第36回テーマ館「モンスター」



果てなく続く儚い欠片 ひふみしごろう [2000/11/11 06:48:37]

  辺りはまるで小波ひとつたってない湖面のような冷やかな静謐につつまれている。
真夜中のコンクリートジャングル、その鏡のような静寂のなかでスポットライトの
ように街灯に照らされながら……
         ……彼らはそこにいた。

「どうしても、我々の側にはついてくれないのかな?」
対峙する四人、正確には一人対三人であったが、三人の中で若い二人の男女を従えるよう
にして立つ老人が口を開いた。だが、三人の前に立つ一人の女性はその問いに対し答えよ
うとはしない。
「嬢ちゃん程の才能があれば、いくらでも己の力を世の中に誇示できるだろうに、何故、
一介のフリーターなんぞに身をやつしている?」
そういって、にやりと笑う老人に対し、問いを投げかけられた女性はようやく言葉を紡ぐ。
「……自己顕示……犯罪行為に手をつけるにしては、随分みみっちい理由だね。」
それを聞いた老人はたまらないといった風に笑い始めた。
「くくくくく……成る程、ただ一人そこにあることを定められた混沌なる運命。さすがは
エンジェル・アクトといったところかな?」
老人は笑いつづけるが、一瞬にしてその場に緊張がはりつめた。真夜中の清冽な空気の中
で彼らの間の空間が一触即発の様相を呈する。
「やめろ、ナギ、……ナミもだ……今日は彼女を勧誘に来ただけなのだから。」
老人がそういうと、後ろに控えた二人の若い男女はすぐに緊張を解いた、それに伴い、辺
りの空気も一気に弛緩する。そして老人は、まるで何事も無かったかのようにその場に佇
み続ける女性に向き直り、微笑みながら1枚の名刺をとりだした。
「まあ、気が変わったらいつでも連絡を、嬢ちゃんみたいな人材だったらすぐに採用決
定だから。」
そういって上機嫌な様子でその場を静かに立ち去った。

後に残された女性は一人、街灯に照らされた名刺を一瞥した後、ぽつりと呟く。
「……怪人2000面相……また面倒なのがでてきた………」
そうして、エンジェル・アクトは夜の帳の中、冷たい空気に背を丸めながら去って行った。

           *

かつて、『ザ・トランプ』という犯罪組織があった。その組織は『ゴッド』と名乗る男を
筆頭に『スペード・スター』『ハート・アライヴ』『クローバー・エッジ』『ダイヤ・モンド』
という4人の高級幹部を据えて、そのそれぞれに『キング』『クイーン』『ジャック』という
中級幹部、実行部隊としての『ナンバーズ』と呼ばれる構成員によって組織される、プロの
犯罪者たちの集まりであった。
俺は高校を卒業すると知人のつてでその犯罪組織に入った。下っ端のナンバーズといえど
もそんな簡単にはなれないもので、当初は準構成員として毎日訓練を課せられる。
はっきりいってその頃の俺はただの阿呆だった。己の信念もなく、力も無いくせに、
プライドだけは馬鹿みたいにあった。”なにか大きな事をしてやる”とはいつも心に思って
いたが、かといって特に何かをやりたいわけではなく、『ザ・トランプ』を選んだのだって
ぶっちゃけていうと、”なんとなくかっこいいから”というガキの浅知恵丸出しな理由だっ
た。訓練中、周りにいた奴らも俺とたいして変わらず、拙い自意識だけが異様に肥大した
その集団は端から見たらとんだ間抜けだったに違いない。
そんなこんなで二年ほど訓練をつんだ後、俺はナンバーズに抜擢された。膨れ上がった自
意識はそのころの俺には押さえの効かないものになって、自分の信念すらもいつのまにか
組織に操作されてしまっていることに気づく事も無く、ナンバーズとしての任務に自分の
人生を賭けていく。
……だが、その信念なき俺のプライドはあまりにも脆かった。
社会に出て己を客観的に見てみると、現実は俺の事などお構いなしに事実をさらす。

 ……己の傲慢さ、卑小さ、無知、すべてをひっくるめた『弱い自分』という事実……

そうした事実は、訓練によってついていた世間知らずな自信と自負を巻き込んで俺という
存在を完膚なきまでに叩きのめす。
そして、『ザ・トランプ』の実態を垣間見た時、はじめて俺は自覚した、自分のやってきた
ことの意味、自分が引き起こした現実を……
だが、気づいた時は遅かった。そのときにはすでに俺は抜けられない深みまではまりこ
んでしまっており、保身の為にも組織の駒に徹するしか手は残っていない。
そうこうしているうちに時は流れ、気がついたら俺は『スペード・スター』と呼ばれる
までになっていた。抜けるに抜けられず、組織に対し嫌悪感すら抱いていたその頃の俺に
とっては全く嬉しくない事実で、かといって組織に反旗をひるがえすほどの度胸もなく、
ただ黙々と組織の仕事をこなしながら、心の中で今の自分ではない自分を想像したりして、
その度に空しさと後悔におそわれていた。

だが、その時ある一つの事件が起こった。
……『ジョーカー』、組織の闇を任せられた暗い瞳をしたガキ……その男の裏切り……
磐石であったはずの『ザ・トランプ』は、ジョーカーただ一人の反逆にあっけなく崩
壊する……

そうして俺は組織から抜けた。主だった幹部は警察によって軒並み検挙されるなか、俺は
というと、運良く間一髪の所で逃げおおせることができた。
すべてから逃げて、自分一人になって、結局俺に残ったのは、貯めこんどいたいくらかの
貯金と、自分自身……
でも、その時の俺にとってはそれだけで充分だった。

       *

彼にはじめて会ったのは11月の終わりくらいの寒い時期だった。
私の名前はミヤサキアキコ、当時小学4年生だ。
その時、私は一人駅前広場にいた。冷たい風が吹いていて、買ってもらったばかりのジャ
ンパーの中で体を小さくしてその寒さをしのぐ。その日は日曜日で、街の中は家族連れや
若いカップルでごったがえしていたので、私は待ち合わせていたトミタンを見失わないよ
うにあたりをキョロキョロ見回していたのを今でも覚えている。
「ねえ、いいじゃないですか。ほんの少しでいいから。」
そんな声がしたのは、約束の時間を15分ほど過ぎても現れないトミタンのことをほっと
いて私一人でこのまま遊びに行ってしまおうかと考えてた時だった。声のする方を向くと
一人の男(歳はいくつぐらいなんだろう、大人の歳って私にはよく分からない、ただ今に
して思うと20代後半はいってたと思う。しかし雰囲気が若々しい感じだったのであまり
歳くってそうには見えなかった)が『ドジラ』につめよっていた。
当然のことだけど、ドジラといってもホンモノのドジラ(あれは映画だもんね)ではない。
男につめよられていたのは、立派な造りだけどちゃんとした着ぐるみのドジラだった。あ
の頃は『ドジラvsギガタコス』が上映する直前だったから、キャンペーンか何かでその
着ぐるみドジラはチラシを配っていたのだ。
「お願い!!ほんのちょっとでいいから。」
一生懸命すがってくる男に、ドジラは困ったような仕草をみせる、そのどことなくひょう
きんな動きにドジラの周りにいた子供達も笑い声をあげる。
「駄目ですよ、仕事なんですから。」
あまりのしつこさにまいったのか、ドジラはその首を取り外した。下から女の人の顔が現
れたので子供達が「ドジラはメスだ!」とはやし立て、それを聞いたお姉さんが、困った
様に苦笑していた。
「頼む!!オネーチャン。いっぺんでいいから俺にドジラをやらせてくれ。」
男は構わずにドジラのお姉さんにつめよるが、その時彼らの後ろから眼鏡を掛けたひょろ
ながい顔のおじさんが顔を出した。
「一体なんなんだあんた、いい歳した大人が昼間っからドジラドジラって……」
「おっ!!いいとこにきた。あんたこのオネーチャンの会社のエラい人だろ?バイトでい
いから俺のこと雇ってくれよ。」
「バイトは間に合ってるよ。辞める予定も今のとこ聞いてないし……だろ?」
おじさんがお姉さんに向かって訊ねるとお姉さんはきっぱりと答えた。
「絶対ヤだ。」
そうしてひょろながおじさんは肩をすくめて「……だそうだ。」と言うとしっしっと追い払
う様に掌を振った。
「少しくらいいいじゃんケチ!!」
男が最後にそう言うと子供達が声をあげて笑った。その仕草の滑稽さに思わず私も笑って
しまう。そして男は離れたところで笑う私を見てバツが悪そうな笑顔を浮かべる。

……それが私とワタナベタカトとの出会いだった。

          *

「あなたの力が必要なんです。」
そいつが尋ねてきたのは、俺が新しい暮らしを当たり前として感じられ始めた頃だった。
「仲間達も再び集まってきています、あと必要なのは導いてくれるリーダーなんです。」
そいつは『ザ・トランプ』の時俺の下でジャックをやっていた男で、若くて活きのいいの
が集まるスペードの中でも、異例のスピードでのしあがって注目を集める最有望株の奴
だった。
しかし今さら俺のところにやってきてこんな事を言い出すなんて、俺にはそのことが信じ
られなかった。
「今更何を……」
その俺の呟きにそいつはピクリと反応する。
「私達はスペード・スターのあなたが必要なんです。」
同じ言葉を繰り返し、まるで俺の事を覗き込むようにじっと見つめてくる。その迷いのな
い視線の中に、俺は目の前の男の歪んだ心を感じとり、かすかな嫌悪感を抱く。
「ここにいるって事は、まだお互いに運がいいってことだ。いい加減あんなことはやめて
新しい暮らしを満喫する時じゃないのか?」
だが俺がそう言うと、そいつはとてつもなく嫌そうに顔を歪めた。そして苦いものでも吐
くように言葉を紡ぐ。
「ならなんで、あんたはこんなトコにいるんだ。なんで今更そんな偽善的なコトを言うん
だ。こんな所でコソコソ逃げ回って、ほんとにこれがあのスペード・スターなのか……」
その言葉に俺はカチンときた。”コソコソ逃げ回る”その言葉は自分自身でも何度も考えた
事だったからだ。自分がこれまでやってきたことを考えるなら、おとなしく警察に自首す
るのが正解なのだろう。しかし実際に俺はすべてのことをなかったことにして、新しい暮
らしを始めている。
要するに俺は弱いのだ。自分のことしか考えず、自分に都合のいいことだけで生きている
ズルい男。目の前の男の言葉はそんな俺の図星を突いた。
「……なに、勝手なこと言ってやがる!!スペード・スターだと?俺があんな事を望んで
やってるとでも本気で思ってたのか!!あんな子供だましのイカれた集団、ガキの一匹に
潰されるなんて、お似合いだろうがっっ!!」
俺のその言葉に目の前の男は、もともと白い顔から更に血の気を引かせ、ポツリと呟いた。
「……子供だましに怯えて尻尾振ってたのは、何処のどいつだ……」
そして、男はゆっくりと立ちあがりその場を立ち去った。その口から出る最後の言葉……
「……スペード・スターは死んだ………」

       ……そんな奴、はじめからいない……

       *

タカトは面白い奴だった。
ドジラのことがあったから私は最初、タカトのことを子供っぽい馬鹿な大人なんだろうと
思っていたが、話してみると年相応(?)に分別くさいことを言う奴だった。
そして何より、タカトは本を沢山読んでいて、それが私の興味を引いた。
実は私は読書が好きで、クラスの中でも私ほど本を読んでいる人間はいなかった。それは
周りの大人にしてもおなじことで、大きくなってもアインシュタインの『E=mc2乗』も
しらない大人がいたりしたので、実を言うと、私は、本を沢山読んでいるということで、
他人にちょっぴり優越感を感じていた。
だけど、タカトにそのことを言うと、タカトは「それは違う」と言った。
「あー、これは俺の知人が言ってた事なんだけど、ほら、アインシュタインのことなんて
知らなくても別に日常生活に困ることなんてないだろ?小説なんかだともっと然りで、ナ
ツメソウセキだろうがカワバタヤスナリだろうが結局は人間の空想の産物でしかないって
そいつは言うんだよ。」
「でも、いい小説を読むと感動したり、泣いてしまったりするよ。」
「うーん、そいつに言わせると、そんな事は頭の中だけのヴァーチャルなものだって言う
んだ。実際に自分で経験したことには敵わないってね。小説なんて読んでる位ならエロ本
の方がよっぽど実用的………んーと、まあ、要するに本を沢山読んでるからって必ずしも
それが偉い事だとは限らないって言う奴もいるってことだよ。」
……ね、分別くさいでしょ?
だけど、実際タカトは私よりも沢山の本を読んでいたし、私なんかよりもっと物知りだっ
た。私はこれまで大好きなミステリの話についてこんなに誰かと話し合った事はなかった
し、タカトの読書の嗜好は私のそれに通じるものがあったので、タカトの話を聞いて、新
たな分野に興味を持ったりもした。
……でも、一つだけ私とタカトの嗜好にくい違いがあったとすると……
     ……それが『ドジラ』だった。

「アキコ、それは違うぞ。」
ひょんなきっかけから、「ドジラなんて子供の観るものだ。」と言った私の言葉に対し、タ
カトはあわてて否定してきた。
「大きく、強く、そしてあの物言わぬ寡黙なやさしさ、ドジラこそ世界に誇る日本のヒー
ロー、身長100メートル、体重5万トンの心優しき正義の味方だぞ。」
驚いた……ドジラの身長、体重をソラで言えるなんて、男子生徒には何人かいるけど、ま
さかいい歳をした大人でそんなことを知ってるのがいるなんて思ってもいなかった。
「ドジラVSピンクギドラの時なんて、子供達を守るために黙ってピンクギドラの攻撃に
耐えるドジラを観た時、白状するけど俺は泣いたね。まさにあれこそキング・オブ・モン
スターの鑑。」
……黙って耐えるって……たしかに『あうちっ』とか叫んで悶絶するドジラは見たくない
けど……
「……ふう……タカトってホントにドジラが大好きなんだねえ。」
私が溜息をつきながらそう言うと、タカトは私の方を覗き込んできた。
「おい、アキコひょっとしてお前、あんまりドジラ観た事ないんじゃないのか?」
「うん、実を言うと全然。」
「あうち!!お前全然知らないくせにドジラのこと馬鹿にしてたのか?」
「だって、普通そうじゃん……」
「駄目駄目駄目!!お前それって駄目駄目だぞ。今の世に生きててドジラを観た事ないな
んて、人生の半分以上を無駄にしているぞ。」
「そんな大げさな……」
「そうかあ、よし、それなら今度のドジラVSギガタコス一緒に観に行こう。おい、いつだ
ったら大丈夫だ?」
「うーん、私んち母子家庭だからお母さんしかいないんだ。水曜日の夜はいつも残業だか
ら、その日だったらいいと思う……」
「……親御さんにはちゃんと了解とれよ。」
……やっぱり分別くさいよね?

そんな風にして、ワタナベタカトと私はいつのまにか本当の友達のようになっていた。
タカトは何の仕事をしているのかもよくわからない典型的な”胡散臭い大人”だったけど、
私はあまりその事は気にならなかった。お母さんにそんな事を言うと目くじら立てて怒ら
れるかもしれないけど、タカトと話していると楽しいという事実は私のそれまでの日常に
新たな潤いをもたらしてくれた。
だけど、すべての物事にははじめがあったら、終わりがあるわけで、私とタカトの物語も
あの運命の日を迎える。
………私は今でも覚えている。
それはその冬初めての雪が降った日。
とても冷たいくせに、どこか暖かみを感じさせる雪の結晶。
溶けても、溶けても舞いおりる、果てなく続く儚い欠片。
まるで、すべてを白く覆い隠そうとでもいうような
………そんな哀しい夜だった………

       *

『ドジラVSギガタコス』を観に行こうと約束したその日、私は朝から浮かれた気分になっ
ていた。たしかにドジラなんて子供っぽいのは恥ずかしいとそれまで思っていたけれど。
タカトのような大人だってあんなに楽しみにしているのだ、それによく考えてみると一度
じっくりと観てみたいような気もする。いつのまにか、私もタカトのドジラ熱をうつされ
てしまったかもしれない。
授業が終わると急いで家に帰り、映画に行く準備を始めた。お母さんには昨日の夜に了解
をもらっていた(はじめは頑として首を縦に振らなかったけど、どうしてもドジラが観た
いと言うと「しかたないわねえ」と困った様に言いながら、ようやくOKを出してくれた。
ただ、一緒に行くのはクラスのみんなって誤魔化した。)ので、テーブルの上には映画の代
金と夕食代、そして”寄り道するな”という書置きもおいてあった。
夜の街に一人ででかけるなんて、実を言うとはじめての事だったので。知らない所に冒険
に行くような、小説の主人公のような気分になった。私はうきうきしながら時間になるの
を待ちながら何度も時計を確認した。
「ピンポーン」
バスの時間があと30分を切ったとき、玄関のチャイムが鳴った。
私がドアを開けると、そこにはいたのは真っ白い顔をした知らない男の人。
「はじめまして、ミヤサキアキコ君……」

気がつくと私は車に乗っていた。
私の隣りでは、さっきの白い顔の男が小さくハミングをしながら上機嫌で運転をしている。
「気がついたかな?ミヤサキアキコ君。」
男はそう言うとちらりと私を横目で眺めてくる。その爬虫類を思わせる男の瞳に、思わず
私はぞくりとする。
「おじさん、誰?」
私がそう言うと男はくくくくと気持ち悪い笑い声を上げた。
「おじさんはないだろう。これでもまだ25なんだよ。それに私の名を呼びたいのなら…
……そうだな、ジャックと呼べばいい。」
「……ジャック……」
「そんなことより君の話をしよう、アキコ君。」
男は丁寧な言葉遣いをしていたが、話していると、どうしても歪な印象がネットリと絡み
ついてくる。
「君は気づいていないかもしれないが、とても大きな可能性を秘めているね。君のような
特質を持つ人間のことを一般にはESP(E……得体の、S……知れない、P……人々・p
eople)と呼んでいるのだけど、今の君はESPの蛹といったところかな?我々は君の
事は以前からマークしていたし、本来なら力に目覚めた君を迎え入れるつもりだったんだ
が、今となってはそんなに悠長なことも言っていられなくなった。邪魔くさいイトセの
連中も勿論だが、何故かスペード・スターまでもが君に近づいていたからね。」
「……いったい何の事を……」
「くくくくくく……その様子だと、スペード・スターは君に何も教えてはいないようだね。
ほら、最近君に近づいてきたおかしな男がいただろう?……今は何て名乗っているのか、
我々では捉えることは出来なかったけど……ははは……枯れても伝説の男だね。奴は的確
に自分の痕跡を消している。正直、私自身でも1対1では勝てる自信はないよ。あの隙
のなさ、忌々しいことだけど……」
男は訳のわからない事を呟いていたけれど、私の耳にはまったく入ってこなかった。
私の頭をぐるぐるまわっていたのは、男の言ったひとつの言葉。
……サイキン、アタシニチカヅイテキタ、オカシナオトコ……
「……ワタナベタカト……」
男は私のその呟きを聞くと嬉々として喋り始めた。
「そう!!そいつのことだよ。無様で惨めで哀れな男!!しかし、今日こそは、あの男の
くだらない伝説も終幕だ。そして、その男の眠る場所も、もうすでに用意してある。」
そう言って、男が車を止め、私は急いで窓を開けて外を確認する。
………タカトと待ち合わせていた公園だった………

………私は今でも覚えている。
それはその冬初めての雪が降った日。
とても冷たいくせに、どこか暖かみを感じさせる雪の結晶。
溶けても、溶けても舞いおりる、果てなく続く儚い欠片。
まるで、すべてを白く覆い隠そうとでもいうような
………そんな哀しい夜………
タカトは私達の前で何も言わずに立っている。
何故だろう、タカトはとても哀しそうな瞳をしている。
私の知らないタカト、ジャックと名乗った私の傍らに立つ男はなんて呼んでただろう……
……そう、たしかスペード・スターとかいっていた……

「アキコをはなせ」
タカトがぽつりとそう言った。聞いたこと無いような、とても暗い声。
ジャックはそれを聞くと軽く私の肩を叩いた。だけど、私は動けない。本当はタカトの方
に走っていきたかったけど、何故か、そうする事は躊躇われた。取り返しのつかなくなる
ような、そんな予感……
「さあ、アキコ。」
しかし、タカトがそういって手を伸ばした時、私は思いきってタカトの方に駆けた。
      ………その瞬間………
物凄い轟音があたりに響いた。

私にもその音が銃声だというのがわかった。
タカトが私を庇うように抱え込んだのもわかった。
あたりは雪が降っていてとても寒いはずなのに、暖かいのはタカトの温もりのせいだ
ということもわかったけれど……
タカトの体から、みるみる力がなくなっていくその理由が……
………その時の私には理解できなかった………

みるみる力が無くなっていくタカトを呆然と見つめながら、私はボロボロ涙を流すしかで
きなかった。ぐったりしたタカトにしがみついて必死に揺すっても、タカトは答えてくれ
なかった。だから、タカトにすがって泣きじゃくっていた時、微かに聞こえた声ははじめ
私には何の事だかわからなかった。ただ、ほうけたような感覚のなかでジャックという男
が言っていた話を思い出した。

…………君は気づいていないかもしれないが、とても大きな可能性を秘めているね。君の
ような特質を持つ人間のことを一般にはESP(E……得体の、S……知れない、P……人々・
people)と呼んでいるのだけど、今の君はESPの蛹といったところかな?我々は君
の事は以前から………………

     …………それは私が覗いたタカトの心………

         *

………無様な自分
………惨めな自分
………そして、どうしようもなく弱い自分
スペード・スターだなんだと煽てられているけれど、そんなのちっとも嬉しくない。
だったら、足を洗えばいい。
否、組織がそんなことを許す筈が無い。
だったら、大人しく組織に尻尾を振り続けるしかない。
そのとうり、俺は大人しく組織に尻尾を振り続ける。
関係無い人に不幸をばら撒きながら?
しかたがない、それが世の中というものだから。
ずいぶん、自分に都合のいい意見だね?
しかたがない、そうしないと自分が死ぬんだから。
………『ジョーカー』………『ザ・トランプ』の闇を担う暗い瞳をしたガキ………
あいつは最後に自分自身を浄化したらしい………
潔いねえ、誰かさんとは大違いだ。
俺にはできない………自分を殺す事なんて…………
だけど、生きててどうすんの?他人に不幸をばら撒く割には、お前の人生後悔ばかり。
……どうするんだろう………
他人を傷つけて後悔して、それなのに生き続ける理由は……
死ぬのが怖い。
やりたい事も無く、やるべき事も無い男の、死にたくないというだけで不幸にされた人は?
一番悲惨だ。だったら……だったら………
だったら、俺の人生を意味のあるものにすればいい………

……………
…………………
………………………

今日、街で一人の女の子を見た。昔、俺が組織に報告したESP特性の女の子。
その子も不幸な被害者?
何人か監視がついていた、まともじゃないのも混じってたけど。
組織の残党?
もし、俺が彼女を救う事ができれば………
できれば?

…………俺の人生も無駄ではなくなるかもしれない…………

         *

そうして、タカトからは何も聞こえなくなった………

         *

「ほう、読心能力か……」
呆けたままの私の心の中に、不快な男の声が入ってきた。
「スペード・スターもくたばって、新しい能力者も手に入れた。これほどツいてる日はな
いな。」
後ろを振り向くと、そこにはジャックが立っていた。
タカトを殺した拳銃をぶらさげて……
ニヤニヤと生ッちろい顔をいやらしく歪めて………
不快な男、大嫌いな男…………
「さて、わざわざ喋る必要もないだろうけど、大人しく私について来い。おまえの能力は
今はまだ戦闘向きではない。だから抵抗しても、痛い思いをするだけだ。」
私は涙が出てきた。
男の言うとうり、私には反抗する力がない。
ドジラのように強くないから………
ドジラみたいに口から火を吐けたらこんなやつ黒焦げにしてやるのに………
ドジラみたいに体が大きかったらこんな奴ぺしゃんこに踏みつぶすのに………
もっと私がタカトくらいケンカが強かったら………
タカトの言うとうりだった、本を沢山読んだからって、偉い事なんて何も無い………
「よし、いい子だ。大人しくすれば何も怖い事はしないから、なに、大丈夫、悲しみなん
て一時的なものさ、時間がたてばすぐになくなる。3日もしないうちに………」
「お前の頭はザル頭か?」
ふいに、あたりに透きとおった声が響く。
弾けるようにジャックが辺りを見まわす。
そして、雪がしんしんと静かに降り積もる中………
雪の中に倒れたタカトの傍らに………

     …………『ドジラ』がいた………

           *

「………ドジラ………」
公園の展望台に一部始終を眺める傍観者がいた。
「理解できない………どうしてドジラなんだ?」
呟く少年に向かい、老人が答える。
「ナギ、お前でも、今のドジラが過去に作られたドジラをリニューアルしてつくられたも
ので、様々な代を重ねてきたという事は知っているだろう?」
老人の言葉に彼は頷く。
「最近のドジラはたしかに見栄えがするようになった。あの重厚感……リアルさ……しか
し、ただ一つだけ、初代から最新作にかけて、変わっていないことがある。それが何なの
か、お前には分かるか?」
ナギはしばらく考え込むが、しかし、「わからない……」と呟く。
老人はそれを聞いてやさしく微笑み、そして視線を前に戻す。
「ドジラは子供の味方だということだ………」
「……成る程……なのかな?」
老人の答えにナギは呟くが、どこか釈然としない顔をする。その時、それまで黙っていた
ナミという名の少女が口を開いた。
「でも、あれは彼女なんでしょう?」
「着替える間も惜しんでやって来た。エンジェル・アクトも人の子ということだ………」
そう言うと、老人は言葉を切る、しかし、それに続く言葉は、皆まで聞かずとも、隣りで
控える二人にはわかる気がした。
「……だが……ああなった彼女は………無敵だ…………」

            *

………雪が降っている。
……………………どうやら俺は死ぬらしい。
………結局、俺は誰も救うことができなかった。
…………変だな、ドジラが見える。俺の隣りで横たわって。
………アキコが泣いている。
…………………アキコの後ろで哀しそうな瞳をした女がいる。
………なあ、俺はやっぱり間違ってたのかな?
……こんなことで贖罪しようなんて。
………なんか俺の人生って最初から最後まで間違い続きだったような気がする。
………………俺ほど、人生、間違い続きだった人間もいないだろうな。
…………
……
……………でも、涙を流してくれる人間のことを間違いというのは失礼かな。
………………
…………なんだ、それなら俺の人生も決して無駄ではなかったのかも。
…………
………
………ああ俺はこの女の事を知っている。
…………
……………………ただ一人そこにあることを定められた混沌なる運命
………………
…………………強い女……この人ならアキコも決して、おれみたいには……
……
…

       ………エンジェル・アクト………・

          <END>


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