第49回テーマ館「無実」「おれは無実だ」



おかしな容疑者のはなし
 投稿日 2003年6月25日(水)15時17分 投稿者 みやもと。 



「……違う……俺じゃないんだ……」
 虚ろな目を彷徨わせながら、岡科は呟いた。
 四人の人間のいる薄暗い取調室。二人の刑事(もう一人は記録官だ)が代わる代わる岡科に話しかけては、呆れたように肩をすくめたり、大袈裟にため息をついたりしていた。
「いい加減、言い逃れはやめたらどうだ?」
「俺は違う……俺は違うんだ……」
「違うも何も、目撃者がいるのだよ、キミィ」
「……違う……」
 刑事の言葉に力無く首を振る岡科は、どこか諦めた様子にも見える。しかし、もう三日の間、彼は「違う」ということしか発言していなかった。

 事件は三日前に遡る。
 あれは昼過ぎから降り始めた雨が霧雨に変わった、静かな夜のことだった。
 住宅街を包む静寂を切り裂くように響き渡ったブレーキの音。重い衝撃音。そして、悲鳴。交通事故だ。自動車が通行人をはねた挙げ句、逃走。いわゆるひき逃げである。
 しかし、目撃者がいた。たまたま近くを通りかかった会社帰りのサラリーマンで、逃走する車のナンバーを警察に通報したのだ。それが岡科の所有する車のナンバーであることを割り出すのに時間はかからなかった。

「あの車はアンタのもんだね?」
「…………」
「運転していたんだろう?」
「……俺じゃない……」
 刑事たちはうんざりしていた。何しろ、吐け!と殴りつけるわけにもいかない。もちろん蹴りつけるわけにもいかない。かといって、事実をつきつけたところで、素直に白状するわけもなく。
「いいだろう、じゃあ仮に、あの車がキミのものじゃなかったとしよう」
 譲歩してみると、珍しく岡科がこくんと頷いた。
「あの車は盗難車のナンバーだけをつけかえたものであるという情報もあるからな」
「違う!」
「……まあ、いまはその件はいいとして。で、だ。キミのものじゃない車が発見されたその場所に、どうして偶然キミが居合わせるのかな? それもあんな山奥で? どう考えても、あの車にはキミが乗っていたと考えるほうが自然だろう?」
「違う……」
「そうそう、アンタは飲酒運転だった可能性もあるね。アンタのいきつけのバーのママが、あの夜のアンタはかなり酔っていたと証言している」
「ち、違う!」
「それとも、誰かをかばい立てしてるのかな……? 車を調べたら、助手席にも誰かが乗っていた形跡があるのだが」
「違うっ」
 岡科はぶるぶると肩を震わせた。
「浮気相手? それとも悪友かな? キミには麻薬所持の前科があるねえ」
「あれは違う……っ!」
「被害者の希望により公にはなっていないが、強姦罪にも問われているね?」
「俺じゃないんだ!」
 激しく頭を振りながら否定を重ねる岡科に、刑事たちは顔を見合わせた。もしかするとこれは、ひき逃げだけではすまないかもしれない。
 
 そのとき。
「もう、やめにしませんか?」
 黙々と取り調べの記録をつけていた記録官が、突然ペンを置いた。
「こんな茶番は意味がないですよ」
「む……何を言う」
「だって、いまここで岡科容疑者が自白したところで、どうしようもないじゃないですか」
「しかし我々には真実を追究する義務がある」
「それなら真面目に聞き取り調査なり現場検証なりすべきですよ」
 イラついた口調。皮肉っぽい笑みを顔にはりつけたまま、記録官は吐き捨てるように言った。
「こんなインチキ霊媒師を信じるだなんてどうかしている」
「ちっがぁう!!!!!!!」
 岡科の背中――いや、岡科容疑者の霊を身に宿した霊媒師が吠えた。この三日間で最も大きな声だった。
「私に言わせればこの人が一番怪しいですけどね。助手席に乗っていた方が岡科だったとも考えられますし、過去の事件で彼に被害を被った関係者の一人にどうも容貌が似ている気がしてるんですよね、さっきから」
「……本当かね? しっ、しかし、岡科に罪をなすりつけるつもりなら、こんなにも無実を主張せずに、さっさと自白すればいいだろう」
「あっさり自白しては誰も信じませんから。きっと頃合いを見て自白するつもりだったんですよ。追いつめられてから犯人しかしらないことを口にすれば、より信憑性が増すんじゃないですか」
「むむぅ、なるほどぉ」
 思わず唸った老刑事に目配せされ、若い方が霊媒師を揺すった。しばらく奇妙に首を前後に揺らしていた霊媒師だったが、やがてゆっくりと目を開くと、今度はぐったりと上体を倒す。降霊は体力を消耗するという説明を間に受けていた刑事たちも、いまはどこか白けた空気が取調室を包んでいるのを感じ取らないわけにはいかなかった。

 日も落ち、顔の造作も見分けにくくなるなか、霊媒師が部屋の外に連れ出されていく。
 その姿をじっと眺めながら、
(あの人も決して嘘は言っていなかったんですけどね……)
 記録官は心の中で岡科に話しかけた。スーツの下の傷はまだ痛む。

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