第55回テーマ館「夢」



Life is transientdream 206 [2004/12/31 17:26:29]


妻が死んだ。
長年付き添った最愛の人が。
もう長く生きられないことは知っていたけれど、死は唐突に訪れ、彼女は遠くへ旅立っ
ていった。
瞬く間に葬儀は終わり、気が付けば妻は植木鉢ほどの大きさの坪に収められた、白磁の
骨に変わっていた。
火葬場で骨を掻き分けながら女の執行官が生きることについての説法を行っていた。
その言葉の中で「人生は儚い夢」と言う言葉だけが耳にこびりついてはなれなかった。

妻が死に早くも半年が過ぎようとしていた。
私はその間に会社を退職し、息子夫婦と同居するためにアパートを引き払うことになっ
ていた。
押入れや引き出しにしまわれた妻や私、息子の荷物を片付けると、少ないように思われ
た荷物もかなりの量があった。
荷物を片付けると言う行為は思い出を清算しているようで、後ろめたい行為に思えた。
片付けも二日ほどで終わり、私は鞄一つまで少なくなった荷物を持つと、忘れ物の有無
を確認した後、玄関まで歩を進め、靴べらを使い靴を履いた。

去り際、私はふと立ち止まり、振り返った。
所々しみの付いた壁紙。
互い違いに走る木柱の平行線。
いつも妻が立っていた台所。
紫煙を揺らしながら眺めてベランダからの風景。
さして広くも無い3LDKのアパートには一生消えること無い思い出が詰まっている。
誰もいなくなった部屋はまるで朽ちたように薄暗く、
それを見る私の胸は言葉では形容出来ない苦しみにとらわれていた。
私は一度、強く目を瞑ったあと、一礼し、静かにドアを閉めた。
ガチャンと金属のかみ合う音とともに扉は完全に閉ざされた。
もうこの部屋に戻ってくることも無いだろう。
私は階段下で待っていた管理人に鍵を手渡すと「お世話様でした」と会釈し、踵をかえ
すとそのまま駅へ歩んだ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
−−−−−−−−−−−−−−−−−
人生は儚い夢だと誰かが言った。
しかし、私は果たしてそうだろうか?と疑問に思う。
生きると言うことは巡る事だ。生まれ、育ち、育て、伝え、死ぬ・・・この飽くなき繰り返
しが続いていく、たしかにそこには報われないことのほうが多い。
けれど、私の生は必ず後の誰かにつながるのだ。血の繫がりではなく、顔見知りの誰か
でも、赤の他人にだったとしてもだ。
妻が死は死んでしまった。けれど、妻の生は私や、息子、そしてその孫、その後の子孫
へ繋がっていく。
受け継がれるのは決して素晴らしい何かだけではなし、ひょっとすればなんらかの障害
を残してしまうのかもしれない。
それでも私たちは繋げていかなければならないのだ。それは夢なんかではなく、目に見
える希望なのだ。
私もそう遠くない未来死ぬだろう。それがいつになるのかは分からないし、その短い生
の中で何が出来て、何を残せるのかも、私には分からない。
だからせめて、もう居ない妻の分まで生きようと思う。
それが今、私に出来るたった一つのことなのだから。


戻る