『テーマ館』 第24回テーマ「雪」


君のことはどんなことでも。 投稿者:ノア   投稿日:02月08日(月)20時19分03秒

      冬。
      喫茶店にて。彼女と二人。彼女はコーヒー、僕は紅茶を飲んでいる。
      14時。
      粉雪が舞っている。外の人ごみが流れていく。

      「ねえ、春って好き?」
      視線を戻す。
      (彼女はなぜか沈黙が苦手だ)
      正面に座っている彼女の目を見る。
      (彼女は何か質問するとき、必ず耳に手をやる)
      「うん、好き。花粉症だけど」
      「なんで?」
      「なんか柔らかい感じに包まれるから」
      「ふーん。夏は?」
      「好き。暑いところでじっとひなたぼっこするのすごく好き。それと晩夏に聞けるカ
      ナカナゼミの鳴き声ってすごく好き」
      「秋は?」
      「好きだよ。ちょっと太りやすいけど。紅葉している山に行くのっていい」
      「じゃあ、冬は?」
      「好きだよ。スキー行けるし。寒いの苦手だけど」
      「なんだ。嫌いな季節ってないんだ。つまんない」
      「あはは」
      (彼女はふくれるとちょっと上目遣いになる)
      「あんたに嫌いなものってあるの?苦手なものは?」
      (彼女が「あんた」と相手を呼ぶ時は要注意。何が飛び出してくるかわからない。喧嘩
      になるかもしれない)
      (あるいは僕と喧嘩をしたいのかもしれない)
      「そりゃあるよ」
      「例えば?」
      「例えば…」
      ちょっと言葉に詰まってしまう。
      嫌いなものって、何かあったっけ?
      「えーと」
      「嫌いなものって無いんだ」
      彼女の棘のある言葉を聞いても。思い当たらない。
      「うーん、そうかもしれない」
      「嫌いなものが無いんなら。じゃあ、好き、ってものも無いんじゃない?」
      「はい?」
      (彼女が理屈っぽくなっている時は逆らってはいけない。言い負かして困るのは自分
      だから)
      「なんで?」
      「あんた、嫌いなものってあった?」
      「いや、無かった、と思う」
      「じゃあ好きなものって?」
      「そりゃあるよ」
      「なんで好きって分かるの?」
      「いや」
      「嫌いなものの無い人にほんとの好きが分かるはずないわ」
      (まずい。両手を握り締めている。これは良くない兆候。本気になっている。そのう
      ち爆発するはず)
      「そうかもしれないね」
      「嫌いなものが無いってことは嫌いな人もいないのね」
      「まあ、今のところは」
      「憎んだことは?」
      「特には無いと思うけど」
      「憎むことを知らない人が人を愛することなんか出来ない。それなのにあんたは私と
      付き合ってる。なんで私あんたなんかと」
      「君がOKしてくれて俺はうれしかったよ」
      「ごまかさないで。なんで私に付き合ってほしいって行ったの?」
      「君が好きだったから」
      「ふざけないでよ!あんたの好きって何?子供の好きと同じじゃない!愛することも
      知らないんだから」
      「でも、好きだよ。ほんとに」
      「…。私、帰る」
      「あ、一緒に出よう」
      「来ないで。さよなら」
      行っちゃった。
      (冷たく突き放したまま行ってしまった。彼女は少し後悔している。
      今は少し一人でいたいと思っているだろう。ここは追ってはいけない)
      店員がこちらをちらちら見ている。気にせずに、紅茶をもう一杯頼む。眼の合って
      しまった店員はカウンターの中に慌てて駆け込んでいった。
      彼女の様子を思い浮かべる。
      (ん。あの様子じゃ3時間かな)
      粉雪が舞っている。外の人ごみが流れていく。

      喫茶店の中。
      紅茶はもう冷たくなっている。
      17時。
      外の雪は小降りになっていた。

      彼女の携帯に電話する。
      「やあ」
      「なによ」
      (よし。タイミングOK)
      「うん、ちょっと用事があったから」
      「私、怒ってるんだからね」
      「ん、知ってる。ごめんね。ほんとごめん。でも、あの、お願いがあるんだけど」
      「なに?」
      「ちょっと話したいなあと思って」
      「え?」
      「いや、直接会って話したいことだから。聞きたいこともあるし」
      「電話じゃだめなの?」
      (今回はちょっと手厳しい。が、ここでめげてはいけない)
      「うん、ちょっと。お願い。これから、暇?」
      「暇じゃない」
      (嘘。意地っ張り)
      「時間空かない?本当に、お願い」
      「…じゃあ、1時間後にアルタ前のバス停付近で」
      「ありがとう!うれしい。じゃあ、1時間後に」
      「はい」
      (少し待ってから彼女は切った。こちらのことを気にしている。よし)

      アルタ前のバス停付近。歩道の、道路側にあるチェーンに腰掛ける。
      18時。
      いつのまにか雪が止んでいた。

      人が多い。赤い服、黒い服、茶色い服。派手に着飾って気を張り詰めた勝負女。そ
      れに群がる、コロンを微かにきかせ、黒のロングコートとブランド物の服をさりげ
      なく着込んだ、センスの良い、ぎらぎらした男達。
       彼女はまだ来ない。
      (いや、もう来ているはず。僕は人を待つことはしない主義だが、今回は待たなけれ
      ばいけない。今彼女は僕を試しているのだ。
      どこかの影からこちらを見て)
      1時間後。彼女が姿を現わした。顔が晴れやかだ。が、まだ怒っている風を装ってい
      る。
      「やあ、来てくれたんだね。ありがとう」
      耳元で小さく囁く。それには答えずに。
      「お腹空いたわ。御飯食べたい」
      (わがままな感じ。甘えている)
      「はいはい」
      「今日は奢ってよね」
      「ん、もちろん。無理して出てきてもらったんだから」
      「お酒も飲みたい」
      「らじゃー」
      「ふざけないでよ」
      彼女が小さくつぶやく。怒ってるんだから。

      アルタ前から歩いて10分弱のバーで。
      コースとカクテルを楽しみつつ。
      曇っているので東京タワーが見えない。
      22時。

      他愛の無い話をしつつ過ごした食事の時間が終わる頃には、彼女の表情も柔らかく
      なっていた。
      「で、話ってなに?」
      グラスを片手に聞く彼女はすでに目が潤んでいた。
      「ん」
      一口飲んで。
      「忘れたみたい」
      「そんな忘れるようなことで私を呼び出したの」
      「いや、だってもう一番大切な用件は伝えたから」
      「え、いつ?」
      「うーん、まあ、食事の間に、なんとなく」
      「…そう」
      「うん」
      「…あのね。あの後考えたんだけど」
      「ん?」
      「好き、とか、愛する、とかのことよ」
      「うん」
      「ごめんなさい、生意気なことを言って。私だって、本当の好きとか愛するとか知
      らないのに」
      「いや、僕こそ」
      (彼女が折れた。仲直り完了)
      「僕も考えたんだ」
      「ええ」
      「僕は誰かを憎んだことはあると思う。ただ本当に、かどうかは分からない。だから
      本当に愛することも分からないかもしれない。でもぜんぜん分からないかって、そ
      んなことも無いと思う」
      「なぜ?」
      「君が誰か他の男の子と仲良く話しているとき、いつも僕は胸が痛くなるほど嫉妬し
      ているんだよ」
      「よくそんな恥ずかしいこと言えるわね」
      「でもほんとのことだから」
      「また言う」
      「あはは。…でもさ」
      「うん?」
      「本当の好きって、一生わかんないかもね」
      「そうかもねー」
      そう言って彼女は微笑んだ。
      彼女の、なんとなく幸せそうな顔。
      (本当の好きって。今まで嫌いだったもの、憎んでいたもの、そういったものを全て
      許せるような気持ちにしてくれるものが“好き”なものなんじゃないかな)
      「僕は良かったと思ってるよ」
      君と付き合えて。
      「何が良かったの?」
      「えーと。君と喧嘩が出来て」
      「なによそれ」
      そう言いながら彼女は笑った。

      「今日はごめんね。なんか」
      (鼻に掛かった声。僕は好きだ)
      「気にしなくていいよ」
      「私、わがままで、気分屋で、嫌いになったでしょ?」
      「もちろん…」
      「え!?」
      「そんなことないよ」
      「ばか」
      「あはは、ごめんね」
      「いつも私、あなたに頼ってばかりいる」
      「いつでもどうぞ」
      「ほんとに?」
      「出来る限りは」
      「あなたっていつもそう。こうだ、ってはっきり言わないのね。嘘でも、俺に任せ
      ろ、って言いなさいよ。私はそれを待ってるんだから」
      「でもなあ、出来ないことは出来ないし」
      「言うの!」
      「おれにまかせろー」
      「棒読みじゃなくって」
      「俺に任せろ」
      やった、っと小さく叫んで目の前に飛んで来る。伸び上がって目を覗きこむ。
      「愛するって、汚いことなのよ、ドロドロしてて」
      胸に飛び込んできた。
      「どんなことだって出来るんだから」
      彼女は僕の胸に、そうつぶやいた。

      風が、冷たい。
      厚く垂れ下がった低い雲。
      ふと、切れ目から空が見えた。
      「だんだん晴れてきたね」
      「うん。でも、東京にしちゃあよく積もったね」
      「ほんと。電車、止まらなきゃいいけど」
      「これくらいなら山手線は大丈夫だよ」
      「私のは止まりやすいよ」
      「大丈夫」
      「なにが?」
      「俺に任せろって」
      「こんなときばっかり」

      人ごみが流れていく。
      雪はもう止んでいる。
      空もだんだん晴れてきて。
      23時。
      辺りは静けさを増していく。

      いつのまにか空には。
      控えめに、星が瞬いていた。