第49回テーマ館「無実」「おれは無実だ」



災難
 投稿日 2003年7月2日(水)08時25分 投稿者 夢水


 この町では、バスで傘が買える。他の町を知らないが。
 ビニルシートで作られた傘立てに、大小2種類が用意されている。100円ショップよりは高いが、なかなかいいものを売っている。
 私も、バスでこの傘を買った。今日も予報が雨だったので、お気に入りの傘を持ってきた。私がしたことはそれだけなのだ。それがとんだ災難を招くとは、夢にも思っていなかった。
 待ち合わせの場所には、JRよりもバスが便利だった。几帳面な私はバスの時刻表をチェックし、絶妙なタイミングを選んで家を出た。果たして、バスは3分ほど遅れてやって来た。いつものことである。
 空いている路線で、今日も乗客はまばら。予報を気にしてか、まだ降り出していないのに傘を持っている客が多かった。
 目的の停留所で降りると同時に、厳しい目つきをした制服姿の男が前方の昇降口ー降り口の方から乗ってきた。ぶらぶら歩き出すと、その男に呼び止められた。
「ちょっと営業所まで来てもらえますか」
 命令にしか聞こえない口調だった。
*
*
「何事ですか?」
 内心はびくびくだったが、表面的にはポーカーフェイスを装う。なぜ呼ばれたのか、理由は見当がついていた。
「その傘は、どうされました?」
「買ったものです」
「いつ?」
「以前に」
 最近、バスの傘が盗難にあうという事件が起きている。1度や2度ではない。決まって雨と予報があり、昼過ぎまで降らなかった日に。今、私はその容疑者なのだ。
「正確にはいつのことですか?」
「あなたが胸に差しているボールペンを正確にいつ買ったのか答えられますか?」
「・・・」
 さっきの男ではないが、こちらも態度が大きい。裁判官にでもなったつもりだろうか。などと、くだらないことを考えている場合ではない。何とか反論して、潔白を証明しなければ。私は無実なのだから。
「この傘がついさっき盗まれたとする根拠は何ですか?」
 攻撃は最大の防御なり。ゼミ探偵の先輩、今井さん流の受け売りだ。
「本数が減っていましてね」
 やはりそうか。
「どことどこの区間で、ですか?」
「あなたには関係ないでしょう」
「犯人には関係あると思いますよ? あなたは私を犯人だと考えているのなら、充分に関係ありではないでしょうか」
「・・・」
 だんだん、腹が立ってきた。待ち合わせには絶対に間に合わない。この態度も気に入らない。何より、明白な事実を立証できない自分が不甲斐ない。こんな時今井さんなら、どうしただろうか。
 デジタルな音質で北酒場が流れた。私は電話を取る。
「はい、もしもし」
『熊ちゃん、遅い!』
「いや、それにはわけが・・・」
 久遠と名乗った態度のでかい男を無視して、私は電話口の待ち合わせの相手、あの子に事情を説明した。
『ふうん。じゃ、今そこの営業所にいるの?』
「そうなんだよ」
『じゃあわたしもそっち行く』
「え?」
『待っててね』
 切れた。今度は、久遠に来客の予定を告げる。久遠は、面食らっていた。
*
*
「で、どの区間なんですか?」
「××から○○の区間です」
「そこがチェックポイントだったんですね?」
「そういうことです」
 小さな範囲を周回するようなコースの中になる。
「地理的に近いですね」
「それが何か?」
 完全に立場を超越した私からの質問攻めに、そろそろ痺れを切らしそうだ。全音節に力がこもっている。ここでたたみかけるのが今井流だが・・・。
 私は決断した。
「つまりどちらもこの営業所から近いということです」
「そうですね」
「見たところそれほど人はいないようです。チェック係の人員は何人体制ですか?」
「担当を一人決めてる。日替わりでね」
「いつからですか?」
「最初の事件があった日からだ。警察には、しばらく黙っていたが」
「想像ですが、降りた客について無線で記録していますね?」
「ああ」
「さらに想像ですが、その日営業所にいる人間というのは必ずしも一定ではない、むしろ頻繁に入れ替わりますね」
「あ、ああ、そうだが」
 <思いがけないことを言われました顔>だ。まあまあ成功といったところである。
「傘を持って降りたのは私だけでしたか?」
「降りた客そのものがあなただけでした」
「なるほど。確かに筆頭容疑者ですね」
「分かってもらえましたか?」
「ええ、はっきりと」
 話が自分に有利と踏んだのだろう。態度や口調に余裕がある。
「この路線でいつも盗難があるんですか?」
「まちまちですな」
「傾向や共通点としては?」
「これといった発見はありませんね。警察の方でも、何かあれば言ってくるでしょう」
「そうですか」
 手がかりは、極めて乏しいと言わざるを得ないが、今分かる範囲でもかなり・・・
「その人は犯人じゃありません」
 やや幼いよく響く声の方を振り返ると、赤、ピンク、オレンジという色彩を全身にまとい、髪やほっぺたに星を張り付けた女の子が戸口に立っていた。ちょっと場違いではあるが、私の味方だ。無性に嬉しくなった。
「犯人は他にいます」
 ちょこちょこと細かい足運びで歩きながら、彼女は言った。さらにソファにいた私の隣に腰を下ろし、こう締めくくった。
「名探偵が犯罪を犯すはずがありません」
*
*
「今まで捕まらなかったのは、犯人がよっぽど巧妙なトリックを使っていたからでしょ? 傘は前方昇降口にある。つまり乗務員の目と鼻の先にあるのよ? 普通、こんなの盗もうとしたらすぐ分かるわ。
 でも、犯人は捕まらない。犯行は続いてる。乗務員の見張りがありながらも盗み出す方法が何かあるのよ。他に考えられないじゃない。
 なのに、なのによ? その犯人がこんな単純な罠にかかって捕まっちゃうの? それじゃあんまり馬鹿じゃない。そんなトリックを考えるような人が、これくらいの罠を想像しなかったと思うわけ?」
 事件を知っていてこの傘を持ってバスに乗り込んだ私も、これくらいの罠を見越していなかった馬鹿だということになる。まあ、この子がそこまで考えて発言していないことは分かっているけれど・・・。
「それに、バスで売ってる傘なんて町中で何人が持ってると思うの? その人がまたバスに乗らないと思うわけ? おかしいわよあなたたち」
 この格好では小学生でも通りそうな女の子が、顔を真っ赤にしてまくし立てている。久遠は相当に気圧されていた。
「いや、まあお嬢さんの言いたいことは分かったから、その、妹さんか何か?」
 視線を忙しく往復させながら、久遠は最終的に彼女を見て聞いた。
「違います。私はこの名探偵の助手、兼恋人です」
「はあ?」
 こいつはこんな子どもと付き合ってるのか、という視線が私を捉えている。が、そんなことより何より、こうはっきりと恋人宣言されたことが私には驚きだった。同時に、助手がメインなのかと思うとやや複雑でもあった。
 その空気の何を勘違いしたのか、彼女は続けた。
「信じないんですか? この人は本当に名探偵なんです。私の腕時計を見つけてくれたんです」
「はあ?」
 間の抜けた返事しかできないのも分かる。名探偵が腕時計探しをする、というシチュエーションは確かにおかしい。かといって、詳しく説明するのはさらに間が抜けている気がした。
「あのう、とにかく、この傘は私の傘ですし、特に証拠があるわけではないですし、私はもう失礼します」
 ここぞとばかりに、私は彼女の手を引いて営業所を出た。ほっぺたをぷくっと膨らませて彼女はまだ怒っていたが、これ以上面倒な話をされるとかえってややこしくなる。
「災難だったね、君も」
 戸口を出たところで、にやけた男が声をかけてきた。よく見れば、私を連行したあの男ではないか。
「まったく、失礼しちゃう!」
 彼女が今度はこの男に怒りをぶつけ始めた。とにかくここを去らねばと、私は焦った。
「あのバスに乗ったのが悪かったな」
「名探偵を怒らすと怖いんだからね! いーーーだ!」
 彼女を引きずるように営業所を離れながら、私は馴染みの小実永刑事に電話をかけた。
*
*
「で、そのデートはどうなったの?」
 中沼が、関係ない所で突っ込んできた。相変わらずである。
「ちゃんと、目的は果たしたよ」
「お、そこまでいっちゃったわけ」
「どこまでさ」
「目的って違うの?」
「あのなあ・・・」
 デートとは、私が少し離れた書店へ参考書を見に行くと言ったらあの子が付いてきた、というだけのものだった。約束した瞬間に本などどうでもよくなったことは、言ってはならない気がした。中沼もそこまでは突っ込まなかった。
「でもさ、俺正直、まだわかんないんだけど」
「何が?」
「事件の真相が、トリックが、犯人が」
「じゃあヒントをあげよう。1つ、バスの乗務員は、いつも一定の路線を一定の時間帯だけ走るわけじゃない。1つ、バスの運転席は狭い。以上」
「なんか、今井さんに似てきた?」
「光栄です」
 中沼は天井を見上げた。本気で考えているのだ。またまた、探偵が好きになった。厳密には、謎解きを聞くのではない立場が。
「じゃもう1つヒント。後で分かったことだけど、犯人は、最初は突然の雨に帰れなくなって、でもふとバスに傘があることに気づいた。明日返せばいいと軽い気持ちで持ち去ったが、翌朝になって大事件になってしまい、言い出せなくなってしまった」
「じゃあ2本目からは?」
「さて」
「おい! ・・・ん? まさか・・・」
 私は、最初からその可能性で検討していた。私が犯人でなければ、容疑者は2人に絞られるのだから。
「犯人は乗務員?」
「なぜ?」
「ふとバスにある傘を思い出して失敬できるのは、乗務員だけ、じゃないな。営業所の人間なら誰でも可能だ」
「そうだね」
「いや、2本目以降が問題だ。警戒があるはずだから滅多な真似はできない。なのに犯行が実現できるのは、傘がいつも近くにあって、その気になれば取ることができる人物に限られる。つまり乗務員が犯人だ」
「いつもバスに乗っている人かもしれないぜ? 満員状態では、昇降口のすぐそばまで行けるはずだし、誰も他人の動きなんて気にしない」
「だが、その手口なら今回のケースに当てはまらない」
「模倣犯の可能性は否定できるのか?」
「うーん・・・」
 やれやれだ。中沼もこんな程度か。などと、極限状態で必死に考えた末どうにか結論に到達した私が言えることではないか。
「これは同一犯の犯行だよ。そしてその根拠こそ、犯人を指名する上で欠かせない要素だ」
「なに?」
 中沼が身構えた。分かりやすいやつだ。
「まず、なぜ犯人は2本目以降の犯行を続けたか」
「おう」
「これは1本目がバスの運行中に盗まれたと思わせるための、まあミスディレクションだ」
「読者の認識を間違った方向へ向かせる技法だったっけ」
「この場合の読者は、自分を含むリアルな集団だったわけだ」
「なるほど」
「だがそのためには、確かに運行中だったという保証がいる。さらに、最終的には誰かが責任を負わなければいけない」
「そりゃそうだ」
「そこで、犯人はミスディレクションを二重に仕掛けた。傘は運行中に盗まれた。しかもある特定の人物が共通項としていずれ浮かび上がってくる」
「なんでそうなる?」
「あの一言だよ」
「?」
 思い出してほしい。営業所を去り際、私たちが言われた一言を。
『あのバスに乗ったのが悪かったな』
 これがすべてを物語っている。
「つまり、犯人はそいつだと?」
「ああ、他に考えられない」
「でもね、その一言が何を語っているのかがまだ見えないんだけど」
「鈍いよ中沼さん。どうしてそのバスがやばいんだ?」
「そこで傘がなくなるから?」
「だろ?」
「で?」
「おいおい、どうしてそのバスじゃなきゃいけないんだ?」
「どうしてって・・・あ、そうか。乗務員か」
「そうだよ。最後にはその乗務員、誰だか知らないけどね、その人にすべての罪をかぶってもらうつもりだったと思うよ。ロッカーに傘を入れておくとか、家の物置に入れるとか、適当な方法で」
「そううまくいくかね」
「巧妙とは言えないね。ただ、そんな素晴らしい犯罪計画を立てられるなら、最初からこういうことにはならなかったと思うけどね」
「言えてる」
 数秒、沈黙。
「それが犯人特定にどう役立つわけ?」
「だから、そいつはなぜそのバスがやばいと知っていたのか」
「それは結果論じゃなくて? そこで盗難があって、熊さんが疑われて、だからそう言っただけかもしれない」
「よく考えてくれよ。それならそいつは、俺が犯人じゃないと知っていなければならない」
「あっ、あっあっ、そうかやっと分かった。そいつは始めから熊さんが犯人じゃないと知っていたんだ。状況的には熊さん以外に犯人がいないのに」
「俺以外の乗客は犯人じゃない。なら犯人は乗務員か検問係のどちらかだ。本当に乗務員が犯人だとしよう。ならどうやって盗むか? 運転席は狭い。傘の一本隠す隙間もありゃしない」
「だったらそいつしか犯人はいないと。だったらあの発言は意味ないじゃん」
「最後の一撃っていうやつよ。あれで確信を持てた」
「なるほど」
 また、数秒の沈黙。
「トリックは?」
「数える時に持ち出したんだ」
「でもさ、減ったタイミングで熊さんをそいつが捕まえたんなら、持ち出せないんじゃないの?」
「まさか。減ったところで報告が必要だろ。どんなタイミングでもそりゃ目立つよ」
「じゃ無理じゃん」
「甘いなあ。減る前から持ち出せばいいんだよ」
「は? ああ、異常なしと報告しながら実は持っていくわけだ」
「そう。だから、今回はかなり特殊なケースだった」
「犯人が検問であり発見者でもあったわけだ」
「その日の担当は営業所で一人、しかも今回はこの区間で発見されたわけだから、明らかに2回続けて同じ人間がチェックしてた。1回目では異常なし、2回目で異常ありだったわけだから、自分で盗んで自分で発見したことになる」
「なおさらあの発言に意味がないね」
「止めだって」
 またもや、数秒の沈黙。
「両替する振りして、まだ乗ってる乗客が傘を盗んだという可能性は?」
「いいね、着眼点としては。ただ、難しいと思うな。傘立てから抜くとどうしても音がするじゃない。その点、本数を確認する時には、ばさっと束ごと抜いて中の1本を戻すふりして外に出しとけばさりげなく持ち去れるわけだから、現実性がね」
「蓋然性の推論ね」
「そうそう」
*
*
 中沼が納得したところで、昼食の時間となった。いつものように、彼女と待ち合わせている。次の休みにも、今度は本屋などという渋いものではない約束をしたことは、内緒である。

ー 完


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