『テーマ館』 第28回テーマ「森/海」


父と母と 投稿者:とむ  投稿日:08月01日(日)17時03分39秒


      気がついたら、僕はぷかぷかと浮かんでいた。
      ここはどこだろう?
      僕は誰だろう?
      ………ああ、そうか。思い出した。
      僕はブナの木だったんだ。


      僕が意識を持った時、一人の人間がそばに居た。
      灰色の服を着たその人間は大きかった。僕はその時、まだほんの小さな苗木
      だったから。
      無口な彼はここに来て、ひと通り僕らを眺めては帰っていった。
      ごくたまに僕らに付いた害虫の駆除なんかもしてくれた。
      彼は僕ら樹木をとても大切にしてくれた。
      僕らはそんな彼が好きだった。
      毎日のように彼はこのブナの森を訪れた。もちろん僕らはいつも大歓迎だった。
      そんな日がしばらく続いた。


      風が強く吹き付けてくる日だった。
      彼はいつもより早く僕らに会いにきた。
      僕らが風で倒れていないかどうか、彼は様子を見にきたのだ。
      風の勢いは増すばかりだった。雨も少し混じってきた。
      彼はひどく顔をしかめていた。その顔に雨風が否応なく当たっていた。
      その頃までに僕は成長していた。もう背丈は彼の頭を越えていた。
      あんなに大きかった彼がすごく小さく見えた。
      僕は知っていた。
      それは僕が大きくなったからだけじゃない。
      人間の寿命は僕らに比べるとはるかに短いのだそうだ。
      森の西の外れに生えている物知りの大ブナがそう言っていた。
      僕らにとって「しばらく」とは、彼にとって大変な年月だったようだ。
      雨も風も激しくなってきた。
      僕の目の前に彼が立った。
      彼は僕を見上げてこう言った。
      「がんばれよ」
      彼の声を聞いた、最初で最後のことだった。


      もう彼に会えないのかなぁ。
      僕はまだ漂っていた。
      どうやら僕はあの雨で倒れ、川に流されてしまったに違いない。
      でも僕が知っている川とは何か様子が違っていた。
      周囲には何もない。ただ白い空しか見えない。
      でも何だか懐かしい匂いがする。
      こうやって浮いていると、僕は昔からこうやっていたのではないか、という
      錯覚に陥る。
      そうか………これが海なのか………
      いつだったか、あの物知りの大ブナが言っていた。


      「人は我らの父じゃ」
      「どうして?」
      「彼をごらんよ。ああやって我らをいつも見守ってくれている。彼の父も、
      そのまた父も我らをずっと見守ってくれていたのだ」
      「ふ〜ん………じゃあ母さんは?」
      「そうじゃな、我らの母は海じゃな」
      「ウミ?」
      「そう、母は我らに雨という形で水を与え、育んでくれているのじゃ」
      「そうかぁ。そのおかげで僕らは生きていられるんだね」
      「そうじゃよ」


      ここは気持ちが良い。そして心地よい。
      僕は帰って来ただけなのかもしれない。
      こうしていよう。
      母に叱られるまで、ずっとこうしていよう。

               (了)