第36回テーマ館「モンスター」



もんすたあ的食糧事情 いー・あーる [2000/11/26 23:21:30]

「イカって、クトゥルーに似てるね」
 しげしげとイカの煮物を眺めながら……佐織はおっとりとのたもうた。

「……普通言うかね、そういうことを」
「あらいいじゃない。どうせそういうメンバーなんだから」
 けろんとして佐織は答える。
「どっちかっていうと、あたしとしては佐織の発言の順番を問いたい……あ、
翠、そのイカの煮物あたしにもまわして」
「順番?」
 佐織の前の煮物の鉢をとって、渡す……瞬間、取り箸が一閃した。
「………もっちゃん、取りたいなら口でまず言って。はい、久美」
「うん」
 皿の上に取ったイカを乗せて、食欲魔人の誉れ高いもっちゃんが頷いた。
 横で翔が笑っている。

 元、図書委員。
 大学はそれぞれ違うし、専攻もやはりそれぞれ違うんだけど。
 こうやって五人、休みになると必ず一度は一緒に飲みにいく。

「その順番って何?」
 脱線しかけた話を、佐織が元に戻す。
「普通は、クトゥルーがイカに似てる、って言うもんじゃない?」
「……あたし、何て言った?」
「イカがクトゥルーに似てるって言った」
「そだっけ?」
 きょとんとして、佐織がこちらを見る。
「そうだよー。だから変だって……」
「どっちかっていうと、似ているのはタコだと思う」
「翔、問題がなんか違う…」
 ああだこうだ言うのを尻目に、もっちゃんは黙々と食べている。

「はい、秋刀魚の塩焼きにレンコンの蒸し団子です」
「あ、どーも……秋刀魚頼んだの誰?」
「あ、俺俺」
 翔が手を上げる。久美がお皿を回す。
「うわー、塩焼きに大根おろしだ」
「……何、感動してんの」
「普通、秋刀魚は焼いても、大根おろしはつけないから」
「……なにそれ」
 ちなみに、あたしと久美、そして翔は、それぞれ別のところで一人暮しをし
ている。
「大根おろし分の大根って、買えないだろ」
「……煮物かなんかにして食べなよ」
「面倒」
「断言するな」
「レンコンの団子……これは翠?あ、あんた冷酒頼む?」
「うん」

「しかし、そうするとこれはダゴンか」
「へ?」
 何だかやけに嬉しそうに秋刀魚を食べていた翔が、急に骨を取っていた手を
止めて、しみじみとそう言った。
「ダゴンって、魚形の神だろ」
「ああ、そういうこと……何のことかと思ったら」
「結局、ラヴクラフトって魚介類嫌いだったんじゃない?インスマウスもあれ、
魚人間でしょ?」
「回転寿司連れてったら、卒倒したりして」
 久美がくすっと笑う。
「ウニとか海鼠とか生牡蠣とか……食えなかったかもなー」
「……勿体無い」
 もっちゃんが手羽先をかじり終えて、いやにきっぱりとそう言った。
「それとも宇宙の海を漂う海産物系のお化け、って落ちなのかしら」
「……それもなんだか……」

「次、何頼む?」
「あ、あたし軟骨食べたい」
「焼き鳥適当に頼もうか……内臓系駄目な人いる?」
「牛タン食べたい」
 えい、まとまらないな。
「ええと……適当に頼むよ、あとの人……すみませんー」
 久美が手を上げる。

「しかし、日本ならではだよな」
 ウーロン茶を一口含んで、なんだかしみじみともっちゃんが呟いた。
「へ?」
「牛タンも食える。牡蠣も食える。イカも食える。豚ミノも食える。馬刺しも
食える」
「………………連呼するし」
「でも確かに、イスラム教なら豚が食べられないし、ヒンズー教なら牛が食べ
られないしね」
 妙に真面目に佐織が受ける。久美が引き継いだ。
「知り合いでさ、紅海で泳いだときにウニ取って食べた奴がいるんだけど、気
がついたら土地の人が、異様なもの見る目で見てたって」
「イスラム教はウニが食えないのかっ?!」
「……もっちゃん、あんたイスラム教に改宗する気?」
「ウニが食えないような宗派に加わる気は無いっ」
 はじかみを齧りながら、翔が笑った。

「はい、冷酒はどちらでしょう」
「あ、はい」
 つきだしの〆鯖ごと、お姉さんはお盆を差し出す。
「すみません……で、なにもっちゃん、その手は」
「〆鯖」
「あたしのっ」
「何だ」
 ……このメンバーでのんびり呑んでいると、本当に食いっぱぐれる。
「なあんか、ねえ」
「ん?」
 残っていた冬瓜の煮物に箸を伸ばしながら、もっちゃんが目だけこちらに向
けた。
「いあ、このメンバーだったら、クトゥルーが来ても、食べかねないよね」
「そらー」
 半透明の冬瓜を、ぱちりと割り箸を合わせて割りながら、もっちゃんが頷い
た。
「食らうとも」
「そうそう」
 食べ終えた秋刀魚の皿を押しやりながら、翔がやはり笑った。
「頭より始めて、骨の髄までも」
 佐織がほんのりと、口元を手で隠すようにして笑う。
「食らおうぞ」

 …………え?

「うましくにぞ、やまとのくには」
                …………紅色に染まる久美の目
「まこと、うましくに、うまし民」
                …………小骨を押さえる佐織の指の長い爪
「とつくにのまがつかみが今更に狙うなどと、かたはらいたし」
                …………こちらを見る翔の額の、小さな角
「海より寄せ来る有象無象」
                …………もっちゃんの口元の、鋭い牙

「骨の髄まで食らい尽くそうぞ」

 あたしを見て笑う
 ほの光る四対の目…………

「はい、軟骨と牛タン、あと焼き鳥セットですねー」
「あ、どーもっ」

 しゃあん、と、雪崩れこむように、喧騒が戻ってくる。

「牛タン、これ、翔だっけ?」
「あ、一つ頂戴、いい?」
「で、軟骨は翠だよね?」

 雪崩れこむように。

「……みどりー?」
「え?」
「俺貰うぞ」
「え?…………え、あ、何、軟骨?」
「ぼけてるなー」
 言う間に、ぱっくんともっちゃんが串に齧りつく。
「あー、あたしのっ」
「やっぱりほら、もっちゃん、翠のだよそれ」
「だから俺、聞いたじゃん今」
「聞くと一緒に食べるし」
 佐織が苦笑する。
「うにゃー、なんこつー」
「ああよしよし、もう一回頼んであげるから」
 久美が……何故かメニューであたしの頭を撫でる。

 ……気の、せいだよね。
 なんでも、なかったんだよね。

「どうせ、これだけじゃ足りないし」
「なーんーこーつー」
「恨まれてるぞ」
 翔の言葉に、もっちゃんは憮然とする。
「いいだろ、どうせ翠は割り勘分呑むし。俺呑めない分食ってるだけで」
「……だって、さっきのイカも食べそこなうしー」
「あれ、お前食べてなかった?」
「無いよっ」
「何だ、俺、これ翔が食べてない分かと思ってた」
「俺、最初に自分で取ったよ」
「あー、だからもっちゃん食べてないんだ」
 久美がえらく納得する。
 奇跡的にも、一つだけ残った、お皿の上のイカの煮物をもっちゃんはふむ、
と、眺めていたが、
「んじゃ、どうぞ」
と、皿ごとこちらに差し出した。
「……いいよもう」
「大丈夫、取り箸で取っただけだから」
「……んじゃもらう」
「翠ー、拗ねない」
 くすくす笑いながら、佐織はもっちゃんから皿を受け取って、あたしの前に
置いた。
「はい、クトゥルーの煮物、最後の一丁」



戻る