『テーマ館』 第24回テーマ「雪」


雪、そののち春 投稿者:みどりのたぬき   投稿日:01月15日(金)02時09分02秒

      畜生、俺が何をしたっていうんだ、彼は心の中でそう毒づきながら、雪が吹きすさ
      ぶ北国の夜空を睨んだ。

      こんな羽目になった原因は今から数時間前、いや3ヶ月前にあった。
      そう、彼がこの北国の支社に転勤になってもう3ヶ月が経つ。
      都内で生まれ、都内の大学を卒業し、大手といわれる企業に就職した彼にとって、
      ここ北国での冬は初めての体験だった。
      去年の冬は今こんなところで働いている自分など想像もできず、本当なら今頃婚約
      していたであろうひとみとのデートを楽しんでいたものだ。
      彼のまかされていた契約先の会社の破産、それにより勤め先が被った被害。
      その責任をとらされた形での転勤であった。
      彼が左遷され、この北国の支社に転勤する時、都内での生活を望む彼女の両親と彼
      との間でひとみは板挟みとなってしまった。
      俺より親がいいのならそうすればいいだろう、そういって喧嘩別れして以来、彼女
      とは連絡をとっていない。
      今となっては、大人げないことをしたと思っている。
      しかしあの頃の彼は世の中すべてが腹ただしい存在だった。
      まあそのうち帰れるさそういって励ます同僚の言葉さえ嘲笑に聞こえたものだ。

      夕刻近くに北国特有の重たげな空を睨みつつ、得意先から支社に帰ると部下である
      土田が彼に話しかけて来た。
      東野係長、夕方から大雪になるそうです。今日は早めに帰った方がよさそうですよ。
      この土田が彼には気に障る存在だった。
      よい人間だとは思う。しかし出世には縁遠く40歳を過ぎた今でも、10歳以上年
      下である彼の部下であった。
      こうなってたまるかという気持ちが土田をみるたびにこみ上げる。
      それは彼の意地でもあった。
      帰りたければ君は帰ればいいだろう。私はこの書類をまとめ終わってから帰る。
      さして急ぐ書類でもなかったが、土田への意地もあり、彼はそう答えた。
      そう言って、背を向けた彼を見る土田の寂しそうな顏を思い出す。
      それから数時間、大雪など経験のない彼にとって、ここまでの吹雪は初めての経験
      であった。
      くそっ、さっさと帰ればよかったと思いながら、雪の中を走り、支社から5分程離
      れた駐車場にとめてある愛車に乗り込んだが、エンジンがかからない。
      寒さでバッテリがあがってしまっているのだ。
      もう今から支社に帰る気にもならず、とりあえずバスで帰ることにして、近くのバ
      ス停車駅まで彼は歩くことにした。
      しかしその途中、雪が勢いを増して、顔に吹きつけてきた。
      雪が冷たいだけでなく、痛いという感覚を与えるものであることを彼は初めて知っ
      た。
      雪のため視界が悪く、風のため前に進むのもうまくいかなかった。
      一歩進むのにも、苦労する。
      それはまるで今の彼自身のようだった。
      足が重く、痛いと彼は思った。雪と風は体を突き刺すようだった。
      やっとの思いでバスの停車駅に着くとバスは数分前に通過しており、つぎのバスま
      で30分以上待たねばならないことがわかった。
      吹雪の中とてタクシーも通りかからない。
      停車駅には彼一人だった。
      停車駅の堅いベンチに腰掛ける彼の体に雪と風がつきささるように吹きつけた。
      顔面に吹きつける雪のため息をするのもしんどい気がする。
      どうしてこんな目にあうんだ彼は運命を呪った。
      俺は悪くない、悪くないんだ。
      そう思うなか、雪は容赦なく、彼に降り注ぐ。

      夕方、意地をはらず素直に帰っていたらよかったんだ。
      土田に対する意地から結局帰り損ねることになった経緯が思い浮かんだ。
      なんで意地をはる必要があるんだろう、結局自分を追い詰めているのは、自分自身
      なのに。
      左遷されたことをいつまでも引きずって、殻に閉じこもっていたのは彼自身なのだ。
      彼はようやくそのことに気付いた。
      馬鹿だな俺は、ひとみのことだって。
      彼女が内心で両親を説得してでも彼についていきたい気持ちなのを知っていて気づ
      かないふりをした。
      彼女に借りを作りたくなかった。
      ダメだな俺は愛想つかされても仕方ない。
      凍りつくような寒さが彼からいつもの尊大さを奪っていた。

      東野係長と誰かの呼ぶ声で現実の世界に引き戻された。
      顏をあげると、土田の顏があった。
      タイヤにチェーンを巻いた車に乗っている。
      いや雪がひどいもんで、多分係長の車では帰れんやろうと。そう言うとったら女房
      が迎えにいけゆうんでね。ちょっと見にきたんですわ。おたくまで送っていきます
      わ。
      ジャンバーを着た土田はそういって照れくさそうに笑った。
      その顏をみて鼻水だけでなく、涙まで出て来た。
      涙が出てくるのは寒さのためだけではなかった。

      土田に送ってもらい、アパートに帰ると、彼は長い間かけることのなかった電話番
      号をプッシュした。
      数回の呼出し音の後、ひとみが出た。
      ひさしぶりの彼からの電話に彼女は驚きつつも、嬉しそうな声で応じた。
      彼はいままでの仕打ちを素直に謝った。
      自分から折れることのなかった彼の突然の謝罪に対し、彼女は驚きつつも歓びを隠
      しきれない様子だった。
      数日後に再会することを約束して電話を切った。
      窓の外を見るとまだ雪が降っていた。

      しかし彼は知っている。雪の後には春が来ることを。