第77回テーマ館「音楽」



もう一つの『甲子園』 ジャージ [2010/05/15 03:21:16]


幼い頃から野球が好きだった私の夢は

『甲子園出場』

そして、
アメリカのメジャーリーグでも活躍できる『プロ野球選手』
になる事を夢見ていた。

しかし小学4年生の夏、私は交通事故で右下肢を切断して
しまった。

義足をつけ、リハビリのおかげで歩ける様になったものの、
もう大好きな『野球』ができなくなり、
『野球』が嫌いになった。

小学6年生の夏休み、富山県の祖父の家に行った時だ。

近くで高校野球の地区予選大会があるらしく、祖父の家まで
その歓声が聞こえた。

バットでボールを打つ音、観客の応援、
そして、激しい応援曲・・・。

気持ちが落ち着かない。

≪野球が嫌い≫といいながらも、何処かまだ心から≪野球≫は離れなかった。

『近くでやっているから、見に行くか?』
あまり話をしない祖父が、私に声をかけた。
『別に行きたくないけど、じいちゃんが行くなら・・・』
と答える。その時、いつも険しい表情の祖父の顔が一瞬だけ笑顔になった
様な気がした。

試合は終盤戦。両校とも得点は同じだった。
県内の≪野球名門校≫との試合で、対戦校は精神的な重圧に負ける事なく、
相手から点を取られないようにするのに必死だった。

炎天下の中、選手達は≪甲子園≫の切符をかけて戦っていた。
ユニホームは砂まみれ。額は汗でびっしょりなのだろう、時々汗を拭う仕草も
見られる。

私もあの事故さえなければ・・・と、自分の義足に目をやり、悔しい気持ちに
なった。

『もう9回の裏か。・・・天下の≪◎◎校≫は0点。ここで≪△△商≫が点を入れれば、
 面白くなるなぁ』
と、祖父は自分の顎をなでながら言った。

≪△△商業高校≫の攻撃は、≪◎◎高校≫の豪腕投手のボールと、固い守備でランナー
を出す事すら困難な状況だった。このまま延長戦に入れば≪◎◎高校≫が有利になると思った。

攻撃の途中に≪△△商業高校≫側の応援が止まった。たぶんもう諦めたのだろう。
私は思った。

祖父も試合の終末は解ってしまったのか、視線はグランドではなく、応援団席の
方に向けられていた。

場内アナウンスで次の打者の名前が呼ばれると同時に、≪△△商業高校≫側の一人の
学生がトランペットで演奏を始めた。

その曲は、どこかで聞いた曲だった。

トランペットに続いて、他の吹奏楽部員も演奏を始め、応援団が旗をさらに大きく
振り出した。

この曲は・・・そうだ!テレビゲームの『ファイナルファンタジーX』の
『ビッグ・ブリッジの戦い』のテーマ曲を、応援曲風にアレンジしたものだ!!

今までありふれた応援曲ではない曲で、≪△△商業高校≫の選手達がいままで以上に
気合が入ってきた様に見えた。

バッターは剛球に打ち勝ち、ベースに向けて走る。

軽快な曲は続き、声援に押される様に次の打者もヒットを放つ。
あの強豪高校がみるみるうちに砕かれ、
最後はタイムリーヒットで≪△△商業高校≫が勝利を収めた。

その間、祖父は試合を観戦することなく、ずっと≪△△商業高校≫の応援席
を見つめていた。

試合が終わり、祖父の家に向う途中、祖父は言った。
『ラッパの音は、いつ聞いても不思議だ。・・・ワシもラッパに助けられた。』
『じいちゃん・・・野球やっていたの?』
『いや・・・』
祖父は何かを言おうと思ったが、口を固く閉ざして家に戻った。

その後≪△△商業高校≫は地区予選を突破し、初の≪甲子園出場≫を果たした。
≪△△商業高校≫の初戦の日の朝、祖父は突然心臓発作を起こし帰らぬ人となった。

祖父の通夜の時に、祖父の友人達がお酒を飲みながら、しんみりと昔の話をしており、
私は何気にその話に耳を傾けていた。

大東亜戦争・・・太平洋戦争の時に、祖父は日本よりも遠く離れた南方の地で兵隊
として戦っていた。物資が不足し、体力も精神力も限界にきていた。多くの敵兵に
囲まれる中、祖父のいた部隊の一人が『最後の手段』として≪突撃ラッパ≫を吹き、
祖父達も大声を上げたり、ドラム缶を太鼓の様に鳴らしたりして、敵を驚かせ、混乱
させて逃げ延びたという。

『ラッパに助けられたよ・・・』
あの試合の後の祖父の言葉が蘇る。
試合のときに吹奏楽部の方を見ていたのも、戦時中の事を思い出しての事なのか?

≪△△商業高校≫は甲子園で初戦を突破したものの、第2戦では延長の末に敗退
してしまった。その野球部の部長は涙を流しながらテレビのインタビューに応じ、
『吹奏楽部のみなさん、ありがとう。』
と最後に話した。

初の甲子園出場に導いた≪△△商業高校≫の吹奏楽部は、その後、度々全国ネット
で取り上げられた。

詳細はあまり話されなかったが、ただ吹奏楽部長は笑顔で
『選手が頑張るには、盛り上がった声援が必要です。声援を盛り上げる為には応援団員
 が力強く先導する必要があります。わたし達は、その場の状況に応じ、曲を演奏しま
 した。・・・わたし達も≪野球選手≫になった気持ちでした。』

私は事故で右足を失ってから、≪野球≫は別世界の物だと思った。
でも、
バットを振ったり、ボールを投げたりすることが≪野球≫ではない事
を気づかされた。

そして≪音≫は時として人を助ける事ができると、亡き祖父の過去から
も学んだ。

私は中学生から吹奏楽部に入部し、≪トランペット≫を学んだ。
トランペット奏者としては評価が高くなり、吹奏楽の名門校の推薦もあったが、
それは断り、あの≪△△商業高校≫の吹奏学部に入部した。

祖父と試合を観に行ってから6年目の夏。

≪全国夏の高校野球・富山県大会≫の決勝戦。

照りつける夏の日差しを受けながら、頬に滴る汗を肩からかけたタオルで拭い
演奏を続けた。

私の演奏が、皆の演奏が、そして皆の声援が選手に届いているだろうか?
危うい場面で泣き出す女子生徒がいた。
『次、明るいヤツ頼む!』
『わかった!』
応援団長と吹奏楽部長の掛け声で、曲の流れが変わる。

そして試合の流れも・・・。

だが、

残念ながら、その年も≪△△商業高校≫は甲子園出場にはなれなかった。
あと一歩のところだった。選手達はもちろん、応援していた観客も、あの女生徒も
悔しみで涙をこぼしていた。

選手達が私達の所へ走りより、泣きながら一礼していた。
『バカ野郎!男が大衆の前でなくな!!』
と気合の入った応援団長の声。

でも、その団長が一番泣いていた。

こうして私の甲子園の≪夢≫は叶う事無く終わった。
でも、選手達と一緒に戦えたのが、本当に良い思い出となった。

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『なぁ、今夜コンパあるんやけど行かへん?』
『あぁ〜ごめん、オレ、大事な予定があるんだ。』
『また≪あそこ≫か?・・・ホンマ好きやナァ』
いつものように、私は友人に苦笑される。
社会人になった私は、やはり諦めれきれない『夢』があった。

いや、もう、叶えているのかもしれない。

仕事が終わると≪相棒≫を連れて、いつもの場所へ・・・
『終わったらメールしといてな。≪阪神・巨人≫戦の結果!』
友人の言葉を背に向う場所。

それは『甲子園』!

球団の専属応援団として、今夜も私はトランペットを演奏する。

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