『テーマ館』 第32回テーマ「狂気」


160人のサイコたち 森里羽実 2000/02/27 02:37:18

      精神病棟が舞台の、ショートノベルです。
      注意! 脳を狂気におかされた人々の描写に、グロテスクな表現を含んでいます。
          どうぞお気をつけ下さい。 

      7月 21日 

      ──153号は刃物が好きである。うっかりカッターなど置きっぱなしにすれば、
      たちまち廊下に血の痕がてんてんと続くことになる。削いだ皮膚は元に戻らないことを
      いまだに知らず、理不尽な痛みに首をかしげるが、因果関係に気がつかない。庭の木の
      樹皮をむしり、そこに血を擦り付けているのをよく目撃される。何を示唆するのかは謎で
      ある。

      9月 8日

      ──104号がまたやった。共同便所の便器に大量のトイレット・ペーパーをつめこみ、
      水を流したのである。溢れた水は廊下まで流れ出し、処理に非常に手間取った。奇妙な
      ことにトイレット・ペーパーにはサインペンで何か書き記してある。何十メートルにも
      なろうかというひと巻きのペーパーをはがし、几帳面な字でこまごまと書いているそれは、
      どうやら何かの論文であるらしく、随所に「故に」「従って」といった接続詞が見られる
      ものの、文を構成する単語は品詞も意味もごたまぜになり、文意はない。
      トイレット・ペーパーと用便の関係については一切理解していない。

      11月 7日

      ──98号は第W度隔離棟へ移されることになった。病棟設立以来、5例目の患者である。
      手先が非常に器用で、隙をついては脱檻する。また演技が上手く、他人の症状の真似を
      することもでき、スタッフを混乱させることもしばしばである。食べ残しの鶏肉の骨を削り
      他人の背中を刺す、妄想を持つ患者を騙して襲わせるといった高度かつ脈絡のない行動を
      取る。普段は失語状態だが、演技をする時のみ喋り出す。

      12月 28日

      ──65号が自殺を図った。舌を噛み切ったのである。切片は飲みこんだらしい。
      代わりになると思ったのか、昼食のトマトが口中に入れられていた。汁気のある
      食べ物や昆虫を衣服のポケットに入れて潰すのを好んでいたが、意図的に噛んだのか
      どうかは謎である。トマトは潰れていた。

       1月 16日

      ──23号がきょうぼうかした。何をしだすかわからない。第よんどへのかくりを
      シンセイしたが、きゃっかされた。

       2がつ 
          
      ──4ごうが あらわれた。ころされる。

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                                  マーティン

      (解説)
       多重人格症なのですが、異例な例で、一つの人格が完全に主治医と同化し、
      しかも優秀な判断能力や知識をも備えています。自分の中の人格にも系統付け、
      行動を把握しようとしたようですが、人格65号の自殺をきっかけに、だんだん
      脅迫観念に囚われ始め、最後には完全な人格崩壊を起こしました。ひとつの自我の
      中で、これだけ優れた人格が起こり、またそれが他の人格によって押しつぶされた
      きわめて珍しい症例と言えます。
                            
                        C・マーティン主治医   J・M・カーテル