第53回テーマ館「幻」


さまよえる僕達 ひふみしごろう [2004/06/21 08:22:14]

ありがちと言ってしまえばそれまでなんだけれど、生まれて間もないある時に、僕は生
きるということを考えて怖くなったことがある。どうして自分という存在が生まれたの
か、いつか自分も死ぬ時がくるのか、何のためにこの世に生を受けたのか、そして、自
分は一体何をして生きていきたいのか。幼すぎた僕にはどんなに考えても答えが出てこ
なかったけれど僕にとってその問題は周りのオトナ達が言うほど簡単に答えが出るもの
でもなく、かといってそのうちどうでも良くなってしまうような軽々しいものでもなか
った。
そんな一般的にはどうでもいいようなことにどうしようもなくこだわってしまう僕のそ
の特性はいつまでたっても変化する事はなく、むしろ思いを重ねるにつれてより強く、
より大きく、周りの者達との齟齬を深めていく。

・・・・・それが、僕が『はぐれ』となった所以なのだろうと思う。

     *

「おう、ちびっこ。あいかわらずしけた面してるねぇ。」
ぽかぽかとお日様が照る暖かな昼下がり。のんびりと商店街を歩いていた時ふいに声を
かけられた。ふりかえると一匹の野良猫が僕のことを塀の上から見下ろしている。
「ああ、こんにちはイナセ先輩。」
僕がそう答えるとその野良猫は僕の隣に飛び降りてきた。白い体にどこか煤けたような
模様があるイナセ先輩は僕のことをちびっこと呼ぶわりに彼自身も決して体が大きい方
ではない。
「まぁた、つまんないことをグダグダ考えていたんだろう。」

・・・語らず。
・・・媚びず。
・・・とらわれず。

それがぼくら“はぐれ”の掟だ。
別に誰が言い出したわけでもない。
別に破ったからといってなにかの罰があるわけでもない。
ただ、猫社会の中で生きられなくなった僕たち“はぐれ”にとってその掟は自然と身に
しみ込んでしまっている、習性のようなものだ。自分の居場所がなくなってしまう“は
ぐれ”は、気がつくと生まれ育った土地を抜け出してまだ見ぬ故郷を目指してゆく。そ
してここのテリトリーのように “はぐれ”同士で引き合ってできた集合の中で、なにも
のでもない猫として生きていくことになる。
結局、なにも変わらぬままに・・・・・・

「イナセ先輩こそ何してるんですか。」
「いやぁ、ちょっといい事思いついちゃってね。お前さんも一枚かませてやろうと思っ
て探してたのよ。」
イナセ先輩はそう言ってニャシシシと笑う。
他の猫達はイナセ先輩のことを嫌っているようだけど。僕はこの猫のことをあまり嫌い
ではない。いつも偉そうにしているこの猫が実はケンカもそんなに強くなく、口でいう
ほど社会経験が豊富ではないということも承知しているが(他の猫達にはその“口だ
け”の部分がとても不快らしい。)僕はどうしてもこの猫は憎めないと感じてしまう。
以前そのことについて考えたことがあるけれど、それは多分イナセ先輩が限りなく“ひ
とりぼっち”だからだと思う。口だけ達者で、小心者で、そのくせ何故か偉そうで、逃
げも隠れもするし嘘も平気でつくけれど、この煤け模様の白猫は決して他の猫と群れよ
うとはしない。団体行動をすることはあっても、決してこの猫は基準を自分以上に定め
ることはない。大勢に寄りかかることがない。だから危なくなったらいつも自分ひとり
でスタコラサッサと逃げ出すし、危険を感じたらなんの躊躇いもなく強い者にしっぽを
振るふりをすることもある(心の中ではベロを出しているようだけど)、なりふりかま
わぬその姿は僕にとってまさに“はぐれ”そのもので、本来なら偉そうな奴というのは
僕もとても大嫌いなのだが、“ひとりぼっち”というその特性が、 “孤高のさびしがり
屋”とでもいうようなどこか矛盾した性質をもつこの煤け模様の白猫のことを好ましい
ものとして感じさせていた。

     *

「お前さん、今の生活に満足してるのかい?」
そういってイナセ先輩は僕のことをビシィッと指差してきた。
「なんなんですか、いきなり。」
「前にお前さん俺に言ったことがあるよねぇ。生きることがどーたらこーたら、生きる
目的がどーたらこーたら。」
「ええ、たしかに言いましたけど。」
「だから、今のお前はその答えを見つけたのか?と聞いているんだ。」
「いえ、特に・・・」
「最近のお前は堕落している。毎日毎日だらだらだらだらとこれといってすることもな
くひなたぼっこばかりだ、ここに来た頃のお前さんは違った!!今と同じような貧相な
体つきだったが、それでも目の中にギラギラとなにかただならぬものを感じさせる力が
あった。」
「・・・はぁ、そうですか」
「だいたいお前さん、今日のこれからなにかする予定があるのか?毎日毎日これといっ
た目的もなく、惰眠をむさぼる暮らしに骨の髄まで浸りこんでいるんじゃないか?」
「いや、今日はとりあえずアヤメさんの所にでも行こうかなぁと思っていたんですけ
ど。」
「だぁぁぁ、言うに事欠いてこれだ!!ちょっとばかり見た目がいいだけのメス猫にふ
らふらと騙されて、かつての獲物を喰いちぎるような面影が見る影もない。」
「アヤメさんは悪い猫じゃないですよ。」
「これだからちびっこってのはいけねぇ。女に騙される奴ってのは騙されてる最中には
そのことに気づいていねぇもんなのよ、気づいた時にはすでに騙された後ってね。だい
たいアヤメみたいなタイプは要注意だ、ネズミも殺さねぇような顔をして影でなにやっ
てるかわかったもんじゃねぇ。」
「一体、なんの話をしてるんですか・・・」
「おぉっと、いけねぇ。お前さんがつまんないことを言い始めるもんだから大事な用件
を忘れていた。」
「・・・・・・・・・」
と、僕らがこんな話をしていると一匹の猫が近づいてきた。
「おぅ、クチナシ、よく来たな。」
イナセ先輩が声をかけるとクチナシはこくりとうなずいた。

すらりとした物静かな黒猫。めったに喋らないから“クチ(口)ナシ”。めったに喋ら
ないというけれど僕自身はクチナシが喋っているところなんてこれまで一度も見たこと
がない。いつもなにをするでもなく、物思いにふけるようにみんなの中に佇んでいる。
たしかにクチナシもまた“はぐれ”としての性質を間違いなく具えている。

     *

「“とうげんきょう”を探すのよ。」
「なんですそれ?」
「“とうげんきょう”ってのはな、なんでもこの世の天国と呼ばれている場所なのよ。
幻の都ってぐあいにね、どうよ、なかなかワクワクしてくんだろ?こう、体の中のロマ
ンの狩人の血がぐつぐつと煮えたぎってくんだろ?どっかいっちまいそうだろ?たまん
ねえだろ、ほら!!」
「・・・・・・ロマンの狩人って・・・・」
「お前さんだってどうせここのところなんにもすることなくて暇もて余してんだろ?」
「なんかうさんくさいなぁ」
「いやだね、夢のない男ってのは。どうせすることなくって毎日だらだらやってんだか
ら俺と一緒におもしろそうなもん見に行こうって誘ってやってんじゃねぇか。」
「だいたいそんな場所ほんとにあるんですか?」
「あいたたた!お前さんはどうしてそうなんだ!なんでもかんでもやる前から頭の中で
ぐちぐちぐちぐち、失敗なんてやった後からどうしようって考えればいいんだよ!なに
かをやる前から失敗を考えてどうすんだ!!」
「とんでもない失敗やらかすよりはマシだと思う。」
「だぁぁぁぁ!お前はアメリカの大統領か?核ミサイルのスイッチでも握ってんのか?
お前のやらかす失敗なんてたかがしれてるだろうが!!」
「・・・・・うっ・・・」
「だからイナセって失敗ばっかりしてるんだな。」
・・・・・・クチナシがひとりポツリと呟いた。
あ、クチナシってこんな声してるんだ。

     *

「ふぅん、イナセらしいね。」
僕が一部始終を説明するとアヤメさんはにやにやと笑っていた。
アヤメさんはとても美しいと僕は思う。しかし、そんな彼女でも先程のイナセ先輩との
会話からもわかるように意外に他の猫からの評判は悪い。以前、「どうしてアヤメさん
のような猫が“はぐれ”なんてやってるんですか?」と聞いた時、アヤメさんは肩をす
くめて「それが分かってたら“はぐれ”なんてやってないと思う。」と答えていた。通
常の猫社会に適応出来なくなった猫 “はぐれ”。でも僕はアヤメさんのことがそんなに
嫌いじゃない。彼女は自分の事をあまり多くは語ろうとはしないけれど、それでも、話
をしているといろんなことを聞かせてもらうことができる。その知識はけっこう膨大
で、僕がこれまで知り合ってきた猫達の中でもかなり上位に位置する。とても思慮深い
猫だ。
「それでどうするの?君は。」
イナセ先輩の言おうとしていることは理解できた。たしかになにか目的を持って旅をす
るということは悪いことではない。しかし、僕だってまだ歳若いとはいえ生まれ故郷を
捨ててここまでたどり着いた“はぐれ”、少なくとも世間というものは分かっているつ
もりだ。
ものの考え方というものが違うということは、言葉が通じないということと同義。生ま
れ故郷を捨てた僕ら“はぐれ”にとって、どのような形であれここのようなテリトリー
は唯一言葉を通じ合わせることができるよりどころ。せっかく手に入れたそこを抜け出
して、わざわざ言葉の通じぬ異郷を目指すことにどれほどの価値があるというのか。
「アヤメさんはどうしたらいいと思います?」
「さぁ、君はどうしたいの?」
「正直、ナンセンスだと思います。」
「・・・・でも、迷ってるんでしょう?」
「・・・・・・」
アヤメさんは僕の方を見てにやにやと笑う。
「いいんじゃない、“桃源郷”。・・・・・なんでも、桃の咲き乱れる理想郷らしい
よ。」
「・・・・・・・」
「君の考えていることも分からないでもない。ナンセンスという言葉、価値のある行
動。」
「・・・・・・・・・・」
「それでも、現状を変えたいと願うならば、ナンセンスなことであっても行動を始めな
ければならない。・・・・・・求めよ、さらば与えられんってね。昔の猫も言ってい
る。」
「・・・・・・・・・・」
「たしかに楽じゃないだろう。考え方が違う、言葉が通じないということは思った以上
にやっかいなものだ。まぁ“はぐれ”である君にとっては言うまでもないことだろうと
思うけれど。」
「・・・・・・・・・・」
「それでもやっぱり、“はぐれ”は“はぐれ”、“猫”は“猫”、“君”は“君”。」
「・・・・・・・・・・」
「こだわりたいんだろう?“君”であることに。だから“はぐれ”なんてやってい
る。」
「・・・・・・・・・・」
「どこまでいけるかなんて事は私には分からないけれど、ひとつだけなら分かることは
ある。」
「なんですか?それは。」
「“君”は“君”のままでいい、やれるところまでやってみろ。」
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・そうですね、やれるところまでやってみます。」

     *

「よぅし、これでそろったな。」
そう言うとイナセ先輩は僕とクチナシを見て満足気に頷いた。
次の日、あたりは陽気に包まれて、絶好の散歩日和だった。そのままこの場で丸くなっ
て眠り込んでしまいたい欲求に抗いながら、僕は新しい一歩を踏み出す。
「でも、どうやって行ったらいいのかイナセ先輩は分かってるんですか?」
「なぁに、“東幻京(とうげんきょう)”ってぐらいだから東を目指していけばいいん
じゃねえか?」
「あ、なるほど。」
「・・・・・・・」

     *

こうして僕ら3匹の“はぐれ”の旅は始まった。
この後、思いもしなかった艱難辛苦、喜怒哀楽が待ち受けているんだけど、それはまた
別の話・・・・・・。

          <おわり>


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