『テーマ館』 第16回テーマ「視線」
視線5 (視線雑話) by kon
1.メドゥーサ
道を歩いていて、何か感じるな! と、思ってその方向を見てみると、誰かと目が合
うということってないでしょうか? 恐らく偶然でしょうが、しかし、それでも、視線
には、何か私たちの知らない力があるような気も致します。
もし、視線に何らかの力があるとして、史上最強の視線の持ち主は誰か? と考える
ならば、なんと言ってもギリシア神話に出てくる、メドゥーサではないでしょうか?
彼女は見る物全てを石に変えてしまう力があるそうです。(あまりにも恐ろしい姿な
ので、見た者は恐ろしさのあまり石になる。という説もありますが・・・)
彼女は、猪のような大きな牙と、青銅の鉤爪と蛇の髪をしていると言われており、一
説では、元々はとても美しい乙女だったのが、女神アテナと美しさを競って、怒りを買
い、このような恐ろしい姿に変えられたと言われております。また、ポセイドンの愛人
だったのが、本妻のアンピトリーテーに見つかり、このような姿に変えられたという説
もあるようです。女の嫉妬って、どんな化物よりも、怖いものなのかも知れません。
以前何かの本で、美しいメドゥーサの石像というのを見たような気がするのですが、
先ほど、めぼしい本を数冊繰ってみたのですが、載っていませんでした。私の記憶違い
だったのかも知れません。どなたかご存じないでしょうか?
結局メドゥーサは、英雄ペルセウスに退治されてしまうのですが、彼は、彼女の顔を
まともに見ないようにと、鏡のように輝く楯に彼女の顔を映しながら、寝ているところ
に忍びより、首を切り落としたそうです。
しかし、メドゥーサには二人の姉がいたそうで、しかも彼女たちはメドゥーサとは異
なり不死身なのです。さすがのペルセウスも彼女たちに気づかれると、ヘルメスからも
らった、隠れ兜と飛行靴を使って、一目さんに逃げ帰ったそうです。
もしかすると、日本の「隠れ蓑」は、「隠れ兜」と何か関係があるかもしれません。
また、飛行靴というのも、インドの説話にあったはずです? どなたか調べてみるつも
りはないでしょうか?(笑)
余談ですが、ぺルセウスはメドゥーサを退治した後に、エチオピアに立ち寄り、そこ
で、怪物の生贄になろうとしている、アンドロメダという大変美しい娘を助け、彼女と
結婚するのですが、彼女はエチオピア人ですから、当然肌は黒かったそうです。
2.動物磁気療法
18世紀の医師メスメルは、動物磁気療法というものを提唱したそうです。これは動
物は磁気に支配されており、この磁気の乱れが病気の原因である。というところから、
ヒステリー患者に磁石を当てると、あら不思議、病気はたちまち治ってしまう。という
ものだったそうです。(まるで、ピップエレキバンのようですね、あれはコリを治すん
ですか?)
このような考えから、更に、動物の目からは、強い磁力が出ていて、それを見つめる
ことで、病気を治すというような治療法も生まれたそうです。そして、この動物は強け
れば強いほど強力な磁力を出すそうで、ライオンなどが珍重された。と、いうような話
を何かで読んだ記憶があるのですが、先ほどgooで検索をかけたのですが、動物磁気
療法に関する詳しい解説は見つけることができませんでした。
ところで、メスメルは、治療の際に上演するためにと、モーツアルトにオペラの作曲
を依頼したそうです。これがケッヘル番号50番「バスティアンとバスティエンヌ」で
あると言われております。また、モーツアルトは晩年、「コジ・ファン・トゥッテ」と
いうオペラに、動物磁気治療法のシーンを挿入しているそうです。
メスメルの治療ですが、案外効果があったそうです。実はこれは、暗示や催眠の効果
であったと言われております。そういうわけで、彼は、近代催眠術の父と呼ばれ、トラ
ンス状態などと言うのも、動物磁気から来ているそうです。
治療の際に、モーツアルトのオペラを上演した。ということからすると、「音楽療法
の父」とも言えるかも知れません。
そういえば、安部工房も、動物磁気療法をモチーフに『どれい狩り』という大変面白
い戯曲を書いております。一読の価値はあるかと思います。
3.猫の目時計
中国人は、猫の目を見て時刻が分かるそうです。と、言っても中国人に直接聞いたわ
けではありません。ボードレールがそう言っているのです。
『パリの憂愁』という散文詩集にこんな話があります。
一六 時 計
シナ人は猫の瞳に時刻を読む。
或る日一人の宣教師が、南京城外を散歩していたが、懐中時計を忘れて来たのに気が
ついて、小さな男の子に時刻を訊いた。
中国の腕白者は初めためらっていたが、やがて思いかえすとこう答えた。『いまお答
えします。』ほんの暫くしてから、片手に途方もなく大きな猫を抱えて帰って来ると、
言いつたえ通りに猫の白眼を覗き込んで、ためらわず言った。『正午にちょっと間があ
ります。』まさにそれに間違いなかった。
・・・・以下省略
この話、時計を忘れた宣教師が、「小さな男の子」に時刻を訊くということ自体、
ちょとありそうにないのですが、まあ、猫の瞳は、光に敏感だと言いますので、瞳の開
き方で、おおよその時間がわかるのかも知れません。
またしても余談なのですが、この散文詩集の、「旅への誘い」という作品で、ボード
レールは、大変興味深い考察をしております。
一八 旅への誘い
夢を! 常に夢を! そして魂が野心的に、気むずかしくなればなるほど、夢は現実
の可能から魂を遠ざけてしまう。人はみなその内部に、絶えず分泌され、絶えず代謝さ
れる、生まれながらの阿片剤を持つものだ。そして誕生から死に至るまでに、私達は積
極的な快楽によって、・・・・以下省略
正にこれは、今話題になっている、脳内麻薬エンドルフィンを示唆するものになって
います。(ちょっとこじつけ?)詩人の洞察力とは凄いものです。
4.電波眼鏡
1993年5月7日のロシア国営放送、日本語版をたまたま聞いていたのですが、そ
のときは、科学特集で、そこでとんでもない発明品を紹介していました。それは『電波
眼鏡』というもので、赤外線を探知して、警報を発し、目の不自由な人の「目」の代わ
りになってくれるというものだそうです。
この画期的な発明により、目の不自由な人も気兼ねなく、どこへでも出歩けるように
なる。とのことでした。(でも、赤外線を出さない、電柱などにはぶつからないのか心
配です)
あれから5年ほどたちますが、このメガネが普及しているという話は、まだ聞いたこ
とがありません。
5.カメラ
自分の写真を見て、違和感を覚えることってないでしょうか? どこか違うと感じた
ことはないでしょうか? このように感じるのは、それなりに理由があるようです。そ
れは、普段、鏡で見ている自分の顔と、写真とでは、左右対称になっているからだそう
です。
つまり、写真機が作られるまでは、自分の本当の姿を、見ることはできなかったので
す。と、言うのは、嘘です。合わせ鏡を用いれば、本当の姿を見ることができます。
まあ、合わせ鏡では調節が難しいので、三面鏡を使った方が楽に見ることができるで
しょう。子供の頃、親戚の家で三面鏡を覗いて、そこに無限の自分を発見し、言いしれぬ恐怖を感じたことを今でも覚えております。
ところで、カメラが日本に伝わったばかりの頃には、写真機に、魂が吸い取られる。
と信じていた人が大勢いたそうです。でも、考えてみますと、当時は、写真を撮るに
は、数十分もカメラを見つめていなければならなかったのですから、撮り終わる頃に
は、精も「魂」も尽き果てて、ぐったりと、抜け殻のようになってしまったとしても不
思議ではありません。
こんな話を笑う私達も、心霊写真などと言うと、途端に迷信家になってしまいます。
よく霊の写った写真なんてありますが、写真に何かが写るということは、印画紙を感光
させるわけですから、完全に物理的現象ですよね。それなのに、人の目には見えなかっ
たりするのですから、不思議です。これが、人には見えるが、写真には写らない。とい
うなら頷けるのですが・・・。そこに居た人たちが皆、気づかなかっただけで、実際に
いたということでしょうか?
でも、霊感の強い人にしか見えないということがあるそうで、こうなるともう解決の
糸口がありません、普通の人に見えないものが、どうやって写真に写ることができるの
でしょうか? この矛盾を解決してくれる方、どなたかいらっしゃいませんか?
6.自己像幻視
世の中で、絶対に見てはいけないものって何かご存じですか? それは、自分自身だ
そうです。別に、写真や鏡を見てはいけないと言っているのではありません。
街を歩いている時などに、ふと見ると、向こうから自分が歩いて来る。なんてことが
あるそうです。そして、視線が合った途端、そいつがニヤッと笑ったりするそうです。
あまり気味のよいものではありません。
こいつを一度見てしまうと、何故かもう一度そいつに逢いたくなるそうです。でもな
かなか逢えないそうです。そいつが今どこを歩いているのかも、分かっているそうなの
ですが、なかなか逢えないということです。そして、もう一度そいつと出会う時が、こ
の世の別れの時であるとも言われております。一説では、芥川龍之介も自殺する前に、
こいつに合ってしまったとのことです。
ところで、このもう一人の自分に出会うということと、ドッペルゲンガーが混同され
ることがあるようなのですが、ドッペルゲンガーは、ジキルとハイドのような二重人格
のことで、もう一人の自分を見てしまうというのは、オートスコピー(自己像幻視)と
言うのだそうです。
そういえば、ドストエフスキーの、『二重人格』という作品は、恐らく『自己像幻視』
の話ではないでしょうか、これは、別に、翻訳者が間違えたわけではないようです。原
題がドッペルゲンガーとなっていたはずですから・・・。実は、私はこの本を途中まで
しか読んでおらず、本当に自己像幻視の話かどうか自信がありません。なぜ途中で止め
たのかは、話すほどのことではありませんが、ただ、面白い本であろうということだけ
は付け加えておきたいと思います。ディックファンにお薦めです。
先ほど、この本も探してみたのですが、これまた見つかりませんでした。もしかする
と、もう一人の自分が持っていってしまったのかもしれません。
ちょっと落ちが弱かったようです。では、
注:かなり胡散臭い話もあります。ご注意下さい。
(投稿者:03月12日(木)21時39分54秒)