさんだもん。申し送り聞き逃したらまた怒鳴られるし・・・。
『本日でケアプラン終了です』
『え?・・・ちょっと待って、りゅうさんのケアプラン、来月まででしょ?』
 私の問いに、日勤者は声を低くして答えた。
『りゅうさん・・・夕べお亡くなりになりました・・・。』
『うそ・・・』
 私は一瞬、全身の力が抜けた気分になった。りゅうさんの居室に行く・・・もうすで
に布団もりゅうさんの馴染みの品もなく、そこは空き部屋となっていた。3年間この仕
事に馴れたといっても・・・突然のお別れなんて・・・。
『望美、感情的になってちゃダメでしょ・・・』
 いつの間にか涙をながしていた私。他の利用者の目に私のこんな姿が入らないように
フォローしている理沙。理沙はさりげなくハンカチを私にさし出す。
『施設長が言ってたけど、りゅうさんお亡くなりになる前にアンタの名前言ってたみた
 い。』
『私の・・・名前?』
『「木村さん、ありがとう」って・・・明治生まれの人らしいね。律儀にお礼を言っ
 てこの世を去るなんて・・・』
 理沙の言葉に夕べの事が思い出された。あの真っ白い綺麗な竜・・・もしかして、り
ゅうさんだったのかもしれない・・・。

 4月
 私の手元に介護福祉士試験の合格通知がきた。
『どうだ理沙!これで私も介護福祉士よ!!』
 得意げに理沙に合格通知を見せびらかす。
『馬鹿ね。合格しても、介護福祉士協会にお金払って登録しなくちゃ、介福の名前を使
 っちゃぁ〜いけないのよ。』
『え?!マジ?!!』
『ちゃんと説明書読みなさい!』
 私は封筒から合格通知以外の紙を取り出して見た。・・・あ、本当だ。しかもご丁寧
に振込み用紙まで入っている。苦労させて、しかもまだ金とるんかい!と文句を言って
みたものの、これで私の念願の介護福祉士になれるのは確かなのだ。
『これも、りゅうさんのスパルタ教育の賜物ね。』
 理沙はそういって、私の肩をポンポンとたたく。
 たしかに、そうだったかもしれない。
「あなたなら、合格するわ」
 りゅうさんの言葉が思いだされた。いつも厳しかったけど、もしかしたら、私を教育
する為に、わざと厳しくしていたのか・・・。
『とにかく望美が合格したんだから、今夜駅前のフランス料理で、合格祝い!しかも望
 美のおごりで〜♪』
『え、ちょ、ちょっと待て!なんで私がおごらなきゃいかん?!』

 竜神さま、窓から桜の花がよく見えます。
 空から、この桜は見えますか?
 また、いらしてくださいね。

【完】


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