第65回テーマ館「図書館」



くろいぶっくかばーはおとしもの 芥七 [2007/05/15 23:44:15]


授業蒸けて校舎の屋上で昼寝をしていた。春の日、水曜の午後。腹具合も良く、暖かい
日の日差しは心地よく、眠り誘う。と、額に激烈な痛みを感じ、浅く窪んだ額を押さえ
ながら起き上がると、灰色のコンクリートの上に、黒い箱が転がっていた。額に直撃し
たのはこれだろうか?起き上がり歩み寄ってみてぎょっとした。それは箱だった。それ
も辞書ほどもある分厚い箱。こんな重そうなものが当って無事だったなんて・・・なんて思
いながら拾い上げてみれば、やけに軽い。なるほど、蓋を開けば中身は入っていないの
だ。よく見ればこれは蓋のついたブックカバーのようだった。重々しい見た目にそぐわ
ず羽根みたいに軽い黒色のカバー。こんなものが当ってもそりゃあ、痛くとも死にはし
ないだろう。しかし、実に痛かった。と天を仰ぎ見て気がつく。当然の通り、頭上には
空。見る限り、校舎の屋上よりも高い場所なんてない。いや、給水塔の聳え立つ、屋上
と校内を繋ぐ階段室を除けば・・・だが、その階段室にしたって上ることはおろか、構造上
人が立つことは出来ないのだ。
給水塔は円錐形で、両手足でしっかりしがみ付いていなければひっくり返って転落して
しまうのだ。もちろん、しがみ付いてなんかいたら隠れることはおろか、ブックカバー
を僕の額めがけて投げることも出来ないのだ。妙なこともあるものだと僕は、後頭部を
掻いた後、このカバーをどうするか、と数瞬悩んだ挙句、とりあえず学校の図書館へ持
っていくことに決めた。図書館は学校に併設された一般にも開放された施設で、生徒が
使う学校から直結する渡り廊下と、一般客が直接出入りできるエントランスとの二つの
入り口があった。部外者が学校に入ってこないよう、渡り廊下には駅改札のようなセキ
ュリティーゲートがあって、学生証をピタパのように押し当てることで通行することが
出来た。さて、とりあえず図書館へと来たもののブックカバーをどうしたものか・・・
そう再び悩んでいるところへ司書のお姉さんが通りかかって、僕に訝しげな視線を投げ
かけた後、たすたすと毅然とした歩みで近づきこう言った。「君、今は授業中だが一体
どういった了見でここにいるのか」司書のお姉さんは僕よりもずっと背が高く、見下ろ
してくる視線に僕は一瞬、冷や汗をかいたが、すぐさまブックカバーを差し出して「こ
れを拾ったので届けにきました」と言ってやった。するとお姉さんは僕の手からカバー
を奪うように取ると「ブックカバーね」と呟いて、カウンターにあるコンピュータでタ
イトルを打ち込んで検索し始めた。図書館にあるコンピュータで本の貸借を管理してい
るのだ。そういえば、うっかりしていたけれど、あの本のタイトルはなんていうのだっ
たろうか・・・。僕はとてつもなくタイトルが気になって、カウンターで作業をするお姉さ
んに近づいた。すると司書のお姉さんはメガネをくいと押し上げながら「こんな本うち
の図書館にはないわ」なんて呟いて、キッと僕のほうに視線を向けた。僕はビクリとし
ながら「どうかしましたか?」とわざと言ってみたところ、お姉さんはきつい視線をさ
らに厳しくして「これどこで拾ったの」と短く言った。僕は屋上で拾った経緯を話すか
どうか思い悩んだけれど、咄嗟に適当な嘘も思いつかず、屋上での話しをそのまま話し
た。予想通り、授業を蒸けた事に対して非を唱えられたけれど、どこからともなく降っ
てきた黒いブックカバーに対しては同じように「妙なこともあるものだね」なんて同意
されてんだか、なんだかよくわからない事を言って猫みたいに小首を傾げた。「ところ
でなんて書いてあるんですかその箱」僕はさっきから気になっていたことを尋ねる事に
した。お姉さんは僕にブックカバーの背表紙を向けて見せて「翻訳すれば天使の羽根」
と言った。確かにそこには黒い光沢のない紙の上にシルクスクリーンでプリントされた
樹脂のアルファベットがてらてらと光を反射していた。でも、本のカバーを見る限り悪
魔の羽根って感じだなーなんて思っていたら「どこが天使なんだか、どちらかというと
悪魔って感じの装丁ね」なんて見透かしたみたいな言葉をお姉さんが吐いたので、僕は
可笑しくなってくすりと笑った。お姉さんはそれが癪に障ったのかどうか、本を叩きつ
けるようにカウンターに置くと「ほら!いつまでそうしているの、早く教室に戻りなさ
い」とはっきりと言った。これ以上ここにいても怒られそうだったので僕は素直に図書
館を後にすることにした―と、そこで僕は言い忘れていたことを思い出して、きびすを
返し、司書のお姉さんに言ってやった「よくその箱がブックカバーだってわかりました
ね〜あと、肩にひとひら、羽根がついてますよ」司書のお姉さん≠ヘ箱≠手にし
たまま呆然と固まって、それから、はっとしたように鏡を見て、すぐに僕のほうに振り
返っただろうけれど、もうそこには僕は居ない。

遠く、「もう!せっかく起こしてあげたのに!」とクチも手も悪い僕だけの天使が悔し
げに声を上げていた。


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