『テーマ館』 第28回テーマ「森/海」


樹海連想……木曾の山から 投稿者:いー・あーる  投稿日:08月17日(火)23時47分19秒


       樹海という言葉は、中から見ても当てはまるんだな、と。
       変な話だが、それが最初に思ったことだった。

       木曾の檜の森林は、何故これが天然のものなのだろう、と
      疑いたくなるほどに均一で。
       それこそ規則正しく打ち寄せる波に似て、鋭角を歳の分だ
      け和らげた三角が斜面一つをまるまる埋め尽くしている。
       広葉樹の淡い緑がぽつりぽつり、と、散見してはいるもの
      の、打ち寄せる檜の樹冠のリズムを狂わせるほどではない。
       異様な……けれども、見事な森林。

      「どれ、一度は笹漕ぎしてもらいましょうか」
       長らく森林の中を歩いてきたのだろう、その人は、にこに
      ことそう言うと、まず率先して森林の中へと入っていった。
      その後に続い……ていたのは、ほんの暫らくの間。あっとい
      う間に相手の姿は視界から消え、かき分けられた筈の笹は、
      そんな気配も無く、びっしりと道を閉ざしている。それなり
      に必死でついていった私は、胸から顔にかけて一面笹にひっ
      かかれ、突き刺された。
      「どこまで、行きますか?」
      「ああ、下の沢まで行きますよ」
       上を見れば、確かに赤く湿った色合いの太い幹が空を分断
      している。触れればやはりしっとりとした手触りがある。
       ざくざくと、笹の音が下へと移動するのに、慌ててこちら
      もついていった。

       その間……実は、10分程度だったろう。
       沢に下り、硝子を思わせる滑らかさで流れてゆく水に手を
      突っ込んで、一息ついてから、私は上を見上げた。

       遠い。

       そう、思った。

       視線の先25mの向こうで、揺れる樹冠。
       天然のステンドグラス……いや、この色の無い、どこか音
      をも吸いこむような、しんとした光景は。
       海の底から海面を望むのに、何か少し似ているようで。

       樹海の底から、とおくとおく、眺める。
       風に揺れる笹の音も、うるさいほどに鳴いていた蝉の声も、
      すう、と吸いこまれるように、静かな光景を。



      「どれ、戻りますよ」

       ふい、と。
       足の下に地面が戻ってくる。
       さりさりと、乾いた音が耳につく。

      「……綺麗な森ですね」
      「そうでしょう」
       やはり、にこにこと笑って、相手はそう言った。
      「これがね、日本の三大美林の一つなんですよ」
      「……そうでしょうね」

       とぷり、と、不意に一面が緩やかな光を含んだ。
       薄く日差しを遮っていた雲が、動いたらしかった。
       やはり…………海の底に似ていた。

      「じゃあ、戻りましょう」
      「はい」

       ざわざわと鳴る笹の音を片耳で追いながら、最後にもう一
      度だけ上を振り仰いだ。
       やはり、しんと遠いところに樹冠があった。
       ほんの時折、風にさらさらと揺れた。
       

       そして。
       一つ溜息をついて。
       
       私は日常へと戻ることにした。