第54回テーマ館「〜ごっこ」



鏡に映った私 ひふみしごろう [2004/08/24 08:48:05]


子供の頃から、ふとした瞬間に恐怖に襲われることがありました。
それは、例えば自分の手をじっと見つめる時。
目の前にあるそれは私の意のままに動きますが、しばらくすると不思議な感覚に襲われ
るのです。
“どうしてこの手は動いているのだろう”
“どうして動かし方を自分は知っているのだろう”

そうこうしているうちに“あの瞬間”が訪れます。それはなんといって表現すればよい
のでしょうか、いうなれば、普段は薄い膜に覆われている自分という存在が“あの瞬
間”を境に薄い膜が取り払われてダイレクトに世界に直結しているような感覚。頭の中
でなにかのスイッチが切り替わったようにものの見え方まで変化します、まるで心をむ
きだしの丸裸にされてしまったような。
頭の中で“変だ。変だ。変だ。変だ。”という声が溢れてきます。“見ることができる
のは変だ。触ることができるのは変だ。考えることができるのは変だ。”
おそらくそれは“生”と“死”ということを考えた時に人が感じるものと同種のもので
あるのでしょう。
その場で立っていられなくなるような。
目をそらしたくても何故かそのことに釘付けになってしまうような。

・・・・・それは“恐怖”です。

元に戻るのに2,3分の時間を要しますが、しばらくすると気分も落ち着いて何事も無か
ったようにいつもの日常が帰ってきます。また次の“瞬間”に襲われるその時まで。
子供の頃から何遍も繰り返されてきたことですが、どうしてなのかいまだに慣れること
ができません。

おそらくあなたにはこの事は理解できないでしょう。
私自身昔から何遍となくこの恐怖感のことを他人に説明してきたのですが、私の説明が
悪いのか、それとも、この感覚は私独自のものなのか、いまだにこのことに共感を示し
た人間はいません。それにこの感覚について一般的にカテゴライズされた言葉がないこ
とから鑑みても、おそらくこの恐怖感は私だけが味わっているものだろうということが
考えられます。

最近、この症状がひどくなってきました。以前なら2,3分で元に戻ったのにこの頃では
10分近くこの感覚が続く時があります。しかも普段なんでもないときでも慢性的に心の
片隅でこの恐怖感を感じることができるような感じもしたりして。
それは、夜一人でネットを巡回しているときであったり。
それは、夜ふと目覚めた瞬間であったり。
どうしても目に映る自分の腕。呼吸するかすかな音。体のどこかが軋(きし)む感じ。
とめどなく溢れてくる思考。
“生きている”ということを実感させるすべての事柄が。

・・・・・私に恐怖をもたらすのです。

     *

「信じられないな・・・」
目の前の女性はそう言うとグラスを掴んで一気にあおった。
「これを彼女が書いたって言うの?」
そして手元の本を私に向かってゆっくりと差し出す。
「たしかです。」
「しかし、随分、らしくないというか、なんというか・・・あの娘はこんなのを書くよ
うな娘ではなかったと思うけど・・・」
「・・・そうですか。」
「それで、・・・ええと、佐藤さんだったっけ、あなた、こんなものを私に見せて一体
どういうつもりなの。」
女は、どこか油断ならない目つきをして、じろりと私のことを覗き込んできた。
「別に・・・ただ、彼女があなたのところでバイトしていた時期があったと聞いたか
ら、あなたなら彼女のことについてなにか知ってるんじゃないかと思っただけです。」

     *

1ヶ月ほど前、ひとりの男が私の前に現れた。
加賀見志保子がいなくなったと言うその男は、私に対していくつかの質問をし、そし
て、私の答えを聞くとゆっくりと頷いて、来た時と同じように静かに去っていった。
当初、その出来事は私にとって日常のひとコマに過ぎなかった。以前少しだけ関わった
ことのある一人の女。加賀見志保子。印象に残る人物であったことは確かだが、かとい
って行方不明になったからどうこうと、それほど深くつきあっていたわけでもなかっ
た。
それでも、今私はこうして加賀見志保子を探し始めている。

・・・なにか分からない衝動に突き動かされて、なにかよく分からないものが動き出そ
うとしていた・・・・

     *

・・・きっかけはほんの気まぐれだった。

その頃とくに仕事を持っていなかった私は、何をするでもなく街のなかを散歩すること
が多かった。
あたたかな陽気の中、やわらかな陽射しが降り注ぐ公園の緑を浴びながらゆっくりとあ
てもなく散策するのは格別で、私は飽きることなく毎日毎日、気の向くままに歩き続け
た。
そんな中見つけたある小さな美術館。
街の中心から少し外れたところにある小さな山の中腹。レンガの小道の先にきれいに整
えられた木々に囲まれてその独特の雰囲気を持つ洋館はあった。
入場料が200円と安いこともあって、たまの気晴らしのつもりで私は気まぐれにその古め
かしい建物の中に足を踏み入れる。
元来私は芸術というものを理解している人間ではない。学生のころに美術の授業などで
見せられた先人達の作品を見ても、“上手だなぁ”と思うくらいで特にこれといった感
動を感じたこともない、その美術館についてもたんに気晴らしというか、いつもとは違
う趣を求めて、それっぽい雰囲気を味わうだけのつもりで特になんの期待もしていなか
った。
事実、その美術館のなかに収められていたいくつかの絵画も私に対しそれ程多くの感慨
を与えるものではなかった。それでも、その古びた洋館の持つ、静かで独特な匂いを楽
しみながらゆっくりと足を進め・・・

私はそれを見つけた。

照明を軽く落とした薄暗い部屋の中、スポットライトに照らされたように数々のガラス
細工の作品が浮かび上がる。しかし、私の目はその一角に展示されたひとつの作品に釘
付けとなった。
両手で包んでしまうことができそうな小ぶりのグラス。白い光は透きとおるような青い
それを通ることによって青い光と変化してグラスを包み、表面に細工された精緻な模様
を際立たせ、屈折した光は薄暗いその部屋の中でくっきりと小さな青いゆらめきを浮か
び上がらせる。
一目惚れといっても過言ではなかったと思う。私はその展示物を一目見た瞬間、芸術と
か、美術とか、そういったものを感じることとは別の次元で心奪われてしまっていた。

一体どれくらいの時間そうしていたのだろう。私は飽きることなく食い入るようにその
グラスを見つめていた。ただ、「随分熱心に眺めているんですね。」とかけられた声に
驚いて顔を上げた時、青白い光のなかにボーっと浮かび上がった女性は、人とは思えぬ
ような神秘的なオーラに包まれていた。

・・・・それが加賀見志保子だった。

     *

「彼女ってびっくりする位美人だったからね。初めて見たときには私も口あんぐりあけ
て見惚れちまったよ。」
そういって目の前の女性はグラスに手酌でウイスキーを注ぐと、今度はゆっくりと味を
楽しむように口に含んだ。
「明らかに格が違ったからね。あそこまでの美人は仕事柄それなりにたくさんの綺麗ど
ころの人間というものを見てきた私にとっても見たことがないような、いっとうの美人
だった。」
そういって何かを思い出したようにかすかに口の端を上げてにやりと笑い、先程私の方
に差し出した一冊の本を再び手にすると表紙を眺める。
「各務志穂・・・なるほど、本名をもじってあるんだね、このペンネーム。しかし、こ
の内容はなんなんだい、さわりを読んだだけだけど、・・・なんていうか、随分、根暗
な感じがするねぇ。」
「彼女のイメージとはあいませんか?」
「・・・う〜ん、改めて言われてみるとそういった部分もあったかもしれないと思える
けど・・・・私にとって彼女は、見た目はああでも、中身は能天気な娘だなって思って
いたからねぇ。」
そういって、手にした本をペラペラと音を立ててめくる。

     *

この1ヶ月、加賀見志保子の足跡を追ってきて気づいたことがあった。それは彼女という
人間の他人に与える印象があまりにも人によって違いがあるということだ。ある男は彼
女のことを明るくて表情豊かな心のやさしい女性といい、ある女は彼女のことを根暗で
無表情な幽霊のような女と言った。それは一人の独立した人格というものを語るにして
はあまりに異常だ。この1ヶ月結構な数の加賀見志保子を知る人達と会ったが、老若男
女関係なく、加賀見志保子という女は千差万別、様々な顔を使い分けていた。彼女とい
う人間を多少なりとも知っているつもりだった私にとって、それは十分に予想できるこ
とであったが、しかし、実際事実を目の前にしても、その徹底ぶりは、ただむなしく哀
れなだけだった。

     *

「上手な嘘をつく方法って知ってる?」
喫茶店で二人でくつろいでいると、ふいに志保子が私にむかってそんな質問を投げかけ
てきた。美しいその顔にどこかいたずら好きっぽい微笑みを浮かべている。
「ん?確か嘘の中にホントのことを少し混ぜるんだったっけ?」
美術館ではじめて会った時からすでに2週間の時が流れている。
加賀見志保子と名乗るその女性と私は不思議な位ウマが合った。現在特に仕事を持って
いないという志保子とちょくちょくこうして同じ時間を過ごすのが今の私の日課になっ
ている。
一緒に公園を散歩したり、図書館で読書をしたり、喫茶店でお茶を楽しんだり、二人で
過ごすその時間は、最近ひとりで過ごすことの多かった私にとって非常にいい気分転換
となった。
実際、志保子は不思議な人間だった。特に話をするでもなく、ボーっと池を眺めている
時などでも会話がなくてむっつりと黙り込んでしまってもまったく苦にならない。かと
いって会話などを始めるとまるで予定調和とでもいうように、穏やかでやすらぎを感じ
る空間ができあがる。人と人との距離のとり方が絶妙にうまい奴だな、と私は常に志保
子に対して感じていた。
「ああ、それってよく聞くよね。でも誰が言いだしっぺなんだろう、そんないい加減な
事。」
「ん?どういうこと?」
「嘘を上手につくのに本当のことなんて必要ない。上手に嘘をつきたかったら、相手の
望んでいることを含んだ嘘をついてあげればいい。」
「????」
「人間なんて自分の望んだことしか信じようとはしない。だから、嘘の中に相手の望ん
でいることを混ぜてやると人は簡単にその嘘を信じてしまう。真実なんてひとかけらも
含まなかったとしても。」
そういって志保子は微かに笑った。そしてその時、その笑いのなかに私は初めてなにか
歪なものを見たような気がした。

     *

「ま、ニンゲン見た目じゃわかんないって事なんだろうねぇ。明るくて能天気なだけの
ただの世間知らずの娘だって思ってたけど。うん、意外、意外。」
手にした本に目をやり、ペラペラとめくりながら目の前の女性はグラスを口に運ぶ。ず
いぶんピッチが上がってきたみたいだ。
「志保子がいなくなったことについて・・・」
私が口を開くと、ゆっくりこちらに視線をむける、気のせいか最初の頃の警戒心は薄れ
てきているように思える。
「志保子がいなくなったことについて、なにか思い当たることはありませんか?」
しかし、やわらかく微笑んだ女性は私の質問に答えることはなく、まったく別の言葉を
口にした。
「佐藤・・・何ちゃんだったっけ?」
「・・・壱子です。」
「だははは、砂糖に苺か。ずいぶん甘くてかわいらしい名前だね。けっこうハンサムな
のに。」
その言葉に私が軽く顔をしかめると、笑いながら手をパタパタ振ってくる。
「悪い悪い。女の子にハンサムってのはなかったね。でもね壱ちゃん・・・壱ちゃんて
呼んでもいいよね・・・うんうん、壱ちゃん。悪いけど私は力になれそうにないねぇ、
私はただ志保ちゃんを雇っていただけで、正直彼女のことは何も知らないようなもんだ
しね。」
「オトナの慧眼ってやつでわかりませんか?」
甘い名前という言葉に気分を害した私は軽く皮肉をとばす。
「はははは、勘違いしちゃいけない。大人だろうが子供だろうが他人の腹の中ってのは
分かりっこないねえ。むしろ歳をとればとるほど他人のことなんか分からないってこと
が分かっていくだけさね。だいたい壱ちゃん、なんでまたあんたは私のところに来よう
なんて思ったの?」
「別にあなたを特別に訪ねたというわけではありません。ただ、志保子に関わった人物
を片っ端からあたっているだけです。」
「なら、あんたのほうが私なんかよりよっぽど詳しいだろうね。・・・どれ、ちょいと
興味が湧いてきた。あんたが調べたことを話してみない?一人で考えるより二人、三人
寄れば文殊の知恵ってね、二人しかいないけど。だいたい壱ちゃん、あんたなんで志保
ちゃんのこと探してんの?」
「・・・・私の?・・・・理由?」

     *

志保子のことを調べるうちに分かったことがもうひとつある。それは彼女が様々なもの
に手を出しているということだ、職業においても、プライヴェートにおいても。
善悪も思想も関係なく、世の中すべての事柄を余すことなく経験してやろうかというそ
の姿勢は、彼女の対人関係の築き方と相まって、一人の人間というよりも、複数の人間
が“加賀見志保子”という人間を演じているという印象をうける、しかし、それはどれ
も本物ではない。たくさんのものはあるけれど、たしかなものはひとつとしてない、ま
るで“加賀見志保子ごっこ”をしているとでもいうような。はたして、志保子はあの美
しい笑顔の裏にいったいどれくらいの顔を隠していたのだろう。そして、そんな志保子
をすごいと感じる以前に哀れと感じてしまうのは私の思い違いなのだろうか?

     *

「ちょっとすみません。」
志保子とふたりで美術館の入り口にたどり着いた時、ひとりの男が声をかけて来た、
「少し伺いたいんですが。」と言いながら懐から手帳らしいものを取り出してこちらに
かざす。生まれて初めて見る警察手帳というものに私は少し緊張した。
「この美術館にはよくいらっしゃるんですか?」
改めて見てみると刑事というにはどこか頼りない感じの男だった。「別に・・・」と私
が答えると頭をかきながら写真を取り出す。
「この人物に心当たりはありませんか?」
写真に写っていたのは見たこともない男だった。ひょろりとしたやせっぽっちの男が、
バイクによりかかってどこかはにかんだ様な笑顔を浮かべている。
「なにかあったんですか?」
志保子がそう尋ねると刑事は軽く緊張したような顔をした。無理もない、誰だっていき
なり志保子に目の前に現れられたら驚くだろう。だが、答えを聞くまでもなく、私には
その刑事の答えが分かるような気がした。
「実は、盗難がありましてね。この美術館の展示品のひとつが盗まれたんですよ。青く
て小さなこれくらいのコップのようなものなんですがね。」
やっぱり。私は心の中で呟いた。
「ま、現場に『怪盗20メンソーレ』なんていうふざけたカードを置いていってまして
ね。」
「じゃあ、この人がその『怪盗20メンソーレ』なんですか?」
志保子は写真の男を指差す。
「いや、まだそうと決まったわけではないんですがね。」
「ねぇ、壱子さん見てみて、なんかとぼけた感じの人。」
そう言って志保子は笑いながら写真を差し出した。

     *

結局その日はそのまま帰ることにした。あの青いグラスが無くなった美術館にはなんの
用事もなかったからだ。私達は行きつけの喫茶店に入りいつもの席に腰をおろしていつ
ものように各々の注文をする。私はいつものコーヒー、志保子はいつものレモンティ
ー。その頃には私達二人はその店の常連といっても過言ではなく店の方も心得たものだ
った。

     *

「ねぇ、壱子さんて将来なりたいものってある?」
志保子は時々こんなふうにして突然脈絡もないことを喋りだす時があった。その頃の私
にはそんな彼女にも慣れっこだったので、コーヒーを啜りながらゆっくりと考える。
「・・・うん・・・・・特にないな・・・・」
「・・・・なんにも?」
「うん、なんにも。」
私の答えを聞くと志保子は軽く口を尖らせる。
「つまんないなぁ。」
「じゃあ、志保子さんは将来何になりたいの?」
そんな私の質問に彼女は微かに戸惑ったような表情をするが、すぐにいつもの笑顔を浮
かべ「・・・探偵」と呟く。
それを聞いた瞬間、思わず私はコーヒーを吹いてしまった。いくらなんでも志保子にハ
ードボイルドは似合わない。
「・・・というか、名探偵になりたい。」
自信たっぷりにきっぱりと言い放つ。
私はテーブルの上にこぼれたコーヒーを拭きながら。名探偵と呼ばれる志保子を想像す
るが、やはりピンとこない。
「・・・え〜と、名探偵っていうとキンダイチとかアケチとか?」
「うん、御手洗潔とか伊集院大介とか。」
「・・・・・・なんでまたそんなものに・・・・」
彼女は私のつぶやきにしばらく考えこむが、しばらくして意を決したように顔を上げ
る。
「壱子さんは世の中のすべてのことを知りたいと思ったりしない?」
「?・・・一体どういう・・・・」
「世界の表であること、裏であること、すべての事柄を自分の目の届くところに収めて
みたいと考えたりしない?」
「????」
「世界のすべてに対し聡明であり、中立であり、これって己の力のみを頼りに、己のみ
で世界に対峙する名探偵にぴったりだと思わない?」
「・・・う〜ん・・・」
「そう、だから私は名探偵になりたい。世の中の表も裏も、すべてを知るために、そし
て・・・」
「でも、それってどうなんだろう。」
私がぽつりと呟いた言葉に志保子は喋るのを止める。
「名探偵っていったらあれだよね。推理小説なんかで偉そうにでしゃばって、ああでも
ないこうでもないと偉そうにのたまう。事件の専門家である警察を小馬鹿にして、なん
の資格もないのに当事者達の気持ちもかえりみずに自分の自己満足の為に嘴をつっこ
む。私は志保子さんにはそんな“探偵ごっこ”のような恥知らずな真似はしてほしくな
いなぁ。」
私がそういって彼女を見ると、そこにはいつもの美しい笑顔があった。しかし、ととの
った笑顔はそのままに、ゆっくりと艶やかな唇から紡がれる言葉。

「・・・『怪盗20メンソーレ』には言われたくないなぁ。」

     *

「・・・・私の?・・・・理由?」
「そうよ、壱ちゃんはどうして志保ちゃんのことを探してるの?そこまで親しかったわ
けでもないんでしょう?」

たしかにもうあれから2年以上の時が過ぎていた。あの日、喫茶店で言葉を交わしたのを
最後に私達は一度も顔をあわせていない。私にとって加賀見志保子はすでに過去の人
だ、志保子にとっての私もおそらく。
・・・・それでも1ヶ月前、あの男が私のもとを訪れて志保子の失踪を告げた後、私は彼
女を探し始めた。それこそ、あの日に私自身が恥知らずといった“探偵ごっこ”そのま
まに・・・・

私は一体なにを求めているのか。
『怪盗20メンソーレ』である私が名探偵である彼女を求めてもワトソンになれるはずが
ない。それとも明智小五郎にとっての『怪人20面相』や、シャーロック=ホームズに
とっての『ジェイムズ=モリアーティ』のように私は彼女に引き寄せられているんだろ
うか・・・・

「私は・・・・」
「・・・・?」
「私はこの1ヶ月間彼女のことを調べてきました。」
「・・・・・・」
「彼女の人生は明らかに歪です。一個の人間としてあまりに統一されていなさすぎる。
そう、歪なんですよ。中途半端な粗製品が乱立して、どこにもたしかなものがひとつも
ない。本当の彼女が見えなくなってしまっているんです。」
「・・・・・・」
「それでも彼女は私に言った、名探偵になりたいと。ひょっとするとそれは数多くの彼
女の嘘のなかのひとつなのかもしれない、ひょっとするとそれは彼女の中の唯一の真実
なのかもしれない。ほんとのところは私にはわかりません。」
「・・・・・・」
「そう、私には分からない。私は名探偵なんかじゃないから。それでも、もう一度彼女
にあってそのことを確かめてみたい。本当の彼女ってやつを。」
「・・・・・・」
「思い違いであれ、余計なお世話であれ・・・・それが私の理由です。」

     *

「いつ気付いた?」
私がそう言うと、志保子は変わらぬ笑顔のままゆっくりとレモンティーを口に含む。
「・・・というか、いちばん初めから。」
「初め?」
「いちばん初めに会った時から、私にはあなたがどういう人なのかということがわかっ
ていた。」
「・・・馬鹿な・・・初対面の相手のことがわかるなんて・・・・」
「名探偵ですから。」
「・・・な!?」
「私にはわかってしまう。それこそ太陽が東から昇るのと同じように当たり前のできご
ととして。」
「・・・・・・・?」
「そう、だから誰にも理解してもらえない私は嫌でも嘘をつかざるを得なくなる。いつ
か言ったよね。人間は自分の信じたいものしか信じない。」
「・・・・・・・」
「大丈夫だよ、誰にも言わない。私はあなたが好きだから。」
そういってレモンティーを飲み終えた志保子はゆっくりと席を立った。

「さようなら、壱子さん。短い間だったけど、けっこう楽しかった。」

     *

「余計なお世話・・・ね。ま、いいんじゃないか。」
目の前の女性はグラスに残った最後の一口を一気にあおる。
「ダチを探すのに、あ〜だこ〜だ理由をつけるってのもナンセンスってもんさね。」
「・・・ダチ?」
「そういうもんだろ、『怪盗20メンソーレ』?」
そういって私にウインクを寄越す。
「!?・・・どうしてそれを!!」
あわてる私に対し、彼女はニヤニヤと笑っている。
「前に志保ちゃんが言ってたんだよ、かわいい名前のおもしろい友達がいるってね。」
「・・・誰にも言わないっていったのに・・・・」
「だはははは、名探偵のいうことを信じちゃいけない。名探偵ってな嘘つきなものって
昔から相場が決まってるんだ。」
「・・・・・・・・」
「・・・・・見つけてやりな、嘘でも本当でも、ダチなんだろ?」

「・・・・・・・そうですね。」

・・・・こうして私は加賀見志保子を中心として渦を巻く大きな流れの中に足を踏み入
れることとなった。

                <おわり>


戻る