『テーマ館』 第28回テーマ「森/海」


青春問題作「潮騒は遥か遠く」 投稿者:ノア  投稿日:08月24日(火)07時09分51秒


            「ジュン、もう出掛けるぞ」
            「あ、待って。今着替えるから」
            「遅いぞ、まったく…化粧はもう終わったのか?」
            「うん」
            「着替えてからの方が良かったんじゃないのか?こないだみたく服に口紅が
            つくかもしれない」
            「だってぇ、その時の気分で口紅決めて、それに合わせて服選んだ方が
            いいんだもん」
            「…早くな」
            「はーい」

            ぱたぱた、とスリッパの音が去って行く。鼻歌が聞こえる。
            今日は久しぶりのデートだし、目一杯のおしゃれをしようというのだろう。
            久しぶりにジュンの笑顔を見た気がする。映画は始まってしまうかもしれな
            いけど、それを引き換えにしても嬉しそうなジュンを見れるのは大切なこと
            だった。

            「お待たせー」

            軽く30分は経っただろうか。
            ジュンは肘の辺りまである細身のシャツに膝丈のタイトスカートを穿いてきた。

            「似合う?」

            目の前でくるりと回るジュンに笑顔を向ける。
            まったく癖の無いさらさらのストレートの髪が軽やかに揺れる。

            「かわいいよ」

            やった、と腕にしがみついてくる。俺はほっぺたに軽くキスをして、玄関へと
            促した。

             セミが鳴いている。玄関先のアスファルトには陽炎が立っている。
            空気が揺らめく。汗がにじむ。 
             夏。まだ午前中だというのに、すでに気温は30度を超えていた。
            日本の夏は湿度が高い。すぐ汗を掻き始める。今までクーラーの効いた部屋に
            いたので、余計に不快さを感じた。
            「うわ、あつーい」
            そう言いながらも俺の左腕に両手を絡めてくるジュン。無意識なのは分かって
            いる。汗が混じってちょっとやだな、と思ったが、そのキラキラとした目を見
            たら何も言えなかった。
             ジュンは横に並ぶと俺と同じくらい身長があった。二人とも170センチく
            らい。ジュンはそれを意識して、あまりヒールの高い靴は履かない。
            「ねえ、ツヨシ?」
            「なんだ」
            「もう、映画始まっちゃってるよね?」
            「ああ、そうだろうね」
            「怒ってる?」
            「別に」
            「よかったあ」
            「映画が始まるのも、俺が怒らないのも、みんなジュンの予定通りだろ?」
            「ひどーい」
            「あはは。今日はどうする?」
            「うーんと、今日はねぇ。渋谷行きたいんだ」
            「ふーん」
            「友達にいいお店教えてもらったの」
            「何のお店?」
            「女物の洋服を売ってるお店」
            「で、俺にも好みを聞いてみたい、と」
            「そうそう!」
            「あまり長くしないなら、賛成」
            「長くしないことを誓います」
            「じゃあ、行こう」
            「はい!」

             そのお店では夏物のバーゲンをやっていた。キャミソール、レースの
            上着などが20パーセントから30パーセントオフで売られている。
            「あ、これかわいー」
            これ、どう?などと聞いてくるジュンの相手を適当にしながら周りを見てみ
            る。女の子がたくさんいる。夏だから、薄着の子、胸元が大きく開いてる子、
            生足で脚線美を強調している子なんかがたくさんいる。彼女達は思い思いに
            服を手に取り鏡の前で体に当てたりしている。
            「何見てるの」
            「女の子」
            「かわいい子、いた?」
            「いたかもしれない」
            「え!?」
            「嘘」
            「え、あ…」
            「冗談だよ。なに気にしてるんだ、ジュンらしくもない」
            「…うん、そうだね」
            これ、試着してみる、とボックスに入るジュン。
            「どう?」
            ジュンの選んだ服は半袖のワンピースだった。腰の辺りはベルトで軽く
            絞ってあり、それ以外はなにも飾りが付いてなかった。
            「うーん。顔が派手だから、もうちょっと攻めてもいいかもしれない」
            「そう?」
            「でも、似合ってる」
            「じゃあ、どうしよう」
            「お決まりですか?」
            そこに、キャミソールをきれいに着こなした、センスの良い女性の店員が
            声を掛けてきた。
            「あ、えーと、もうちょっと攻めの服、ありますか?」
            ジュンの言葉に店員はちょっとびっくりしたようだ。
            「攻め?」
            「そう、この服よりちょっとだけ男の子の目を集めるような」
            「分かりました、攻めの服ですね」
            その店員は少し笑いながら、少々お待ち下さい、と服を選びに行った。
            俺達が、さっきのワンピースはキープしとこうか、と話しているうちに戻っ
            てくる。
            「これなんかどうですか?」
            「あ、キャミソール…」
            俺はジュンと、ちょっとだけ顔を見合わせてしまった。
            「あの、ボク、キャミソール、駄目なんです」
            「え、そうなんですか」
            「ええ、ボク、肩とか腕とか、太いんです。それに首も」
            「えー、気にし過ぎですよー。私より細いんじゃないんですか?肩もなで肩
            だし、首もすっきりしてるし、腕もスラッとしてるし。キャミソールって
            肩紐が細いから着る人を選ぶんですけど、お客様だったら私より上手く着こ
            なしちゃいますよ」
            「それに、胸もないから…」
            「パット入れちゃえば大丈夫ですって。彼からも似合うって言ってあげてく
            ださい。ほんとに似合うと思いますよ。男の方から見てもそう思いませんか」
            「俺も似合うとは思うんだけど。ちょっと着てみたら?」
            「着てみるだけでもどうでしょう?」
            俺と店員に言われて、ジュンは迷いながらも、着てみる、と言って再びカー
            テンを閉めた。
            「彼女、美人ですよね」
            「あ。ありがとうございます」
            「お似合いですね」
            「どーも」
            「髪の毛もきれいですよねー」
            「ええ、俺も気に入ってます」
            「うらやましいなあ」
            「どーも」
            「海とか、もう行きました?」
            「いや、ジュンが水着きるのいやだって言うから」
            「あ、彼女、ジュン、って言うんだ」
            「ええ」
            「ふーん。私よりきれいな体してると思うんだけどなあ」
            「ええ、俺もきれいだっていつも言ってるんだけど」
            「あ。のろけられてる」
            「あはは。でもいろいろコンプレックスを持ってるみたい」
            「そうなんですかー」
            カーテンが開く。二人の目がジュンに降り注ぐ。ジュンは、自分の服
            を着ていた。手にキャミソールを持って。
            「どうしたの?」
            「あ、サイズが合いませんでした?」
            「…やっぱり、キャミソールは駄目です」
            ジュンの目には涙が光っていた。


            喫茶店で。
            「落ち着いたかい?」
            「ええ…ごめんなさい」
            「謝る必要はないさ」
            クーラーの効いた店内は涼しく、外の熱気を忘れることが出来た。照りつける
            光に当たって輝く木々が心地良い。
            「もう、あの店には行けない」
            「そうか?」
            「そう。あの店員、ボクのこと変な客だって絶対思った」
            「うーん」
            俺は、そんなことないと思う、という言葉をアイスコーヒーと一緒に飲み
            こんだ。カララン、と氷が砕ける。グラスの表面には水滴が薄く付いている。
            「…ばれたかな」
            「…」
            「ボクが、男の子、ってこと」
            「それは気にし過ぎだよ」
            二人の沈黙を、店内に流れる有線が包んでくれるのがありがたかった。
            「あー、どうして夏なんてあるんだろう。ボク、夏が嫌い。どうしてみんな
            海へ行きたがるの?プールに行きたがるの?」
            オレンジジュースを乱暴にかき混ぜながら。
            「…ボクも、キャミソール着たい。水着を…着たい。水着を着て、ツヨシと
            一緒に海で遊びたい。プールで泳ぎたい。浮き輪で遊んだり、海の家で一緒
            にヤキソバ食べたり、アイスキャンディーを食べたり…したい」
            「俺は。ジュンは、なで肩だし、胸板もそんな厚くないし、足も腕もきれい
            だし、毛の手入れもしてるから、着ても大丈夫だと思うよ」
            「でも、違うもん。ツヨシがボクを抱いたとき、やっぱり女の子とは違く感じ
            るでしょ?肩の肉の付き具合とか腕の太さとか。それに、本当の女の子より
            肉が固いのは隠せないよ」
            「肉の固い女の子だっているよ。もっといかり型の女の子だって、肩幅のあ
            る子だっている」
            「そういう子は、多分水着を着ないし、キャミソールも着ない。だって自分が
            着たらおかしいだろうな、って思うもの。…ボクも、着れない」
            「…」


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