第54回テーマ館「〜ごっこ」



人形師 ZAX [2004/09/11 08:31:46]


 「して、何を御創りになられたいのですか?」
 低いが、凛とした声の主が言った。白髪がかった短い髪、黒い縁の眼鏡、頬に刻まれ
た薄い皺、そして何よりも、濃い緑色の着物が彼の異様な風貌を物語っていた。
 場所はこれまた古い家屋のような建物の土間である。
 中央には囲炉裏があり、これもしっかり火が入っている。室内の明かりは、極力抑え
気味の光を放つ電灯である。四方を障子紙で囲われた四角い電灯だ。
 「はい・・・・。妻を、別れた妻を作って欲しいのです」
 そしてこれまたもう一人の男、久住雄介はその空間では異様な存在に見えた。
 サラリーマンなのか、スーツ姿の容姿である。端正な顔立ちはまだ若さを感じさせる
が、表情は重たく、実年齢より倍は老け込んで見えた。
 「なるほど。奥さんですか。して、写真はお持ちですか?」
 「はい」
 着物姿の男は静かに切り出した。応じたサラリーマンは内ポケットから一枚の写真を
取り出した。
 縦長の写真の中に、一人の女性が写っていた。
 どこかの海だろうか。背景に水平線が写っている。その手前に写るのは、白いワンピ
ースを着たやや長身の女性である。肩まで伸びた黒髪。そこには、彼女の永遠の笑顔が
焼きついている。両手は恥らうように体の前方で交差して組み合わされていた。
 「少し昔の写真ですが、問題はございませんか?」
 「構いません」
 男は事も無げにそう呟いた。
 「なるほど・・・・。オーラを感じますね」
 「オーラ・・ですか?」
 雄介は確認するように視線を男に合わせようとしたが上手く行かなかった。どこを見
ているのか。焦点が合わない視線を、男は持ち合わせていた。
 「私の仕事は、記憶を具現化する作業です。従って、オーラは強いほうがいいので
す。ただ、この場合のオーラとは、その当時の貴方の奥様に対する気持ちの強さを意味
します」
 「その当時の・・・・ですか?」
 「左様」
 淡々とした問答は尚も続いた。
 「この写真から私は、当時の貴方の気持ちを恐らくは貴方以上に読み取ることができ
ます。気持ちだけではありません。その写真を撮った日に何をしたのか。そこまで私は
見通せます」
 「なんと」
 それは雄介の正直な感想だった。
 これが噂に聞く、一世堂乱麻の記憶透視なのか。
 一世堂乱麻。別名「人形師」。
 「同時に、今の貴方のオーラをも読み取れます」
 「それは、妻への愛着と理解してよろしいのですね?」
 「はい。貴方は今、奥様への悔恨の念で一杯ですね。それ自体は負のオーラではあり
ますが決して後ろ向きなものではない。むしろ、大切なのは現在に残存する愛着、い
え、執着と呼んだほうが適切かもしれません。兎に角、そのような残留思念こそが、直
接、出来栄えにも影響致しますので」
 乱麻は、ここで間違え欲しくないのですがと断わり、続けた。
 「品物はもちろん、私の力量に左右されるものでもありますが、半分は依頼人の方に
も委ねられているのです。つまり、先ほども申した様に、依頼人の方の執着が重要な要
素となっているのです」
 「なるほど」
 「そしてもう一つ。大事なのは生み出されたそれにあらず。その先です」
 「先・・ですか」
 「私の仕事のもう一つの側面、それは再現性です。そこに何を見出すのか。それは貴
方次第ということになります」
 「分かりました」
 「では、納期は今から一週間を頂きたい」
 「分かりました」

 それから、一週間の後、雄介は再び、乱麻の元を訪れた。
 乱麻の「店」の土間は、一週間前となんら変わりを見せていないように見える。囲炉
裏の側に正座で座って茶を沸かす乱麻の姿も、差し出された茶の味も、そして自分が座
った位置さえも、何もかも一週間前と同じに思えてきた。だが、人間の記憶というもの
は非常に曖昧なのである。乱麻はその記憶を寸分たがわず読み解き、再現するという。
果たして・・・。
 乱麻の場合、料金は商品を受け取った後、一週間後に払えば良いことになっている。
おかしな条件だと、雄介は首を捻った。そのあたりの細かな説明はこれからなされるの
だろう。彼は大して気にもしていなかった。
 「よろしくお願いします」
 軽く頭を下げた雄介を一瞥してから、すっと、乱麻は立ち上がると、背後の襖を開い
た。
 そこにあったのは、棺おけである。そして青白い光が満たす、土間のある建物からは
想像もできない、無機質なコンクリートの部屋だった。
 ドライアイスなのか、棺の中から白い煙がこんこんと溢れ出す。
 「こちらへ、おいでください」
 「分かりました」
 返事をして、移動する間にも、雄介の視線は棺おけに釘付けのままだった。
 だが、ドライアイスの量は意外に多いようで、少し覗いただけでは中に何が入ってい
るのか分からない。乱麻は乱麻で、棺の中身には無頓着らしく、見てもおらず、相変わ
らず、どこを見ているのか分からない視線をそこ彼処へ投げていた。
 「・・・・・この中に?」
 「左様」
 機械的に頷いた乱麻を尻目に、雄介は棺の縁に手をかけた。震えていた。
 そして覗き込む。
 「・・・・・おおお」
 感嘆の声がすぐに漏れた。
 棺おけの中で妻は、香苗は眠っていた。静かに、何者にも囚われることなく。
 その目が開いた。
 「おおお・・・。気がついたのか」
 目が開いているとは言え、香苗は依然として、まどろみの中にあるようだった。そし
て一言。
 「・・・・あな・・た?」
 「そうだよ、香苗」
 雄介はすがりつくように両手を棺の中に差し入れて香苗の身体に触れた。
 冷たい。ずっとドライアイスの中に居たのだ。無理も無い。
 「早く・・家に帰りたいわ。ここは、とても寒いから」
 「分かったよ。帰ろう」
 香苗はゆっくりと上体を起こした。その身体は、白いワンピースを纏っていた。
 「乱麻さん。ありがとう。本当に、ありがとうございます」
 「料金は一週間後で結構です」
 幾度と無く頭を下げる雄介に対して乱麻は落ち着いたものだった。
 棺おけの中から出た香苗の身長は、雄介より少し高い。彼女は写真通り、背の高い女
性だった。
 「帰ろう」
 と、決意を込めて雄介は言ってから、店を出る前にもう一度乱麻を振り向いて彼は会
釈した。
 「この写真は焼き捨てなければな」
 一人残された店の中、乱麻は静かに呟いた。
 「料金は、今回は受け取れまい」
 そう言いながら彼は、雄介から預かった写真を囲炉裏へ放った。少しずつ、少しず
つ、オレンジの炎が写真を包み、飲み込んだ。



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