第77回テーマ館「音楽」



ウルトラマン・ナンバーシックス ひふみしごろう [2010/07/11 14:34:34]


かつて、走るマンタロウという男がいた
人生において何も成すべきものを持たず
人生において何か成し遂げたいものも持たない
目的も願望も持ち得なかったそのアホは
唯一、走ることにのみ己の慰めを見出した
しかし、ゆっくりノロノロと一人で何時間も走り続けるその姿
それに何の意味を見出せというのだろう
ひとかけらの価値すら存在しえない不様の極北で
ただただ走り続けるだけという無意味を積み重ねつづけて・・・

────これは、ある失敗した男の話である

     *

走るマンタロウという名こそ冠してはいるが
かといって、男がはじめから走るマンタロウだったかというとそういうこともない
子供の時分において、男は走ることは好きではなかった
いや、嫌いだったといってもいいだろう
運動会のかけっこでは一位など取れるものではなく
学校で催される長距離走の大会に至っては苦痛以外の何ものでもなかった
運動そのものにあまり価値を見出さず
部屋で静かに読書する事に喜びを見出す
そんな子供だったのだ

転機が訪れたのは高校時代
走るマンタロウは柔道部に所属した
毎日毎日
寝技に乱取り
腕立て腹筋の筋トレに
手だけでの綱のぼり
生まれて初めて体を鍛えるということを知った
知り合いの陸上部員に勧められて
走ることも始めた
長い坂道を登ったり降りたりの繰り返し
飽きることなく続けられるその執拗なルーティンワークは
のちの男の片鱗といえなくもない

つづく大学時代
走るマンタロウはボクシング部に所属した
そこにおいては走ることも義務となる
「近くにオススメの場所がある」
同期の部員に教えられたそのルートは
大学近くのコウラサンという名の山の駆け上がり
初めて登ったのは朝の5時頃
足元もよく見えない真っ暗な山の中
舗装されずごつごつとした岩場に足を取られながら
頂上のコウラタイシャを目指す
最後の辺りはろくに足も上がらず
息も絶え絶え
おそらく部活の朝練か、竹刀を持って颯爽と駆け上る高校生らしき集団を見送りながら
己の不様を思い知る
少なくともあれくらいはこなせるようになるまではやめられぬという
思いも新たに

その頃の走るマンタロウにとって
走るとは嫌なことであった
確かに、せねばならぬことではある
しかし、そこに楽しさはない
毎日毎日、はじめるときは嫌だなという思いを抱えながら走り出し
終わるときは、わずかな爽快感を満足にかえて走り終える
より強い体を得るために、より強い負荷を体にかける
走るマンタロウにとって、その繰り返しは
それで当たり前、それ以上でもそれ以下のものでもなかったのだから

     *

社会人になって半年もした頃
走るマンタロウはある事実を思い知る
たかだか7階建てのビルの階段の駆け上がり
それ程とばしたわけでもないのに
それまでの自分ではありえないほどの疲労
たしかに働き始めてからは体を動かすこともなかった
その明らかなまでの衰えに
当たり前のことに気づけないでいた己に愕然とする

あわてて日課にジョギングを取り入れる走るマンタロウ
家の近所の川沿いを
ダッシュで上って
流して下る
その繰り返し
ついでにその川沿いのボクシングジムに入会して
なまくらと成り果てた己の怠惰を払拭せんと
再び体を鍛えなおす
エサカという土地での話だ

それから2年ほどの時が過ぎ
流れ流れて、走るマンタロウはコクラにいる
場所はダイヨンジュウフツウカレンタイ
走ることが仕事の職場である
敷地の外に出るのも許可が必要な
鳥籠めいた生活
休みの日などは
朝食とって洗濯してしまったら
そのまますることがなくなってしまう
仕方がないのでやることといったら体力練成
救いようのないアホの極み
仕事でも走り
休みでも走り
ついに膝が壊れた

陰鬱そうな顔をしながら
ダラダラと滝のような汗をしたたらせ
黙々と前だけを見て走り続けるその姿
それは、どこかキチガイめいた様相を呈してはいなかったか?
走れなくなった走るマンタロウはその職場を後にして上京する

30分も走れば立てなくなるような激痛に見舞われる体でこそあったが
まだ、走るマンタロウは走ることをやめるつもりはなかった
毎日走っていたから膝に負担がかかったのだというのであれば
走ることを三日に一回にするなど頻度を減らせばよい
安物の靴を使ってるから悪いというのであれば
多少値が張ってもメーカー品のそれ専用のものを使いもしよう
走る場所などに関しても、膝のことを考えろというのであれば
なるべく負担のかかりそうなアスファルトは避けるまでだ
上京してカワゴエで暮らしはじめても
走るマンタロウはまだ走り続けるつもりでいた

そうして走る走るマンタロウであったが
ここにきてある変化が見受けられるようになった
歩くような速さでゆっくりと進むそのスタイルは
それまでの彼にはなかったものだ
はじめこそ膝の痛みを堪えながらであったが
半年もすると随分と痛みも引いてきた
夜中だったり、早朝だったり
近所の小学校のグラウンド
狭いそのトラックの中を
ぐるぐるノロノロと走りつづける
手持ち無沙汰にMDプレーヤーを聞きながら走るようになったのも
変化の一つだった
音飛びのひどいそれを抑える為に
なるべく振動を与えないように走るスタイルと成る
そうして1年もたったころ
走るマンタロウは1時間半走り続けても痛みを見せない膝をもって
ようやく常人並みに回復したことを実感した

いつの間にか走るマンタロウの中に
違った姿勢が見え始めていた
ゆっくりと長時間
そこにはかつての自分を追い込むための走りはない
走り終わった後に、まだ余力を残すような
長く続けることを主眼に置いた
気づいたら地力が上がっている
そんな走り
事ここに至り、はじめて走るマンタロウは楽しむために走ることを知る

真っ暗な誰もいない真夜中の運動場
目をつぶってしまいたいような強い欲求に従い
目をつぶり
そのまま倒れこんでしまうかのような力の抜けた
自由気ままなペースで走り続けると
ある瞬間
体が一気に軽くなったような感覚が湧き上がる
衝動に身を任せ
跳ねるような速さで
ぴょんぴょんと駆けながら
抑えようのない笑いが体の奥から噴出する

     *

カワゴエで4年過ごした後
今度は走るマンタロウはキョウトに来ていた
ギンカクジのそばのアパート
ダイモンジの山のふもと
ここで1年、男は宝物のような時間を過ごす
ダイモンジを駆け上り
カモガワ沿いを走り
テツガクノミチを抜け
ヤサカジンジャで折り返す
ヘイアンジングウで手をすすぎ
キョウトエキの長い階段をダッシュして
その頂上で大の字に寝転がり
時にゴショの中の砂利道をゆっくりと周回する
愛用のMDプレーヤーはMP3プレーヤーへと姿をかえ
もう音飛びを心配することもない

そうしてそれから一年後
走るマンタロウは最期の地イズミサノへと来ていた
何も成すべきものを持たず
何かの成し遂げたい目標すらも持たない
なにも生み出せず
なんの価値あることもせず
ただの自己満足しかそこにはなかった
忘れてはならない
これは失敗した男の物語
走り続けられなかった貧弱と
追い込み続けて高みを目指すことをやめた脆弱な男の物語

カンサイコクサイクウコウを向こうに望む
リンクウコウエンのそばの防波堤
その海岸の先の海に飛び出した小道
おだやかな波の音に包まれながら
真っ青な空の青さを仰いで
走るマンタロウは死んだ
人々がその姿に気づいた時
ポケットから伸びたイアホンは
電池がなくなったのかなんの音も出さない

    (おしまい)

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