第66回テーマ館「殺人鬼」



憎しみの連鎖 大津庵 [2007/07/22 12:44:30]


「憎しみの連鎖ってわかるか?」男がつぶやいた。
「なに?なんだって?憎しみ?」ニコラスはパイプ椅子に座りなおして問う。
「そう。これこそが人間の歴史を形作るものといっても過言じゃあない。」
「?意味がわからんな。なにが歴史を作るって?」
「憎しみだよ!一人の憎しみがもう一人の憎しみを生み、さらに他の人々の憎しみを生
み出す。これを延々と繰り返しながら人類は生き続け、逆境として進化しているん
だ。」
「ようやく口を開いたら、なにやら仰々しい説法を始めたな。つまりなにが言いたいん
だ?」
「親や恋人、親友が殺されたとする。復讐したいと思うだろ?復讐をする。遂げたとす
る。殺された者の恋人や親しい者たちが再び復讐に訪れる。そうしてまた殺された者の
家族や親族が復讐を遂げる。そうしてまたという具合に延々と紡がれる。これが憎しみ
の連鎖だ」男は最後にふとため息をついた。
「復讐なんてさせないために法律があるんだろうが!大層な演説を垂れやがって、自分
の正当性をアピールしたいのか?クソ殺人鬼め!」ニコラスは苛立ちをあらわにしてデ
スクを叩き、立ち上がった。
昨夜、連続誘拐と殺人容疑で逮捕連行された男の取調べのため残業していたニコラス刑
事は窓の外が白んできたところで疲れのためかキレてしまった。
だが、男はただただ落ち着いていて、微笑みすら浮かべている。
「正当性をアピールする気なんてさらさらない。あ、そうそう。そういえば、ニコラス
刑事はオヤジが同業だったとか?殉職したオヤジの無念を晴らすため刑事になったと
か?」淡々と話す男を驚いた表情で見つめるニコラス。「なんでそんなこと・・・」
「これも憎しみの連鎖が生み出したとは言えないか?いい話じゃないか。”この世から
悪を一掃したい”?中学の卒業文集に書いたそうだな。ふふふ。」男は手錠でつながれ
た手で口を押さえてしばし笑んだ。
「?・・・なんなんだ?おまえ・・・?」ニコラスは取調室に一つしかない窓の側に立
ったまま男を凝視した。
「まだまだ知ってるぞ。年齢は42歳。38歳の奥さんとは別居中。20歳の一人娘は海外留
学中。愛人は川・・・」と口にしたところで、男の顔面にニコラスのパンチが炸裂し
た。腰掛けたパイプ椅子ごと床にくずおれた男はしばし咳き込んだあと、床に突っ伏し
たまましゃべり始めた。「若い頃のあんたは正義感に溢れてただろうよ。”父親の無念
を晴らす”?憎しみにも似た正義感をふりかざしてあんたは過ちを犯してしまった。一
件の誤認逮捕だ。まったくの無実の人を凶悪殺人犯としてまつりあげてしまった。オレ
のたったひとりの肉親の姉をだ。」
怒りに肩を震わせていたニコラスはその言葉を聞くや、微動だにできなくなってしまっ
た。
男はゆっくりと立ち上がると倒れたパイプ椅子を起して腰を下ろした。「誤認だと解放
されたとしても周囲の人間の信頼をそうそう取り戻せるわけじゃあない。これは経験し
たことのない人間でもそれとなく察することができるだろう?半年もたたずして”ごめ
ん”と走り書きした紙を残して姉は命を自ら絶ったよ。実に幸せな人生だったろうよ。
あんたのおかげでなぁ」男は宙を仰ぎ見て深く息を吸った。
ニコラス刑事は壁をガツンと拳で殴ったあと、男に対峙するように椅子に腰掛けた。
「だからなんだというんだ?その生い立ちが、今のこの取調べ室にいるおまえを作り上
げたとでもいうのか?おまえのいう憎しみの連鎖か?」
「犯罪心理学というのが当てはまるなら、”肉親を突然奪われた気持ちをみんなにわか
ってもらいたい”が故の犯行なのかもな、オレの場合。あんたの所業がオレたちを憎し
みの連鎖の一部に巻き込んだにほかならない。」男はニコラス刑事から全く目をそらさ
ない。
「くだらん。じゃあお前は復讐でもするのか?それともここに復讐にきたのか?」ニコ
ラスも負けじと男を睨み返す。どうあがいても刑事と犯罪者の立場は覆らない。ニコラ
スは動揺した気持ちを押さえ付けた。
「いや、復讐するつもりはなかった。さらさらなかった。ただ見かけただけなんだ。」
「・・・?なに?」ニコラスは男の言葉が理解できなかった。
「空港でね。見かけただけなんだ。突然の帰国で両親をおどろかせたいって言ってた
な。」男はニコラスの目を凝視したまま独り言のようにつぶやきつづける。
「ちょ、ちょっとまて。なにを言ってるんだ、おまえ。」ニコラスは背筋に冷たいモノ
を感じた。口の中がカラカラに乾いて、吐き気すらもよおしてきていた。
「娘さんに連絡してみな。まだ電話に出るといいな。」男は最後にニヤリと笑んだ。
怒りと憎しみを爆発させてニコラスは男に殴りかかった。



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