第34回テーマ館「機械仕掛けの…/人造人間(アンドロイド)」


歯車式 いー・あーる [2000/08/04 02:41:54]

 彼女の左手は、ぜんまいと歯車で出来ていた。

「……うっわー」
「何よ」
「あなくろー」
 正直な感想だったけれども、彼女はぷんとふくれた。
「何よそれ」
「だって」
 今の時代、失った手を再び元に戻すには、二つの方法がある。一つは組織培養、
一つは生体機械。彼女の場合、先代までがDNAをいじり過ぎた弊害からか、組織
培養が上手く行かなかった、というのは聞いていたのだが。
「今時、ぜんまいと歯車……」
「いいじゃないの、ちゃんと動くんだから」
 確かに彼女の腕は、見かけよりは優美に動く。
「それにしても、元の腕に近い姿にすればよかったのに」

 細胞の一つまでが優美である、とまで彼女の姿は称された。
 腕だけを取り出しても、その形と動きから彼女のものであると分る、とも言われ
た。全て非の打ち所の無い芸術品だ、とも。
 ……まあ、そこまでDNAをごしごし磨いた結果、組織培養さえままならなくな
るんでは、完全に本末転倒だな、などと傍目には映るのだけれども。
 事故の為に、彼女の左手が肘から先失われた時は、だから結構騒ぎになったもの
だ。折も折、丁度その左手だけを使ったコマーシャルがON AIRされたばかりで、終
いには話題作りのための事故だったのでは、とまで言われたくらい。

「ああ……これに人造皮膚を被せれば、一応昔のままよ」
「……そーだけどもさ」
「私が頼んだのよ。どうせ人工物なら、人工物らしくしてくださいって」
 ぜんまいと歯車。恐らくは最高級の素材で出来ているだろうそれは、確かにそれ
だけでも芸術品と思えるほど綺麗だった。
「……でも、この左手、痛覚とかは?」
「無いわ」
「……不便じゃない?」
「不便だけど……でも、本当にそれで困るようだったら、また手を取り替えてもら
うもの。そう、お医者さんと約束したの」
 そう言うと、彼女はにっこりと微笑んだ。

「おや、お友達ですか」
「あ、はい」
 丁度病室の扉を開けたところで、彼女の主治医らしい人と鉢合わせした。
「せんせい、彼女、私の左手に驚いたのよ」
 ころころと笑いながら彼女が言う。
「ああ……それは、驚くでしょう」
「そうかしら」
「驚かなかったら、そのほうが驚きますよ」
「そうかもね」
 ちょっと面白くなさげに彼女は呟いたが、すぐに声は元気になった。
「でも、立派な手ですよね、十分使えるし……でしょう、先生?」
「勿論です」
 にこにこと笑いながら医師はそう言い、こちらに軽く礼をした。診察の邪魔にな
らないよう、こちらは慌てて部屋を出ようとしたときに。
「……少しお時間頂きたい」
 小声が、耳元に届いた。
 そのまま、扉が閉まった。

 お時間頂きたい……と言われたからには、待つしかない。まあ、丁度暇だったの
で、少し離れたところでぼーっと待っていると、ほどなくして先程の医師が、彼女
の部屋から出てきた。
 こちらを見て、また一礼する。
「……申し訳ありません」
「いえ」
「あの方のお友達……なのですね?」
「あ、はい」
 腕一本でも有名になるくらいの美女が、なーんで私の友達か、というと……まあ
偶然9割9分なんだけど。
「ちょっと……ご説明したいことがあります。宜しいですか?」
「あ……はい」

 誰かには、聞いておいて頂きたいのです、と、医師は言った。
「あの方が、あの腕に飽きた頃に、義腕を修正したいと思っております。そのタイ
ミングが今は難しいのですが……ご協力を願いたい」
「……それは、構いませんけど」
 どういうことなのだろう。
「今の時代、痛覚の無い義腕なんて、まず、ありえないですよね?なんで彼女には
そんなの作ったんですか?」
「それが、あの方の願いでしたから」
「……それに、いざとなったら手を取りかえるって……かなり厄介じゃないですか?」
 機械と肉体。適合させるのも厄介だろうし、一旦適合したものを取りかえるのも
これまた厄介極まりないことだ。
「厄介ですとも」
 あっさりと、医師は頷く。
「じゃ、なんで……」
 そこです、と、医師は小さく溜息をついた。
「あの方は、自分の手が再現される、という事実に耐えられませんでした」
「…………は?」

 体組織培養による再生ならば、彼女は十分受け入れられたろう、と、医師は言う。
「でも、あの方は、受け入れることが出来ませんでした。自分の身体、現在の培養
技術の限界をもってしても再現できないものを、機械が再現してしまう、というこ
とに」
「……って、だって……」
「それを認めてしまえば、あの方の美貌を、機械が再現できるということにもなる。
クローンならば良かったでしょう。けれども機械が、美貌も、そしてその動きも再
現してしまうとなると……」

 腕一本の、優雅な動き。
 モノトーンの画面。うっすらと濃淡の見て取れる黒を背景に、彼女の白い手はく
るくると動いていた。動くたびに指の落とす影がひらひらと動く。それさえ計算し
尽くされたように。
 ちょっと自慢よね、あのコマーシャルは、と、彼女が笑っていたのを思い出す。
腕一本の動き、それが誉められるっていい気分よね、と。
 抜きん出た美貌の故に、そういえば彼女はその努力を正当にはなかなか評価され
ない人だったな、と、そのときやっと気がついたのだけれども。
 優美と言われるその動き、それは彼女自身のものだったよな、と。

「……それで、あの腕ですか」
「はい」
 医師は少し困ったように笑った。
「実は、あの腕は……既に生体機械として完成しております」
「え?」
「あそこにある歯車やぜんまいは、全てホログラムなんですよ」
「…………え?!」
 それは……ちょーーっと只事ではないぞ。
「彼女の動体認知視力から判断して、矛盾を見分けることが出来ないところまで、
ホログラムの動きは詰めてあります。もし仮に彼女があの腕に飽きたら、ホログラ
ムを止めて、元の腕に戻すだけです」
「…………」
 そういうことか。
「説得は、しました」
 自嘲を滲ませて、医師が言う。
「どんなに精巧でも、それはあの方の持っていた動きの模倣でしかない。あの方の
オリジナルな動きを、私達は追うしかない、と、言ったのですが……」
「駄目でしょうね」
「……はい」

 模倣されるようでは、彼女にとっては駄目なのだ。

「あの方が、手の無いことにうんざりした頃に説得して頂けませんか」
「……はい」

 本当は、誰だって怖いのかもしれないな、と思った。

「確かに、生体機械は、未だにどこかで恐怖の的になっています」
 考えを読んだように、医師が言う。
「自分の思うように動かなければ怖い。自分の思うように動けば動いたなりに、や
はり怖い。……不便なものです、人間は」
「……そうでしょうか?」
「そうですとも」
 医師は、笑っていた。
「模倣が届いたところで、怖がる必要はないんです。それはどんなにやってみても
模倣でしかない」
「……でも」
 でも。
「でも、それが模倣じゃなくなったら?」
 おや、と言いたげに医師はこちらを見た。
「その時は、人類が皆まとめて、鷹を産んだ鳶の気分になるだけです」
「…………」
 そーきますかいっ。
「その恐怖に耐えられないのならば、とうの昔に人間は自殺で滅びていますとも」
 おどけたような、声。
「……そーでしょうか、ねえ」

 彼女の立場に立った時、私はどうするだろうか。
 彼女のように怯え、機械の能力を無理やりにでも押し下げるだろうか。
 それともなんとなく、その力を受け入れるだろうか。

「……とりあえず、今のあの方の状態はあまり良くないので」
「あ、はい」
「ご協力お願いします」
「はい」

 歯車とばねの、左手。
 ……それもまがい物の。

 まがい物の、そのまたまがい物の手。
 かちこちと、歯車の回る音さえ聞こえてきそうなのに。

 ……そして私は一礼して、その部屋を出た。