第50回テーマ館「記念」



10年のタビビト ひふみしごろう [2003/07/06 10:17:19]



家に帰ってテレビをつけたら、ちょうどニュースをやっていた。俺は服を脱ぎながら洗
面所で顔を洗う、いつものように頭からも水をかぶり一日の疲れを取り除いた気分にな
る。すっきりしてタオルで髪をふいていると、テレビにある人物がアップで映ってい
た。
・・・短めの髪。
・・・日焼けした肌。
そいつはあの頃と比べたらずいぶんと大人びた顔立ちをしていた。だがあの独特の雰囲
気はそのままで、いくら見た目がかわろうとも俺にはすぐにわかった。

俺は呆けたようにテレビに見入る。奴は画面の中でレポーターの質問に答えながらカメ
ラに向かってにこやかに微笑んでいる。その表情に俺は少し驚く。
・・・・あれから10年くらいか、10年前のあいつにはあんな笑顔はなかった。よく笑う
様なやつではなかったが、笑うときはもっと子供っぽいニカーっとした笑い方をする奴
だった。が、さすがに三十路近くなってあのころのままということはありえない。俺は
当たり前のことに気づきテレビの前で一人苦笑する。俺にもあいつにも平等に10年とい
う時間は流れているのだ。

                #

あれは俺が高校3年の春のことだった。普通高校3年といったら大学受験にむけて猛勉強
の真っ最中のはずだが、どうにも俺はそんな気になれなかった。本来なら勉強に打ち込
むべきその時期に、むしろ早退やらサボりやら現実逃避に忙しく、そして自分自身でも
それが現実逃避であることを自覚していた。(いやなガキだ。いや、ただの甘ったれ
か)

ただ、一口に学校をサボるといってもひとつ問題があった。それはサボりで空いた時間
に何をするのかということだ。いくらなんでも友達を誘うというわけにはいかない、流
石の俺でもそれくらいの分別はあった。かといって平日の真昼間からゲーセンに入り浸
るというのは制服では目立ちすぎる。自然と俺の足はひとけのない方、ひとけのない方
へと向かうようになる。そして絶好の穴場を見つけることとなった。

それは喫茶店だった。150円でコーヒーを出してくれる、小さな店。いつも店内には静か
な音楽が流れていて(それはとても良い選曲であったのかもしれないが、音楽方面に疎
い俺にはどんなジャンルであるのかということさえも分からなかった)俺はその少しく
すんだソファーにだらしなく座りながら一杯のコーヒーで何時間も時間を潰す。一人き
りでそんな無意味な時間を過ごしていた俺だが、不思議と心地よかった。何も考えずに
背もたれにもたれかかりながら、ちびちびとコーヒーをすする。店内は程よく空調が効
いていて、静かな音楽もその俺の自堕落感によくマッチし、表に面したガラス張りから
入る柔らかなぽかぽかとした光も沈み込むような眠気を誘う。ふと気づけばよその学校
の制服だが同じようにサボってるやつなんかもいて、そいつを横目に見ながら『あー、
この喫茶店って客少ねーなー。』なんて思いながらゆっくりと目を閉じる。

ある日その喫茶店のソファーでいつものようにダラーっと座っていると店の中にあいつ
が入ってきた。その頃には俺もその店の常連となっていたから、その、俺とは違う学校
の制服を着た奴が俺と同じように店の常連であるということも知っていた。というか、
その喫茶店で平日の昼間俺とそいつ以外の客が入っているのを見たことがなかった。あ
いつは俺と目があうと、そらすことなくじっと見つめてきて、なんとなく俺もあいつの
ことを見つめてしまった。数瞬後、馬鹿らしくなって俺のほうから視線を外したが、あ
いつはそのまま俺のテーブルの向かいのソファーに座り込む。
「何やってんの?お前」
「くつろいでる」
見たまんまのことをあいつが聞いてきたので会話が途切れてしまう。しばらく奴はじっ
と固まっていたが、すぐに思い直したように自分の鞄からなにかの文庫本を取り出すと
その
まま読み始めた。
「何してんだ?お前」
「本読んでる」
今度はあいつのほうが見たまんまの答えを返す。いや、俺は『他にも席空いてるだろ
う、目障りだからどっかいけよって意味で聞いたんだけど。』と思ったが面倒くさくな
ってそのまま自堕落の続きに入る。
結局、その日は最後まであいつは俺の前の席で本を読み続けた。

それから俺達はその喫茶店で同じテーブルにつくようになった。俺はあいつの名前を知
らない。あいつも俺に名前を尋ねてくることはなかった。同じテーブルに座ってるから
といってお互いよくしゃべったりするわけではない。あいつは主に本を読んでいて、俺
は主に自堕落にいそしんだ。あの頃(いや今でも)俺は喋ることが苦手だった、という
より喋る話題がなかった。言葉というのは必要なときに必要なだけ口にすればいいもの
で、無理に話をしようとすると何か無意味な空虚なものしか出てこない。その感覚が俺
にはとても面倒くさく感じて、どちらかというとしんねりむっつりと黙りこくることが
多かった。それは多分あいつも同じだったろうと思う。だから俺にはあいつと話した事
といって思い出すのは「ファンタはオレンジとグレープどっちがうまいか」とか「“そ
ばめし”は邪道だ」とか「推理小説における最高の悪役は誰か」とかそんなくだらない
ことをぽつりぽつりと話したような記憶しかない。

あいつはよく本を読んでいた。ジャンルにこだわりはないらしく、ある時、志賀直哉を
読んでると思ったら、またある時は島田荘司を読んだりしている。“無職のススメ”と
か、わけわかんない本を読んでるときもあった。本人曰く“面白ければなんでもいい”
そうで、ただ読書に向かうその姿勢は、読書はただの暇つぶしとしてしか見ていない俺
と違って、どこか求道者を思わせた、まぁ読んでる内容が内容だが。(ほんとにあいつ
は節操なかった。純文学からエロ小説、SF、ミステリ、ファンタジー、エッセイ、
etc・・・手当たりしだいといった感じだった)

結局、俺たちってなんだったんだろう。今にして思うととても不思議な関係だった。友
達というのとは違う、名前すら知らない同士だったのだ、友達と呼ぶにはあまりにもお
互いのことに興味がなかった。かといって赤の他人というのも違う、そう感じる程俺は
あいつに対して共感を覚えていた。あまり似てるというわけではなかったが、なんとい
うか気がついたら隣にいる奴、そんな感じだった。ほんの数ヶ月だったがなんとも印象
深い時間を俺はあの喫茶店で過ごしていた。

・・・・・そして梅雨の終わった頃・・・・・・・

「どんな話?それ」
俺がそういうと、あいつは露骨に嫌な顔をした。(その気持ちは俺にもよく分かった。
本を読んでる最中に邪魔をするだけでなく“内容を説明しろ”と要求される。俺はそれ
が嫌だから決して人前では本を読まないようにしている)だが、俺はあえてそのことに
気づかない振りをする。その時あいつはやけに熱心に薄くて古ぼけた文庫を読んでい
た、表紙には『真夜中のボクサー』という題がある。
「主人公の中野真世が自己主張をする話」
「なんだそりゃ」
「マヨ・ナカノ僕さぁ」
「・・・・・・・・」
なるほど答える気はないらしい。だが、あいつはふと何かを思いついたように二カーっ
と独特な笑顔を見せる。
「なあ、どっか国内旅行行くとしたらどこがいい?」
「・・・・んー?・・・・沖縄かな」
俺が答えるとあいつは少し悩んだ様子で
「んー、だめだ、どっか陸つづきで」
と言ってくる。俺は少し考え込んで「じゃあ、長崎かな。」と答えた。
「ふーん、長崎ねえ・・・・悪くなし、悪くなし」
あいつは一人で納得して、いきなり左手を上に上げ、右手を横に伸ばしたポーズをと
る。
「じゃあさ、これ知ってるか?」
「な・・・なんだよいきなり」
「ははは、へ〜わきねんぞ〜」
「いや、手、逆だし」
俺がつっこむと「あっ、そうなん?」と言いながら、今度は左手を横に伸ばし、右手を
上に上げる。
「じゃあ、“へいわきねんぞう”を漢字で書けるか?」
今度は俺のほうから問題をしかける。
「おいおい、馬鹿にすんなよな」
あいつはそう言いながら“平和記念像”と手元の紙に書く。
「それも違う」
俺はペンを受けとって“平和記念像”を“平和祈念像”と書き直す。
「え、マジ?へぇ、知らんかった」
そしてあいつは「ま、いいや」と呟くとおもむろに宣言する。
「決めた、長崎まで平和祈念像を見に行く。」
「はぁ?」
あいつは、何を言ってるのかさっぱりわからない俺をほっぽいて一人で得心するとさっ
さと喫茶店を出て行ってしまう。
「タビビトだからな」
謎の一言を残して。

・・・・・・・それがあいつを見た最後だった。

          #

テレビではあいつがレポーターの質問ににこやかに答えている。やわらかな微笑み、タ
ビビトは10年の間にずいぶんと如才なくなったように見えた。大人になったということ
なんだろうが、それでもまだあの頃の面影は失っていない。
ふいに俺はいくばくかの喪失感を覚える。今の自分の生活、テレビの中のあいつのにこ
やかな微笑み、どこか取り残されたような気分になる。テレビの向こうとこちら側、こ
れが俺とあいつの10年間の差なのだろうか・・・・・・・

10年前、あいつがいなくなってからしばらくして俺もサボりをやめて真面目に授業に出
るようになった。どこか白けたような気分になっていたのだ、“祭りは終わった”そう,
まさにそんな感じだった。

あの喫茶店は今では潰れてしまった。大学の頃、帰省した際に寄ったときにはすでに取
り壊された後で、そこはただの空き地になっていた。

今となっては、あの心地よい自堕落な感覚を味わうこともできない。

                 <おわり>

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